5.悩みに一押し
「ほっ……ほっ……ほっ……」
「ゆっきー、いいペースだね」
早朝のランニングは、
コースについては一定でなく何通りかあって、正確な距離は測っていないのだが、どのコースでも、一時間以上は必ず走る。
なんてったって、朝に走るのは気持ちいい。
心がすっきりと洗われるし、体力も付くしで、いいことずくめだ。
「そういえばゆっきー、今日は午後から雨らしいよ」
「知ってる。一昨日のように雷雨になる可能性もあるみたいだな」
「今日は部活休みかもねぇ」
「だよなー。さすがにナナキのやつも、雷雨の中では……お?」
と、ランニングの心地よさと、桜花との会話を楽しんでいたところで……遠目に、自分と同じくジャージ姿で走る人影を、那雪は見つけた。
進行方向は同じなのだが、走るペースは那雪達の方が速い。その人影の後ろ姿は、どんどん近くなっていく。
ただそれだけなら別に気に留めなかったが、
「……もしかして、平坂くん?」
「そうみたいだねぇ。朝走ってるんだ。初めて見た」
所々ハネがある髪の毛と女の子みたいな顔が、自分の知っているクラスメートのものと一致したのに、那雪と桜花は少し驚いた。
「え、七末と、鈴木か?」
一方のクラスメート――
「うん、おはよう」
「おはよ、平坂くん」
「え……ああ、おはよう」
二人して挨拶をしてやると、陽太は律儀に返してきた。
那雪としては、彼が朝のランニングを行っていたのには感心したのだが、まあ、ただそれだけだ。
「じゃあね」
「また学校でね、平坂くん」
そう言い残して、那雪と桜花はさっさと陽太を追い抜いて先を行こうとしたのだが、
「あ……て、てめ、負けるかよっ!」
陽太、持ち前の負けず嫌いを発動させたようで。
すぐさまこちらを追い抜いてきた。
「む……」
一方の那雪は、少々カチンとなったのだが。
陽太自身、結構雑なランニングフォームがだったためか、ものの数秒で息切れと共にペースダウンを起こし、那雪達にあっさり追い抜かれてしまった。
「なんなんだ……?」
「いつもの負けず嫌いかもよ」
二人して肩を竦めつつ、那雪達は自分のペースのランニングを継続させ、彼との距離をぐんぐんと離していこうとしたところ、
「こ、この、まだまだっ!」
陽太、またも、追い抜き返してきた。
で、またも彼が呼吸を乱してペースダウンして、こちらが追い抜くと、
「ふんぬっ!」
また追い抜かされる。で、また追い抜く。
そんな抜きつ抜かれつが、実に十回も続いたところで、
「――加速っ!」
那雪、とうとうムキになってしまった。
「あ、ゆっきー」
桜花がこちらに声をかけようとするもかまわず、明らかに普段よりペースを上げて、彼のことを置き去りにしようとするも、
「ま、待て、このっ!」
己に鞭を打つとはこう言うのか。
ほとんど無理矢理といった体で、陽太は那雪に付いてくる。
こうなっては、ペース配分も何もあったものではない。
「もう一段加速っ!」
「ふぬぬっ!」
「さらに一段っ!」
「ふぬぬぬぬっ!」
「くっ……一段飛ばして二段プラスのトップギアッ!」
「ふんふんふんふんふんふんぬ――――――――っ!」
お互い、相手に負けたくない一心である。
「あらら……ゆっきーも大概だねぇ」
そんな無茶苦茶な意地の張り合いは、約十分ほど続く傍ら。
一人、ペースを保つ桜花の呆れた声が、遠くから聞こえたような気がした。
「はぁ、はぁ、はぁ」
ランニングのゴール地点である、駅近くの大きな自然公園である緒頭公園の入り口にて、那雪は酸欠に喘ぎながら膝に手を突いていた。
普段なら、ランニング後の心地いい疲労を感じながら公園内をウォーキングしているはずが、今日はこの体たらくである。
「もう。ゆっきー、無茶はダメだっていつも言ってるじゃん。それじゃ守れるものも守れないよ」
「う……ご、ごめん、桜花」
しかも、遅れてやってきて、ほとんど息を切らしていない桜花にちょっと怒られる始末である。
那雪、ちょっと自分が情けなくなってしまった。反省。
それもこれも、
「ぜひゅ……ぜひゅ……」
公園入り口の隅っこで倒れ込んで、今にも死んでしまいそうな呼吸を繰り返している平坂陽太のせいであった。
