第4話

帝を殴りたい、殴らせてくれないなら帰る、と言い張る道満を何とか説得し、帝を清涼殿に運びこんだのが半刻程前のこと。

横になる帝のそば近くには、東宮、道満、『清明』の三人が並んでいた。

『清明』ははらはらと幼い顔に涙を浮かべ、心配そうに帝を見守っている。

「『清明』殿」

隣の道満に声をかけられ、『清明』はびくり、と背を震わせて、そちらを見た。

「ーーと名前が分からないので、今はそう呼びますがーー心配することはありませぬ。あの炎は実体を持たぬ幻術のようなもの」

涙を浮かべたまま、きょとんとした顔をした『清明』に道満は言った。

「帝が今眠っているのは、我々陰陽師の『気』に当てられたのでしょう。すぐに目を覚まします」

そういう道満の言葉のそばで帝が目を覚ます気配がした。

「う……」

「帝!」

目を覚ました帝に『清明』と東宮が声をかけた。

「『清明』……東宮……?私は一体……」

まだぼんやりとした顔で辺りを見回す帝に『清明』が言った。

「私を庇って、道満殿の術を浴びたのです!お怪我はありませんか!?」

「おお!『清明』!そなたこそ無事であったか?」

こくこくと頷く『清明』に帝は微笑んだ。

「では『清明』と帝ーー説明して頂きたい。先程、『清明』が叫んだ『父上』とは一体どういう意味ですか?」

問いただす東宮の言葉に帝も『清明』も、しん……と黙ってしまった。

「どういうも何もそのままの意味でしょう」

沈黙を破ったのは、道満だった。

「帝が『清明』の父上なのでしょう」

「いや-ーだがしかし、ここにいる『清明』は自分のことを安倍晴明の息子だとかたり……」

「それもどうやら本当のことらしいですな」

道満の言葉に東宮は首をかしげた。

「??お前、何を言っているのだ?道満?」

「ですから、ここにいる『清明』殿はかの安倍晴明の息子で、帝が父親なのでしょう」

「何だ!それは??男同士でやや子ができるか!」

「ですから安倍晴明は女だったのでしょう」

「いや、だから清明が女だとしてーー」

と、東宮はそこまで言って、ん??と自分の言葉を反芻した。

「清明が女アア!?!?」

道満は『清明』の方を見ると

「先程、貴方は清明殿に化けた私を見て、言いましたね。『母上』とーー」

「い、言っており、ません……」

蚊のなくような声で言った『清明』に東宮が言った。

「俺にもそんな声は聞こえなかったぞ!?」

「声に出さなくても、口の動きを見れば分かります。貴方は確かにあの時『母上』と言いました」

いや、しかし、と事実と認めたくないらしい、東宮が顔を青ざめさせて言った。

「そんな!……そうだ、証拠は?ここにいる『清明』が帝と清明の息子だという証拠!」

「ないでしょうな。……しかし、証拠はなくとも帝には心あたりがあった。だからこそ、『清明』をそばに置いた。……帝の息子などと知れたら、どのような策略、陰謀に巻きこまれるか、はたまた命を狙われるか分かりませんからな。……違いますか?帝?」

道満の言葉に帝は、何も言わずただ拳をぐっと握っていた。その顔を見てふう、と道満はため息をついた。

「都を追放された折から奇妙だとは思っておりました」

……道満が都から追放されたのは15年以上も前である。そんな以前から清明のことに気が付いていたのか?と一同は驚いて道満を見た。

「……いくら帝が安倍晴明を大事に思っていたとしても、嫉妬に駆られて私を都から追放するなど、お門違いもいいところ。恐らくあの頃、帝は既に気付いておられたのでしょう。清明が女だということに」

なるほど、と東宮は頷いた。清明が女なら帝があれ程、清明を側に置いたのも説明がつくというもの。

「まあ、私が都から追い出されたのは、清明が女だと気付かれるのを恐れたのでしょうな」

帝の顔を横目で見ながら、道満はふっと笑った。

それもそのはず。陰陽師は政に携わる身である。政(まつりごと)に女が関わるのは禁忌とされていた時代、しかも帝を謀ってそば近く仕えていたとなれば、都を追い出されるだけでは済まないだろう。

