第2話 星形要塞は待っている

 近所迷惑寸前、いや、もしかしたらアウトかもしれない。尋常じゃなくやかましいベル音で部屋中が包み込まれている。こんなにうるさい目覚まし時計を鳴らし続けるわけにはいかないと寝ぼけた頭ですら容易に思い至るので、ベッドから最速で身体を起こして目覚まし時計の頭を殴打することを余儀なくされる。このあまりの煩さは突発的な頭痛を誘発し、この目覚まし時計を使うことを決めた前日の自分への強烈な恨みも誘発した。僕の中で、"爽やかな朝"の対義語は"この朝"だ。

 「はぁ……」と深く溜息をついたその直後、恨みつらみやら様々なもので満たされた僕の脳内に突如「今日はゴールデンウィークの初日」という言葉が浮かび上がる。ゴールデンウィークは恨みつらみを勢いよく食べ始めた。

 カーテンを開けると、先ほどの重苦しい溜息が窓ガラスを突き抜けて外へ飛び出していく感じがした。頭痛もすでに治っているから、僕の脳みそは切り替えが早いタイプだと言える。まあそういうものだよね。持論だが、"ゴールデンウィーク"は万病に効く薬だ。"初日"は特に効能が高い。

 休日なのにわざわざ魔の強力目覚まし時計を使ったのは、今日から2泊3日の旅行に行くためである。荷物は前日にまとめておいたので、あとは身だしなみさえどうにかすればよい。そう、"こんな朝"は悪くない。旅行のためだと思えばあの轟音に起こされても良いと思えるはずであり、少なくとも昨晩の僕はそう判断をしたのだが、人間誰しも寝起きは頭が十分に働いていないので、数分前の僕の頭は轟音への激烈な不快感しか抱くことができなかった。わかっていても、思い出せないと意味はないのだ。

 202⚪︎年5月1日、羽田空港10:05発。家を出る直前、玄関で靴を履いたタイミングで、スマホに保存しておいた電子チケットを改めて確認した。うん、ちゃんと今日で合っているよねって、わかっていても確認をしてしまう。僕は脳内で指差し確認をするタイプの人間だ。さすがにゴールデンウィークの初日を間違えるはずはないのに、念の為にと考えてしまう。小さい頃は忘れ物を頻発するタイプだったので、親に何度も確認をするようしつこく教育されていた。社会人となった今も、その名残がちゃんと残っているのだろう。今日が今日であることが間違いないと確信した僕は、キャリーバッグを力強く持ち上げて玄関を出た。そんな小さな段差に絶対に引っかかるわけがないって程に、無意味に高く持ち上げていたので、「テンション上がり過ぎだろ」って脳内でセルフツッコミをする。

 しかし僕は特別に、旅行が好きな人間ってわけではない。友人同士で集まっての旅行は過去に何度かしているが、僕はいつも"誘われたら行く"というスタンスだった。ついこの前の卒業旅行もそうだ。僕はみんなが神戸に行きたいと言ったら流されるように同調し、同調してみるとちゃんと神戸牛が食べたい気がしてくるタイプの人間である。実際に現地で食べてみると、神戸牛は過去の様々な焼き肉が打ち立てたハードルを全て悠々と飛び越えてみせたので、良い旅行だったのは間違いない。でもだからと言って、神戸牛は僕を特別に旅行好きな性格に変えるまでには至らなかった。

 そんな僕であるが、今日の旅行は誰かに誘われたわけではなかった。一人旅をすることは、自らの意思で決めた。一人旅は初めてだが、他人といても一人でも、自分はどちらでもそれなりに楽しめるタイプであると確信をしていたので、特に不安はなかった。初任給の使い道としては、これ以上はないだろう。これ以上があったとしても、僕が今日までにそれに思い至ることはなかったので、これ以上はなかったのであるという道理だ。脳内の僕は、よくそうやって僕を論理的に納得させる。