……簡単にペースを乱されてしまった自分の未熟さも原因といえば原因であるのだが、それはそれとして。
「なんつー根性だよ、こいつ……」
「んー、まあ、確かにすごかったかもね」
内心、陽太が追いついてきたのに、戦慄せざるを得ない那雪であった。
先日の持久走で桜花にボロ負けして、那雪にも一周遅れ以上の大差をつけられていたというのに。
「単なる負けず嫌いで、ここまで追いつけるものなのかな」
「……いや、なんとなく、他に何かある気がする」
「そうなの?」
「本当に、なんとなくだけど……ま、その辺は別に深く考える必要もないか。どうする、こいつ」
「ま、放っておくわけにもいかないよねぇ」
ともあれ、二人は陽太を介抱することにした。
クラスメートであれ誰であれ、ちょっと危ない呼吸のままで倒れている人を、このまま放置できるわけがない。
「おーい、大丈夫かー」
「ぜふ……ぜふ……」
倒れている彼の身体を仰向けにしてみるも、ほとんど反応がない。
限界を超えて走っていたのだから、当然といえば当然か。
「……しょうがないな。ちょっと強引だけど」
「ゆっきー?」
那雪は公園入り口近くの公衆トイレおよび共用水道台まで小走りに向かい、備品である掃除用のバケツに水を汲み、
「そぉ……れっ」
「ぶはぁっ!?」
たっぷりに貯めた水を、陽太の顔面にぶっかけた。
陽太、意識を取り戻し、なおかつ失っていた水分も補給できたようで、反射ともいえる速さで上体を起こす。慌ててキョロキョロと辺りを見回して、バケツを持つ那雪の姿を認めた途端に、
「しょ、勝負はっ!?」
そんなことを訊いてきたのに、那雪と桜花はガクリとずっこけてしまった。
「いや、そもそも勝負なんてしてないから」
「でも、ゆっきー、乗ってたじゃん?」
「ぐっ……!」
隣にいる桜花に図星を突かれ、一瞬言葉に詰まった那雪だが……ここは、明確に結果を示すこととする。
「私の勝ち。平坂くんは倒れた、私は倒れなかった。こんな感じでいいでしょ」
「うぐっ……そう言われればそういう気もする……ちくしょう!」
本気で悔しがりつつ、己の膝あたりに拳をたたきつける陽太。
あんなに負けず嫌いに勝負を挑んでくるのに、食い下がらずにあっさり負けを認めるあたりは、その辺の明確な差というものは自覚しているのだろうか? よくわからない。
「それにしても平坂くん、なんでこんな無茶したの?」
「なんでって……おまえら、正義の味方って言われてるだろ」
「は?」
桜花が訊くと、陽太からは少し意外な答えが返ってきた。
確かに那雪と桜花は、校内ボランティアを主にする部活動に所属している。
その部の活動の幅広さは多岐にわたることから、校内では『正義の味方の部活』とまで噂されているのを聴いたが……あくまでそれは噂であり、那雪はそれを鼻にかけたりもしていない。
そんな思いに気付いていないのか、陽太は続ける。
「正義の味方といったら、そりゃもう強えェヤツだ。そんな強えェヤツに勝てたなら、ちょっとは男らしくなれると思ったし……何か、つかめそうな感じがしてだな」
「いや、私達は別に正義の味方ってワケじゃないから。フツーの女子高生だから」
などと言いつつ、一月ほど前のフツーではない体験が頭の中に浮かんだのだが、それはさておくとして。
「男らしくっていっても、闇雲に誰かに勝負を仕掛けて何とかなるものなの?」
「何とかしてェんだよ。こんな顔で、昔っから馬鹿にされたり、いつも女みたいだって言われたりしてっから……せめて、正々堂々の勝負で誰かに打ち勝って、オレの男らしさを示していかねェと」
「ははぁ……」
どうにも、自分の顔がコンプレックスであるらしい。
平均よりはずっと上だというのに、勿体ない。
確かに、前々から思っているとおり、女の子に間違えそうな顔立ちではあると思うが……否、それを打ち破りたいからこその、あの負けず嫌いか。
「……そっか」
そういう気持ちを否定するのは、那雪には出来ないことだった。
那雪自身、百五十センチにも満たない身長と平たい胸部という面で、いろいろ抱えている部分があるだけに。
ならばこそ、
「勝負を仕掛けるのもいいけど、それ以外にも、男らしさってのはあると思うよ」
「……む」