「いや、しかし……その……当の清明は何処に消えたのだ??」

東宮の言葉に『清明』は視線を落とすと

「母は昨年、流行り病で亡くなりました」

か細い消えるような声で言った。

ああ、やはりか……とどこか薄々勘付いていた道満はふっと笑った。

「……しかし、安倍晴明と言えど所詮、女は女でしたな!陰陽師の誇りも忘れ、帝の愛を乞うて子までなし、ただの女になり下がるとは!」

にょほほほ!と奇怪な笑い声を上げる道満に、ぎゅときつく手を握りしめ

「違う!!!」

それまでほとんど黙っていた帝が声を荒げた。

「……晴明は……安倍晴明は悩んでいた!!このまま周囲を謀って陰陽師として一生を終わるべきか、女として生きるべきか。しかし、道満、お前がいたからだ。お前がいたから清明は陰陽師として生きていたのだ」

「はっ!私に何の関係が?」

「……分からぬのか、道満。お前という、好敵手がいたから、清明は陰陽師として生きていたのだ」

それは正しく陰と陽のように。

ーー恋ではなかったはずだ。

と道満は思う。

だがしかし、自分が清明に憧れていたように、清明も自分に憧れていたとしたら。陰陽師として全ての存在をかけるほどに、自分のことを思っていたとしたら。

「ーーだから、道満、私が下らぬ嫉妬の為に、お前を都から追放したその日に、陰陽師としての清明は死んだのだーー……」

「やめてください」

言った道満の声が涙に濡れていることに気付いて、一同はハッとした。

「ーー陰陽師など捨てて、ただの女に、ただの幸せな女になったのです。そうでなければ、あんまりです。そうでなければあまりにも……」

可哀想ではありませんか、と続く言葉は喉の奥に詰まって出てこなかった。

顔を背け扇子を広げた道満の顔色は分からなかった。

「ーーそうだな」

帝の声がぽつりと辺りに響いた。


「しかし、帝……この『清明』、側においてどうするつもりだったんですか!」

東宮が帝に詰め寄った。

聞けば、帝が『清明』を側から離さなかったのは事実らしい。

「どうするもなにも…!母を亡くし、私を頼って都まで来た我が子を追い返せるわけがなかろう!」

「……本当にそれだけですか?」

じっと帝を見る東宮はうろんげな目をした。

「何を考えておるのだ!何を!!」

「帝の仰っていることは本当だと思いますよ、東宮様」

いつの間にやら立ち直り、扇子をあおぎあおぎ、親子喧嘩を聞いていた道満が言った。

「……おおかた、追い返すことも出来ず、かと言って事情が事情だけに誰にも話すことも出来ず……中途半端な帝のやりそうなことです」

「……道満…貴様……」

じろりと自分を睨んでくる帝に、道満はふっと笑った。

「何ですか。清明殿一人幸せにすることもできなかった甲斐性なし、の方が良かったですか?」

「おやめなさい!二人とも!」

今にも喧嘩を始めそうな二人の雰囲気に東宮が割って入った。

「しかし、この『清明』のためにも、追い返すべきでしたな」

きょとんとした顔で話を聞いていた『清明』の方をちらりと見て道満が言った。

「え?」

「だって、そうでしょう?この都にいて、もし帝と清明の息子、などと分かったら、どんな陰謀に巻き込まれるかわかったものではありませんからな。早々に追い返すのが得策」

「道満!」

本人を前にして、ずけずけと容赦なく言う道満を東宮がたしなめた。

「まぁ、私の式神を跳ね返す程の力の持ち主を鄙びた田舎に追い返すのは惜しいですが、それだってまだまだ修行が必要ですな」

一方、『清明』ーーの息子ーー本人は暗い顔をしてぎゅっとひざの上の手を握りしめている。

「で、では清明の親元に預け……」

「やめた方が良いでしょうな。修行という意味では良いかもしれませぬが、帝と清明の子だと分かった時点で向こうがどう出るか予測がつきません」

「かと言ってこのまま、帝の側に置くわけにはいくまい!」

東宮の言葉にぱちぱちと道満は手を叩いた。

「東宮様の仰る通り!……清明殿に生写しのこの子が側近く仕えていては、怪しむ家臣もいましょう」

からからと道満は楽しそうに笑う。

「清明の血縁に預けるわけにもいかず、帝の近くにおくこともできぬ、か……」

途方に暮れる二人を見て道満は実に楽しそうである。

「どうしてもというなら、帝と仲の悪い、都から遠く離れた場所に住む、名僧にでも預けるんですな!」

まぁ、そんな人間いないでしょうが!と奇妙な笑い声を上げる道満を見ていた帝と東宮は、ん?と揃って二人顔を合わせた。

「東宮……」

「帝……」

どうやら、二人共考えていることは同じようである。

「さてと……実に面白いところですが、私はそろそろお暇し……??お二方、こちらを見てどうしました?」

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