 行き先は北海道函館市。昔僕が住んでいた街だ。中学校卒業とともに離れてしまい、それからは一度だって訪れていなかった。


 羽田から函館空港までは1時間20分、意外とそんなに遠くはない。社会人に成り立てで覚えることばかりであり、前日の仕事の疲れが抜け切っていない僕は、離陸後数分で眠りについていた。目が覚めたのは着陸に向けて高度を下げ出すタイミングだったので、まさにあっという間に到着した感覚だ。

 あっという間だったというのに、また"あの夢"を見ていた感覚がある。この胸の感覚は間違いなくそうだ。函館に行く、函館に向かっているという事実がそうさせるのだろうか。そんなことを考えている間に、僕はもう函館の地に降り立っていた。

 函館空港の空気は、明らかに羽田空港のそれよりも冷たかった。飛行機から空港内まではちゃんと通路で繋がっていて一度も屋外に出ていないため、空調次第だと言われたらそこまでかもしれないが、北海道は冷帯で本州は温帯に属すると昔教科書で書かれていたように、根本的に気候が異なるという明確な差は、室内ですら別物のように感じさせる影響があるように思える。きっと空調があっても、湿度とか何やらが明確に違うはずだ。これは知識による先入観が僕にそう感じさせるだけかもしれないが、これによって北海道に帰ってきた感に浸れているのだから、少なくとも僕にとって悪い先入観ではない。

 そんなことを考えながら外に出てひんやりとした空気を一気に吸い込むと、本格的に北の大地が出迎えてくれた感覚が得られた。さっきまでの空調の効いた空気のくだりは全て忘れてもよいくらい、本物の北の大地感が得られる。「これは春の香りが、ようやく北上してきたくらいですね」と脳内で特に意味のないナレーションをした。脳内の僕Bが「確かにそうですね」と相槌をうつ。


 僕は予約していた空港内のレンタカーに迷わず向かい、それほど時間がかかることなく、何度か運転したことがある車種のコンパクトカーに乗り込むことができた。カーナビに入力する行先はずっと前から決まっているので、迷ったりすることはない。このカーナビに入力する行先は、すでに二泊三日分きっちり決まっている。

 函館に来ることを決めた日から、僕はこの2泊3日をいかに効率的で計画的なグルメ生活にするかを考え抜いていた。僕はなかなかに凝り性な性格だったりするので、初めての一人旅は絶対に充実したものにしてみせると、固く誓っていたのだ。函館は神戸に負けたりしない強力なグルメタウンであり、非常に旅の計画のしがいがある街だ。


 まず函館に来て必ず食べなければいけないものはイカだ。函館に来たのにイカを食べないというのは、ディズニーランドに行ったのにシンデレラ城を一目も見ていないようなものだ。シンデレラ城を見ないなんて起こり得ない、無理だ、例えが下手だと誰もが言うだろう。でも僕が言いたいのは、函館にとってのイカは、ディズニーのシンデレラ城クラスにシンボル的役割を果たす存在であるということだ。何故か小学生が学校で"いか踊り"を練習させられるくらい、函館はイカの街なのだ。果たして函館市民以外でこの歌を知ってる人はいるのだろうか……


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『いか踊り 歌詞』


函館名物いか踊り


いか刺し 塩から

いかソーメン


もうひとつおまけ に いかポッポ


※いかいかいかいか いか踊り

(※の部分は4回繰り返し)

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 ディズニーキャストがミッキーと踊るように、函館市民はイカ踊りを踊る(イカ"と"は踊らないのでご安心を)。僕は函館の小学校時代、体育の時間にいかいかいかいか言いながらイカ踊りを学び、給食で『いかカレー』を食い、運動会でも全校生徒でいかいかいかいか言いながら踊り、お弁当の『イカ飯』を食い、夏休みに行ったお祭りでもいかいかいかいか言いながら踊り、『イカ焼き』を買い食いしていた。函館市民はイカと共に生きている。でもさすがにペットにはしていないから安心してほしい。

 なので、とりあえず寿司は食う。間違いなくそうすべきだ。新鮮なイカを食いまくるべきなのだ。イカは寿司ネタの中で大したことないとか思ってる人は、とりあえず函館でイカを食べてから改めて判断をした方が良い。函館のイカを食べたことがある人は、そんな人達を鼻で笑って生きていくことができるという、凄いアドバンテージを得てしまう。恐ろしいほどに魅力的だろう。

