12 挿話 密談

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1989年7月18日 午後11時

寒戸関小中学校

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夜の寒戸関小中学校。その校舎内には中川五兵衛、土屋冬馬、祝真名美の三名がいた。


職員室には五兵衛と真名美。


電気は机の小さな薄暗い照明を一つ付けているだけだ。

窓はカーテンで閉じられている。

外部にはほとんど光が漏れておらず、一見しただけでは学校内に人がいる事は分からないだろう。


冬馬は学校内を足音も立てずに巡回しつつ、外部に誰もいないことを確認しながら時折職員室に出入りする。


職員室に真名美と五兵衛しかいない時でも、冬馬は並外れた聴力で二人の会話を聞いており、自分が発言する時だけ職員室にやって来る。


その夜、外は風が強く音を立ててふいていたが、冬馬に取ってはそれは大した障害では無かった様だ。


どうやら3名だけの密談の様だ。


「ほう。 北輝久は宣戦布告と言ってこの紙切れを真名美に渡したのか」


不意に職員室に来た冬馬が、真名美に言った。


「はい。そうなんです」

真名美が答えると、冬馬はまた巡回に戻って行った。


「けどよぅ。何だって北の野郎、こんな紙切れを?真名美、その名前に心当たりはあるのか?」

今度は中川五兵衛が真名美に尋ねる。


「心当たりはあります。けれど何故北さんとの繋がりがあったのかは見当もつきません」


「ならその佐藤創名ってのは何者なんでぇ?」


真名美は用紙を数枚取り出した。


「ここに書かれているのは、私が高校時代2、3年時に空手部と柔道部で参加した、全国大会個人戦のトーナメント表なんです。この中に”佐藤 ”と言う名前があります。私より一つ下の学年、ナっちゃんより一つ上の学年の女の子です。今年高校卒業したと言う、北さんの証言とも一致します」


「んん?北のよこした紙切れの名前は”佐藤 ”だったんだろ?じゃあよく似た名前の別人なんじゃねえか?」


「そこが私も引っかかってるんですけど・・・。北さんが言うには過去数年の間に私やナっちゃんと面識が有るらしいんです。他の人の可能性も考えて色々思い出そうとしたんですが、他に思い当たらなくて・・・」


「なんでぇ。その佐藤って奴は名二三とも面識があるってえのか?」


真名美は他にも用紙を数枚取り出した。


「これはナっちゃんから先ほど借りた剣道の全国大会のトーナメント表です。ここにも”佐藤 絆”という名前があります」


五兵衛は空手と柔道、剣道のトーナメント表を見比べる。


「これは名二三の1、2年時のトーナメント表だな。つまり佐藤って野郎は色々と武道を掛け持ちしてそれぞれ全国大会に出場出来るほどの実力者ってことかぁ?大した奴じゃねえか」


五兵衛は少し感心した様に言う。


「そうなんです。相当な実力者なんです」


「で、全国大会では佐藤はどこまで勝ち上がったんでぇ?」


「年にもよりますが、それぞれの大会で全国ベスト2からベスト8までの間まで行ってるんです」


「そりゃ凄えな。で、真名美や名二三とは直接対戦経験はあるのかい?」


「はいあります。実は柔道、空手ではそれぞれ私と1回ずつ当たった事があるんですけど、柔道で私の1勝0敗、空手で私の1勝0敗なんです。ナっちゃんとは剣道で二回とも当たっていて、ナっちゃんの2勝0敗です」


「なんでぇ。じゃあ佐藤よりお前らの方が強いんじゃねえか。案外大した事ねえな」


「いや、結構接戦でした。それに佐藤絆って子、小柄なんです。それなのにどの大会でも無差別級で挑んでいてこの成績なんです。それに私は全国ベスト4が最高でしたけど、この子はベスト2まで行ったこともあるので一概には比較できません」


「確かになあ。真名美でさえ剣道は県内予選落ちだったしな。剣道の実力は真名美よりは上ってことかぁ?」


「そういう事になります」


「真名美が対戦した時の佐藤絆の印象はどうだった?」


いつの間にかまた職員室に気配無く佇んでいた冬馬が尋ねる。


「技のレベルがとんでもなく高かったです。それに自然体で力みの無い戦い方をしつつも、闘気を超えて殺気の様な物も感じられました。私はリーチの差で何とか勝ちましたが、同じ体格だったら負けていた可能性が高いです」


