3.出会いと雷鳴と


「やっと終わったぜ……くそう、長かった……」


 雨音が響くのを耳にしながら、平坂ひらさか陽太ようたは、凝り固まった肩を解しつつ、大きく息を吐く。

 先ほどまで、陽太は、体育の授業でクラスメートの鈴木桜花との勝負に敗れた罰として、同じくクラスメートである姫神ひめがみナナキが部長として務める部の、その助っ人として駆り出されていた。

 今日の活動内容は生徒会の会報作成の手伝いであるらしく。

 陽太に与えられた任務はホッチキスでコピー紙のページを閉じるだけという、ごく単純な作業であった。

 そのため、


『へっ、なんだ、こんな簡単なことかよ。オレにかかれば屁でもねェぜ』


 そのように強がった陽太に、


『ならば、われがその出来映えをチェックしてくれよう、ククク』


 姫神部長が、陽太の分の製本チェック係を買って出たのが、苦難の始まりであった。


『乱丁落丁があるぞ。閉じる前に、しっかりチェックせい』


『閉じた芯が歪んでおる。これでは製本する際、手に取った者が指を切ってしまうぞ』


『ミリ単位のズレがある。これでは見栄えが悪い』


『ホッチキスの握りがなってないのう。だから歪むんじゃ』


 そういった、姫神部長の細かい指摘を受けながら大量の作業をこなさないといけないのには、体力はともかく精神的にさすがに堪えた。


『ホレホレ、手が止まっておるぞ。お主自慢の根性はどうした。あれだけ大口を叩いておきながら、実は単なる口だけの腑抜けか? まったく男らしくないのう』

『う、うるせェ! まだ本気の半分も出してねーよっ!』


 ただ、自分から持ちかけた勝負に負けたのであれば、その罰に黙って従うしかないのであって。

 姫神部長の煽りには絶対に負けないという気持ちと、持ち前の根性で、陽太は一つ一つ仕事をこなし、永遠のように長い時間を経て、何とか任務を完遂して見せた。


『うむ、やれば出来るではないか。ナイスガッツじゃ。男を上げたな』

『フン……べ、別に褒められても、嬉しくなんかねェし? これがオレの本当の実力だし?』


 そして、最後の最後で姫神部長から労いと、何より『男を上げた』という誉め言葉を受けて、陽太は充足感に包まれたのであった。(ちなみに、周囲の人物に『……チョロい』『うん、チョロい』と囁かれていたのだが、陽太は気付かないままだった)


「あー、降ってんなー、ちくしょう」


 ともあれ、時刻は午後六時に差し掛かったところか。

 廊下から窓の外を見ると、最近はめっきり日が長くなっており、空はそこまで暗くなっていないが……夕方から雨が降り続いており、分厚い雲に覆われているため、明るいとも言えない。

 天気予報によると、この雨はさらに強くなり、それは深夜まで続くとのこと。


「さっさと帰るか……」


 今日は特に疲れた。

 ゆっくり休んで英気を失い、明日元気になったら今度は誰に挑もうか……と考えつつ、陽太は廊下を早歩きして、下に降りる階段を視界に納めたところ。


「……ん?」


 ――階段を挟んで対面の廊下から、一人の女生徒が歩いてくるのが見えた。


 背は陽太よりも少し低いくらいだろうか。

 セミロングのおさげ髪、眠たげな半眼、少々丸みのある顔立ち。丁寧に着こなしている制服の校章の色は二年生のものだ。

 つまり、陽太より一つ上の先輩にあたる。

 そんな儚げな印象の彼女に、陽太は一瞬、目を奪われたが……ただそれだけだ。女子生徒と出くわすことなんて、下校時刻の放課後でも、何ら珍しいことではない。


「……ここは、先を譲るべきか」


 そんなことよりも……このままだと、階段に差し掛かったところで、彼女と一緒に降りるみたいな状況になってしまう。

 どんな形であれ、女子と肩を並べるというのは、陽太としては妙な気分になる。

 そんな思いで、陽太は歩むペースを少々遅くして、眼前の先輩に道をゆずろうとしたところで、


「――――」


 突然、窓の外からの眩しい光が、一瞬だけ一帯を照らし、


 ドド――――――――ンッ!


「……うぉっ!?」


 数秒遅れて爆発したかのような轟音が響いたのに、陽太はビクリと肩をふるわせた。

 何事かと思ったのだが……どうやら雷が落ちたらしい、と言うのがわかった。

 距離的に結構近くに落ちたようで、まだ余韻が残っている。


「ビ、ビックリした……あんま、驚かせるな、よ……?」


 高鳴る鼓動を押さえつつ呟いたところで、陽太は気付く。

 ――対面を歩いていた先輩の少女が、両耳を手で塞いでうずくまっているのに。


「……え?」


 陽太には、何が起こったかわからなかった。

 うずくまっている少女はピクリともその場を動かず、ただただ固まっている……否、これは。


 ――震えて、いる?


「お、おい、大丈夫か? いけるか? げ、元気ですかーっ?」


 思わず彼女に声をかけられずにいられなかった陽太だが、この世に生まれてから今まで、親類を除く異性の扱い方をまるで理解していないので、自分でも何をしゃべっていいものかがわからなかった。

 しかも、声をかけても、少女は震えたまま反応を示してくれない。

 近づくのも躊躇われたが、陽太はしゃがみ込んでもう少し詳しく彼女の様子を窺おうとすると、


「――――!」


 ダダ――――――――ンッ!


 もう一度、光が暗がりの廊下を照らすと共に、雷鳴が響いたと同時に、



「ひ……ん……っ」



 少女が、うずくまって固まったまま、小さな悲鳴を上げた。

 とても頼りなげで、か細い声だった。


「……そっか」


 これにはさすがに、陽太は理解する。

 彼女は、雷が苦手なのだ。

 尋常でない怖がり方から、相当なものなのだろう。

 ただ、そこまでわかったとしても、ここからどうすればいいか、陽太には何も思い浮かばない。


「ええと……と、とにかく、誰か呼んでくるっ」


 ここは、誰かを頼るしかないないようだ。

 職員室に行けば、先生が残っているかも知れない。大人さえ呼べば、なんらかの対処をしてくれるだろう。

 そういう思いで、陽太は彼女にそのように言い残しつつ、階段を下り始めるのだが、



「――……な……で」



 雨音と足音と混じって、声が聞こえたような気がした。


「?」


 一瞬、陽太は振り向いたが、階段を下りた後ではそれが何であるかの確認が出来ない。


「…………」


 ここで引き返すことも考えたが……それ以上は何も聞こえないので、陽太は職員室に行くのを優先した。

 幸い、職員室には陽太のクラス担任と顔見知りの養護教諭のが残っており、二人を連れてその場に引き返すと、先輩の少女は未だに身動き出来ずに居たので。

 あとは、二人の大人に対処を任せることになった。


「ごめんマサ先生、ルー先生。あと頼んます」

「おう、親御さんにはオレから言っておく」

「あとはわたし達に任せて、キミはそのまま真っ直ぐ帰宅すると良いのです」


 少女に肩を貸して職員室に戻っていく担任と養護教諭を見送って、一息を吐いてから、


「……ん?」


 陽太は、廊下の隅に何かが落ちているのに気付いた。

 ポケットサイズの紺色の革製の外見は、生徒手帳だ。自分も持っているからわかる。


「…………」


 なんだか後ろめたい気持ちながら手帳を開いてみると、もちろん、それが自分の物ではないのは一瞬でわかった。

 あの時、おそらく、彼女が落としていったものなのだろう。



「二年三組。小森こもり好恵このえ



 学年およびクラス、姓名を陽太が呟くと同時に、


 デデ――――――――ンッ!


 再び近くで雷の落ちる音が響いた。


「あ、いや、なんだこのタイミング……」


 思わず呟かずにいられない陽太であった。

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