 まああえてイカの重要性を強調せずとも、実際に函館にやってきた人間は、何かしらの形でイカを口にすることになってしまう運命だ。こんだけ色々言っておきながらなんだそりゃ、という話かもしれないが、ディズニーランドに行くと必ずシンデレラ城が見えてしまうように、函館に行くとイカは必ず口の中に入ってくる。そういうものなのだ。


 イカを食べるのは大前提として、函館をイカだけの街だと考える人間はあまりに浅はかである。そんな人間は24時間爆音目覚まし時計の刑に処されても致し方ない。函館グルメはここから尋常じゃない広がりを見せるのだ。ディズニーランドに行ってシンデレラ城だけ見て帰る人間はいないだろう?そういうことである。


 まず真っ先に挙げざるをえないのはラーメンだ。北海道民の中では有名な話だが、札幌の味噌、旭川の醤油、函館の塩が北海道の三大ラーメンと呼ばれている。函館塩ラーメンの中では極めてベタな選択だが、学生時代に食べた『あじさい 本店』の塩ラーメンは忘れることができない。あじさいはしっかり旅程の中に組み込んでいる、当然だ。去年食べた新千歳空港のあじさいの塩ラーメンもかなり美味しかったけどね。これは道外に住む、函館には行けないけど新千歳空港は利用しがちな塩ラーメン好きにとって耳より情報だろう。しかし函館には遊びに来た方が良いぞ。

 函館のラーメンはディズニーの"パレード"に該当すると思ってよい。ディズニーランドに行ってパレードを見ないで帰ってくる人間はにわか、そんなことは誰だってわかっている。


 次に僕が挙げたくなるのは、ラッキーピエロの人気NO.1、『チャイニーズチキンバーガー』だ。函館市民は親しみを込めて「ラッピ」と呼ぶラッキーピエロ。函館の民にとって、ハンバーガー屋はマクドナルドよりもモスバーガーよりも、ラッピが正義なのだ。ラッピの魅力はデカウマ。ソウルフードだったあの頃を思い出すためにも、絶対に訪れるべき場所だ。ラッキーピエロはディズニーランドで言うとビッグサンダーマウンテンだ。理由はウェスタンな感じとか、昔から愛されてる感じとか、それだけだ。


 あとご当地グルメで忘れてはいけないのは、ハセガワストアの『やきとり弁当』だ。ハセストのやきとり弁当は、やきとり弁当という名前なのに全部豚肉で作られていることが有名だったりする。正直、昔からずっと意味不明なネーミングだと思っているが、美味ければそんなことはどうでもよい。やきとり弁当で美味い豚肉を堪能することも、この旅の重要な目的の一つだ。一応やきとり弁当もディズニーに例えるならスペースマウンテンだろう。予想外な感じが通じるところがある、それだけだ。


 あとは通好みな選択かもしれないが、函館港のそばにある『みなと食堂』は絶対に訪れたい。知る人ぞ知る、函館三大食堂の一つがみなと食堂だ。『唐揚げ定食(骨なし)』が一番人気。めちゃくちゃ柔らかいフワフワ唐揚げで、今までの人生で食べた唐揚げでランキングを作るなら、個人的にみなと食堂がNO.1だ。骨なしを食べずに帰れるものか。ディズニーで言うと隠れミッキー探しである。きっとそうだ。


 僕はひたすら函館グルメのことを考えながら車を運転していた。段々と尻すぼみだった気もするが、脳内の思考の流れはそんなに都合よくいくものではない。ちなみにオススメ度は尻すぼみではない、どれも心の底からオススメだ。

 思考の流れからすると当然、カーナビに入力した行先は先程の飲食店の名前のどれかなのが自然だと思われるだろうが、僕は行き先を『五稜郭公園』としていた。五稜郭は、こんなに脳内で無意味に全力で熱弁してしまう函館グルメよりも、何より優先して真っ先に来たかった場所だ。


 五稜郭は、江戸時代末期に建造された星形要塞の城郭であり、今はその形状を綺麗に残したまま巨大な公園となっている。土方歳三の最後の戦いの地としても有名だ。俺は公園の中に入る前に、五稜郭に隣接されるように建設された五稜郭タワーの地上90m展望台から、まずは公園の全体像を見ることにした。


 エレベータで頂上に登ると、眼下に東京ドーム5個分サイズの圧巻の星型が鎮座している。五稜郭公園はどの季節に訪れても美しい眺めだが、やはりゴールデンウィークのこの景色がピカイチだ。

 北海道の春は遅い。北海道民にとって、桜の季節と言われて思い浮かぶのはゴールデンウィーク頃である。道産子の僕にとって、テレビの中で3月や4月が桜の季節として扱われるのは非常に違和感があったものだ。そう、五稜郭公園は、日本国内でも有数のお花見スポットである。

 90mの高さを活かして、僕は公園内の"あの場所"を探す。広大な公園内は桜並木"だらけ"であり、幼少期の記憶のみを頼りにあてずっぽうで歩き回って見つけるのは、公園のサイズ的にかなり困難だろうと元々考えていた。正確には幼少期の記憶のみではなく、何度も繰り返し見た"あの夢"も頼りにしているのだが、所詮夢は幼少期の記憶を頼りに脳内で自動生成されたものに過ぎない。生の記憶にしろ、夢の記憶にしろ、どちらにしても曖昧ではあるが、僕の見た"あの景色"は、長めの石の階段を登った先にあるはずではあった。僕は100円玉を投入するタイプの双眼鏡を使って、長めの石段を見つけては、自分がそこを歩く情景を思い浮かべてみて、"あの景色"と近そうな場所を地図上にメモしていく。とは言ってもその候補となる場所は、結局3つに絞られた。きっとこの3つの内のどれかに、"あの景色"は存在する。タワー近くの公園入り口から近い順に、候補地には1から3の番号を決めてやった。


 公園内に入ってみると、すぐに心の中は"懐かしい"の感情で包まれた。あの建物も、あの道の作りも、全てがあの頃のままのように思えた。五稜郭公園の近くに住んでいた僕にとって、公園内の全てが幼少期の大好きな遊び場の一つだったので、何を見ても懐かしく感じてしまう。第一の候補地にやってくると、懐かしさというか、エモさというか、そういった感情が込み上げてきた。もしかしたらここが"あの場所"か?と、3回くらい頭を悩ませた。

 しかし、第二の候補地である"その階段"の前までやってきたとき、僕の中にはわかりやすいデジャヴ感が湧いていた。第一の候補地で沸いていた懐かしさやエモさとは比じゃないその感覚は、僕に頭を悩ませる余地を与えなかった。はやる気持ちを抑えきれずに早足で階段を登る。石段を一つ登るたびに、何度も何度も繰り返し夢で見た光景が目の前のそれと重なっていく。階段を登るにつれて、視界は徐々に徐々に桜色に染まっていく。


「やっぱりここが、一番綺麗だ」


 僕は独り言を漏らした。何故かはわからないが、この独り言は必然だった。お堀に沿って、見渡す限り全てが淡い桜色で埋め尽くされている。僕はやっと、またこの景色を見ることができた。


 小学生の頃、僕は間違いなくこの場所でこの景色を見ていた。それに関しては、まるで疑いの余地がない。僕がずっと気になっていたのは、それが1人だったのか、誰かと一緒にいたのか、誰かいたなら、それは誰だったのか、ということだ。何故かどうしてもそれが思い出せない。こんなに衝撃的に記憶に残る景色であるのに、何度も何度も夢に出てくるような景色なのに、思い出せないのだ。誰といたか思い出せないのなら、一人で見ていたんじゃないのか、最初はそう考えた。でも何度も繰り返しあの夢を見るたびに、僕はある感情を抱いて朝を迎えるのだ。


『⚪︎⚪︎はどこ?』


 強い弱いの差異はあれど、毎回この焦燥感が必ず胸の内にあった。絶対に誰かが僕の後ろにいたのだという確信めいたものがあるのに、それが誰であるかはわからないのだ。そしてその⚪︎⚪︎に抱く感情は、非常に言語化が困難なのだが、焦燥感の一種であるはずなのに、なんだか胸が暖かくなる系の感情だった。