「例えばなんだけど。誰かに優しくしたり、誰かを心から笑わせたりすることも、立派な男らしさだと思う。それ以外にも、平坂くんにだって出来ること、あるでしょ」
そんな自信の無さは、自分の出来ることで補えばいい。
那雪も、己を鍛える延長で技術を磨くことで、それをカバーしてきたのだから。
「……確かに、そうなのかも知れねェ」
その思いを感じ取ったのか、陽太は苦々しげであるが、納得はしたようだった。
染み着いた負けず嫌いはそう簡単にはなくなりそうにないが、参考にはなったと思う。
「じゃあ、よ」
と、陽太は、少々迷った素振りを見せつつも、
「…………目の前で誰かに泣かれた時、どうすればいいか。おまえ、わかるか?」
何かを決断したかのように、口を開いた。
「? 誰かって?」
「…………」
桜花が訊くも、これには答えたくないのか、陽太はそっぽを向いて顔をしかめている。
……答えたくないというより、その人のことをまだよくわかっていないのかも知れない。
でも、那雪はその迷いに、何となく応えたい気持ちになった。
「その人のこと、放っておけないって思ってる?」
「…………」
黙って頷く。
「その人の涙を、止めたいって思ってる?」
「…………」
黙って頷く。
「その人のこと、好きになっちゃった?」
「ば……んな、んなワケねーしっ!?」
黙って頷くかと思いきや、これについては顔を真っ赤にしての否定。
「ゆっきー、それはちょっとライン越え」
「ごめん。でも……まあ、なんとなくね」
桜花に、またも咎められてしまった。反省。
ただ、
「それに……好きとかそう言うのとか、全然、わ、わかんねェよ……」
ムキになっての否定から未だに顔を赤くしたまま目を逸らして、ごにょごにょと呟く陽太の姿は……本人の容貌もあって、言わば、まるで恋する乙女のようであった。
「……なんだこの可愛い生き物」
「ほほう、なかなか……」
那雪と桜花、少しきゅんとなった。母性的な意味で。
……そのように和むのは彼に失礼だとわかったので、程々にしておいて。
大事なのは、陽太自身がその人の力になるために、何が出来るかを考えることなのだが。
「――そうだな」
何となく。
那雪の中で、思い出したことがあった。
「その人が平坂くんを本気で拒むのなら、平坂くんはその人のことを放っておくべきだと思う」
「…………」
「でも、もしそうじゃないのなら、平坂くんは、何も言わないままその人の傍に居てあげて」
「……傍に?」
「うん。それで、その人のことを存分に泣かせてあげて。それこそ、その人の気の済むまで」
「な、涙を止めるんじゃねェのかよ」
「泣きたいって感情はね、我慢しないで全部吐き出した方が後々楽になるって桜花が言ってたし、実際その通りだったから。そんで……それを受け止めてくれる人がいるって、すんごい救われることだから」
「……ゆっきー、それって」
昔の話だ。
那雪が、本当に正義の味方を目指していた頃のこと。
初めて現実を突きつけられ、涙した日のこと。
そして、自分が泣き止むまで、何も言わずに傍にいてくれた、幼馴染のこと。
「……よくわかんねェ」
そんな感慨を一言で終わらせる陽太に、那雪は少々ムッとなったのだが。
言葉とは裏腹に、立ち上がって歩き出す彼の姿は、先程まで体力が尽きていたとは思えないほどにしっかりしており、
「ま……ありがとな。なんか、スッキリした」
そう言い残して、陽太はその場を走り去っていった。
去っていく彼の後ろ姿を見送りながら、那雪は少し息を吐きつつ、
「……まったく、素直なんだかそうでないんだか」
「でも、ゆっきーの言葉、響いてたと思うよ。わたしも感動しちゃったし」
「そっか?」
「やっぱり、ゆっきーはわたしだけでなく、みんなの正義の味方ですなぁ」
「や、やめろって。もうそういうのは卒業したんだから……っていうか、それよりも、もうこんな時間っ」
「おおっと。急いで帰らないと、遅刻しちゃうねっ」
ふと時計を見て、那雪と桜花は顔を見合わせてから、大慌てで各々の自宅に戻ることになった。
なんと言っても、今日の一時間目は数学の小テストだ。
早く戻って準備をして、学校に行って予習をせねば。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます