第2話
「清明の息子を騙る者が現れた」
渋る道満を説得し、あずまやに上がり腰掛けた東宮は苦々しくそう言った。
「ほう、清明の息子!」
一方の道満はさも面白そうに笑っている。
「まあ…清明殿が失踪してこの十五年、ありとあらゆる安倍晴明を騙る者は見聞きましたが、息子とは……意外と目新しいのでは?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、言う道満に東宮は深くため息をついた。
「目新しいも何も……お前も知っておるだろう、清明の女嫌いを」
東宮の言葉にうーむと道満は今度は首を傾げた。
「清明殿のあれは……女嫌いとは少し違うのでは……?」
「女嫌いでなければ、なんだ?自分に一尺はあろうかという、文を書いて寄越した女を『石女』呼ばわりする理由は?」
清明の女性に関する逸話は多い。貰った文の数は知れず。かと思えば浮いた噂はなく、かえって女嫌いを疑われた。なかでも有名なのが、「石女の文」と呼ばれる一件である。
「石女呼ばわりともまた違いましょう……。ただ、「あなたでは私の子は産めぬから」と一言書いた文を送ったのでしょう?」
道満には清明を女嫌いと括ってしまうのに違和感があった。それは清明が女性に対して憧憬のような何かを抱いているのを知っていたからだった。
「まあ、清明の女性観はともかく、だ。清明の息子を名乗る者が現れたのだ」
「帝はさぞやお怒りでしょうな」
清明を語る上で欠かせないのが、実は帝の存在である。清明が陰陽師として活躍できたのは、自身の才能もさることながら、帝の強力な後見があったからであった。いや、帝の清明に対するものは寵愛と言っても良いだろう。帝の確かな寵愛を受けたからこそ、清明は陰陽師として成功することができたのである。
「帝は怒り狂っている……と思うだろう、お前も。しかし、真逆なのだ」
「真逆……と仰ると?」
東宮の言葉を理解しかねた道満が眉根にしわを寄せた。
「……離さぬのだ。」
「は??」
「清明の息子を騙る者を側において離そうとしないのだ」
東宮に言うところに寄ると、帝が烈火のごとく怒ったのも最初のことだけ。何やら宮中で一悶着あったのは確からしいのだが、それから後は清明の息子を帝は片時も離そうとせず。
「文字通り、昼も夜も側において離そうとしないのだ」
「……清明殿のいた時分から、思っていたのですが、帝には何やら特殊な趣味がおありで?」
「帝のお戯れならばまだいい」
いや……よくはないのでは……?と道満は思ったが、口にしなかった。帝の清明に対する想いにはなみなみならぬものを誰しも感じていた。
「狐狸妖怪に騙されているのではないかと、私は不安でな。清明失踪の後は名だたる陰陽師も居らぬし……」
ちらりと自分を見てくる東宮をふん、と鼻で笑うと道満は手に持った扇子を開いた。
「泣き言なら帝に仰ればよろしい。……この蘆屋道満を一時の下らぬ嫉妬に任せて、都より追い出したのは、他ならぬ帝ですからな」
「そう言うな、道満。……当時の私は幼く、何が起きているのかも分からなかったのだ」
帝の力添えを巡る清明と道満の争いは、転じて清明を巡る帝と道満の争いであるように見えた。喧嘩をする子犬同士が、まるでじゃれあっているかのように見えるように、帝の目には映ったのであろう。帝から疎まれた道満は清明が失踪するより少し前に、都を追放されていた。
自分をまっすぐ見据える東宮にふう、とため息をつく道満。
「まぁ、それこそ東宮様におっしゃっても仕方のないことですな。……で、私に一体どうして欲しいと?」
「都に戻って来て欲しい。そして、清明の息子なる人物が何者であるかお前に見極めて欲しいのだ」
その言葉にじっと東宮を見ていたが、にやり、と笑うと、道満はおもむろに立ち上がり