 当時一緒に誰かと見たのだとしたら、母か、妹か、親友だった健史くんか、初恋の紗季ちゃんか、幼馴染みの優子ちゃんか……

 何度記憶を探っても、家族と思い出話をしても確信を得ることはできなかったので、最早この場所に来るしか答えを見つける方法はないと思っていた。"この場所"に辿り着くことさえできれば、記憶の扉が見事に開いて、誰であったかを思い出すことができると、何故か信じていた。

 ここは間違いなく"あの場所"であると、僕の脳みそは確信をしている。しかし、その記憶の扉とやらは一向に開く気配がない。これ以上ない最高の扉の鍵を用意したのに、それでも開かないというのであれば、記憶の扉の鍵穴はすでにぶっ壊れてしまったか、何かで固く埋められてしまったのかもしれない。僕がここにきてわかったことは、もうその扉が開くことはないということだ。僕の脳みそは、非情にもそう確信をしてしまった。

 

 その夜僕は、函館山のロープウェイに乗り、展望台から夜景を眺めた。世界三大夜景の1つに数えられる函館の夜景。香港・ナポリと並んで世界三大夜景に数えられるその理由は、海に囲まれ末広がりになっているその独特の地形にある。せっかく世界三大夜景の一つが日本にあるのだから、日本人なら一度は見ておくべきだ。あくまで個人的感想だが、その価値がここにはあると思う。

 展望台の柵にもたれかかって夜景の美しさに浸っていると、隣に同年代くらいのカップルがやってきた。「リア充は独り身に近寄ってくるなチクショー」と脳内独り言をかまして逃げようかと思ったが、その女性の横顔に、懐かしさを感じるような気がした。懐かしさという感情は不思議なもので、かなりの精度を誇っていたりする。過去の自分に全く関係のない場所やモノに対して、この感情が湧き上がってしまったことはほとんどない。初恋の紗季ちゃん、幼馴染みの優子ちゃん、またこの二人の名前が頭に浮かんでくるが、彼女たちのことは中学生当時の姿しか知らない。二十代半ばで化粧もバリバリしているこの女性は紗季ちゃんに似ているようにも見えるし、優子ちゃんに似ているようにも見えるし、どちらにも似ていないようにも見える。懐かしさという感情が湧くならそれが誰であるかまでもわかるべきだと思うが、僕の脳みそは懐かしいことがわかっていても、それが誰かまではわからないらしい。そんなの詐欺だ、と思いもするが、この懐かしさの度合いからすると、脳みそが嘘をついているとは思えない。カップルの会話が少しだけ聞こえてくるが、内容はいまいち掴めない程度で、女性の声質はなんとなく掴めたが、やはり誰であるかまではわからなかった。

 あーだこーだ脳内会議を重ねているうちに、カップルは夜景に飽きてしまったようで、お土産屋さんのほうに向かってしまった。僕には、女性に急に話しかける勇気なんてない。増してやカップルになんて無理中の無理だ。男の方に何を言われるか、想像するだけで恐ろしい。「俺の女になんかようかい」なんて定番の台詞を言いかねないちょっとイケイケな風貌の男だったので尚更だ。

 僕にとってのこの旅行は、初恋の人や運命の人を探すためではなく、夢の謎に対する純粋な興味、探究心を満たすための、あと食欲を満たすための旅行なのだ。だから僕がここで彼女に話しかけないことは、何も旅行の意義に反していない。僕は僕を華麗に納得させて、もう一度夜景に意識を向ける。ほぼ視線は夜景に向いていたのに、僕は夜景をちっとも見ていなかった。こんなに美しいモノでも、見えなくなることがあるなんて、面白い。


 翌日、僕は函館グルメで腹を満たす合間に、学生時代の思い出の地を巡ることにした。当時住んでいたマンション、通っていた小学校、中学校、よく遊んだ公園、好きだった駄菓子屋さん、健史くんが住んでいた家、僕が転んでちょっと大きな怪我をした交差点、どこも懐かしくて仕方がなかった。どれもが記憶の鍵になりうるという淡い期待はあったが、最強の鍵でダメだったのだから、これらの鍵は当然のように扉を開くことができなかった。

 初恋の紗季ちゃんはわからないが、幼馴染みの優子ちゃんが住んでいた場所は当時のマンションの近所だったのでよく覚えている。しかしそこに近づくのはなんだか犯罪チックな感じがしたのでやめておくことにした。記憶の扉を開く鍵になる可能性はあるかもしれないが、別の変な扉を開く鍵になる可能性も僅かながらにあるので、僕はそれのほうが怖かった。

 様々な場所を巡るにつれて、記憶の扉が開かないことへの確信が強まっていく。その度に、もうあの夢は見たくないな、と思った。見る夢をコントロールする方法は何度も調べたことがあるが、そんなものはどれも一度だって成功しなかった。枕の下に見たい夢が書かれたものを入れるとか、寝る前にそれに関連する何かを凝視するとか、どれも効果を発揮した試しがない。秋だろうと冬だろうと、僕は突拍子もなくあの桜並木の夢を見ていた。別に桜並木自体は好きなので全く問題はないのだが、とにかくあの焦燥感が嫌だった。

 まあ、嫌とは言っても、冷や汗がでるような鬼気迫る"嫌"ではない。あの焦燥感はそういう危機迫る感じではないのだ。もっと柔らかくて、優しい焦燥感なのだ。自分で表現しておいて、優しい焦燥感ってなんだよってツッコミたくなるが、それくらい言語化が難しい感覚だ。脳内独り言が極めて多い自分ですら言語化出来ないのだから、おそらくどんな人だって正確に言語化はできない感覚なのだと思う。「僕はあの焦燥感に名前をつけた。桜色の焦燥……」運転中に急にそんな脳内ナレーションが頭に浮かぶと、僕は思わずニヤけてしまう。既存の言語で言い表せないなら、新しく名前を付ければよい。そんな常套手段に乗っ取って、不思議としっくりくるネーミングができた気がした。あの焦燥感に色をつけるなら桜色だろうか、それは何とも言えないが、桜色に囲まれて抱いた焦燥感なのだから、桜色の焦燥と呼んでも差し支えはないはずだ。


 レンタカーを乗り回して思い出の地を巡り、グルメを堪能しまくり、二泊三日はあっという間に終わってしまった。もっと海鮮を貪りたいが、初任給が底をついてしまうので、これ以上はどうしようもない。これだけ楽しめたのだから、何も後悔はない旅だった。そう、後悔はない。僕はそう自分に言い聞かせて、函館空港発の飛行機に乗り込んだ。桜色の焦燥は、ずっと僕の心の中に残り続ける。そんな事実を受け入れて、僕は座席について目を閉じる。かなりハードな旅程だったため、席についてからものの数分で、僕は眠りに落ちた。


 僕は、またあの夢を見た。本物の桜並木を見たばかりなので、夢の中の桜並木はより鮮明に、解像度を増していた。僕は夢の中なのに、自分が今夢を見ていると気づくことができた。気づくといっても、半分くらい気づいている感じであり、半分は気づいていなかった。そこらへんは曖昧だ。僕の足はやっぱり遅くって、ちょっと走ったあとに、⚪︎⚪︎の存在が頭に浮かぶ。頭に浮かんでいるのに、⚪︎⚪︎という存在は鮮明になることもなく、解像度が増すこともない。そこにいることは間違いないと確信しているはずなのに、まるで見聞きができる気がしない。振り返った瞬間にこの夢を見続けることはできなくなるだろうという、変な確信は抱かれる。


 僕はこのとき初めて、僕の中に⚪︎⚪︎なんて存在しないのではないかという疑問を抱いた。


 僕は目を覚ました。時計を見ると、飛行機が離陸してから15分しか経っていなかった。まだ眠かったので再度眠りについたが、同じ夢を見ることはなかった。

 不思議なことに、僕はもう二度と、"あの夢"を見ることはなかった。

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