「では、禊ぎでもして参りますか!!!!」
「何故だ!!???!」
前後にまるで脈絡のない道満の奇行に思わず、東宮も声を上げた。
「清明殿もよく禊ぎをしておりました。清明の息子なる人物が如何程の力を持っているかも分かりませんからな」
「!道満……!」
「何より久々の都です。身も心も新たにして行かねばなりますまい」
にやり、と不敵な笑みを浮かべる道満を見て、東宮はつくづく底の知れぬ男だな…と苦笑いを浮かべた。
道満の記憶している清明はいつも笑っている。穏やかな笑み、少し困ったような笑み、あるいは心からの笑みを浮かべている。奇妙なものだ、と道満は思う。
あれだけ憎い、と思った男の、よりによって笑顔ばかり覚えているとは。
世間で言われる清明と自分とはいわゆる宿敵同士であった。清明が光ならば自分は影。陰と陽は互いに相入れることはない。しかし、相入れることができないからこそ、惹かれていた。焦がれていた。強く。
笑顔ばかりの思い出の中で、清明の泣き顔を見たことが一度だけあった。
あれは夏の始まりのころ。川縁を歩いていた時のことだった。
何故そんなところを歩いていたのか、道満はまるで覚えていない。恐らく、涼でも取ろうとしたのだろう。始まりと言えど都の夏はあまりにも暑い。
ふと、川縁のひとところに無数の光が飛んでいるのを見つけた。蛍である。
(おお、これは風流な……)
蛍の群れに喜んだのも束の間、次の瞬間、道満はぎょっとした。蛍の明滅する光が、一つの人影を浮かび上がらせたからである。
「……道満どの?」
「その声は……清明殿」
名を呼んですぐに道満は後悔した。清明は水面を飛び交う蛍達の中で泣いていたからである。
「こんなところで何をしていらっしゃるので?」
そう言った道満は、暗がりで涙を拭う清明を見ないふりをした。
「ああ……蛍……蛍を見ていたのですよ、道満殿」
「いや、見事ですね」
と何気なく言った道満の言葉に、清明はまた一つぽろりと涙を流した。
「せ、清明殿……?」
「見事と貴方も思われますか……」
「清明殿はどう思われたので?」
暗がりのせいだろうか?蛍達のせいだろうか。今宵の清明はまるで別人のように見えた。
「美しいと思いました。そして悲しく、羨ましくなりました」
「悲しく……?」
「聞けば蛍が光るのは、雄が片割れの雌を探して光るのだという。こんな小さな虫ですら、片割れを求めて美しく光るのに、私は……」
そう言って嗚咽で声を詰まらせた清明に、動揺した道満はとんでもないことを言っていた。
「清明殿は美しいですよ?」
何を言っているのだ、と思った時はすでに遅し。清明はきょとんした顔でこちらを見上げている。
「道満殿……?」
「まあ、美しいと一口に言っても色々ありますが!清明殿は青く打たれた刃のごとし美しさといいますか!儚さの中にも強さがうかがえるといいますか!」
何とかこの場を誤魔化そうといい畳む道満に清明の笑う気配がした。
「ふふ、私は刃ですか。蛍とは大違い」
「でなければそれほど鋭く光りますまい」
ふん、と鼻で笑う道満とくすくすと笑う清明はもういつも通りの二人であった。
「う〜〜む……やはり、東宮様の牛車と言えど、長旅は応えますな……」
ん〜っと身体を伸ばしている道満をじろりと見て東宮が言った。
「……いやお前、寝ていなかったか?道満?」
「奇妙な夢を見て、うなされました……」
「その割にはよく寝ていたようだが」
ははは!と東宮の言葉を道満は笑い飛ばした。
「私の夢見はお気になさらず!さて、と…」
道満と東宮は目の前にそびえる御所を睨みつけるようにした。
「敵陣到着、というところですか」
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