真名美は167cmの身長。

女子にしては比較的高いほうだ。


対する佐藤絆は150cmを少し超える程度の身長だったと言う。

ちなみに名二三は160cm。平均的な女子の身長だ。


「名二三は佐藤絆の事を何か言っていたか?」


「動きに独特な物を感じたそうです。当てることを目的とした剣道よりも・・・実戦的な物を感じたと言っていました」


「真名美と名二三にそこまで言わせる程の手練れか・・・」


フッと冬馬の姿が消える。

また巡回に戻ったのだろう。


「佐藤絆が相当な武道の実力者なのは分かったけどよ。何でそいつが北なんかとつるんでいやがるんでぇ?」


「さあ。そこばかりは私にも分かりません。ただ、北さんと同じように村を探る為に来るなら、何故わざわざ北さんの仲間として、祝旅館のお客さんとして、身元を明かした上で堂々といらっしゃるのかが不可解に思えます。北さんは既に注意人物として五兵衛さんや冬馬さんにマークされてます。新しく自由に村を探る人物が欲しかったなら、身元を明かさずにさりげなく来れば良かったのではないかと思うんです」


「そうだなあ。よっしゃ!なら佐藤が来たら、俺ァが直々にその真意を問いただしてやらあ!絆だか創名だか知らねえが白状しやがれっ!てな」


「五兵衛。念のため聞くが、それは冗談で言っているんだよな?」

冬馬が五兵衛に尋ねる。


「何だと冬馬!?俺ァ本気でぇ!」


「なるほど。面白い冗談だ」

冬馬はフッと薄く笑う。

表情が薄いので分かりにくいが、皮肉的な笑いでは無く、楽しそうな笑い方である。


実際冬馬は五兵衛には心を許していた。

二人は子供の頃からの友人だ。

普段注意深い行動を心がける冬馬に取って、裏表のない五兵衛の生き方は正反対だが、何故か馬は合う様だった。


「真名美ご苦労だったな。旅館の客人の情報を売らせる様なマネをさせてしまってすまなかった」


「いえ。北さん自身が冬馬さんや五兵衛さんに話して良いと言っていた訳ですから・・・お二人の耳には入れておいた方が良いかと思いまして」


今まで五兵衛や冬馬が北輝久の事を注意しているのは知っていたが、真名美は祝旅館の客人である北の情報を無暗に2人に流すことはしてこなかった。

真名美にも旅館経営のプロとしての意識があり、顧客情報は尊重していた。


だが、今回北が村の暗部をネタにして記事を書いたと、ある意味自白の様に言い切り、なおかつ不自然なまでに固執してその調査を継続すると宣言したのだ。


・・・それはもしかしたら、真名美がドア越しに北に本音をぶつけた事に対する、北なりの誠意の一つだったのかも知れない。


だが、北が宣戦布告とまで言った以上、真名美も五兵衛や冬馬に報告せざるを得なかった。


「それじゃあ五兵衛さん、冬馬さん。私はこれで失礼いたします」


「おう、おやすみ」


「ご苦労だったな」


真名美は旅館に帰り、五兵衛と冬馬だけになった。


「どうでえ?冬馬。お前の見解を教えやがれ。俺の予想だと大橋刑事と北が繋がってるんじゃねえかと思うぜ?」


「どうかな。北輝久と警察組織は本来、敵対的関係のはずだ」


「大橋は警察官だが、個人として北とつるんでるんじゃねえかって言ってるんでぇ。この件に固執してるのは大橋だって同じだろうが」


「成程。お前にしては中々鋭い考察だ」


「どうでえ。見直したか?」


冬馬は五兵衛の考察を否定はしなかった。

実際その可能性も冬馬は排除していなかった。


だが・・・冬馬は問題の本質はもっと根深い所にある気がしていた。


「佐藤 創名・・・この名前からお前はどの様な連想を受ける?」


「どうもこうも佐藤なんて苗字は多いし、キズナなんて名前もそんなに珍しくねえだろ」


「”創った名”・・・。これは俺たちに向けたメッセージの様に思える」


「メッセージだと?」


「偽名だ」


名を創る。

創った名。


胡散臭い人物がこれ見よがしに名乗る名前。


”創名”。確かに偽名であると明らかに宣言している様に思える当て字だ。


「まあ、一種のペンネームの様な物だろう。フリーライターが本名を名乗る必要も無いだろうしな」


「じゃあ何か?やっぱり本名は・・・こう書いて”絆”か?」


五兵衛は机にあったノートに”絆”と書いて冬馬に見せる。


「まあ恐らくはな。ただ・・・公的な武道大会の選手名に偽名で出場するのもやり方によっては不可能では無いかも知れない。それを踏まえると”佐藤”と言う苗字も日本ではありふれ過ぎている」


「どう言う意味でぇ?」


「つまり、”サトウキズナ”そのものが全て偽名かも知れない」


「ふーん?けどそうだとして何か意味があるのかねえ?」


「漢字はこの際保留だ。お前は”サトウキズナ”と言う人名に聞き覚えは無いか?」


「サトウキズナ、サトウキズナ・・・。うーん。どうだか」


「なら”キズナ”はどうだ?」


「キズナ、キズナ・・・。ん?その響・・・何処かで・・・」


「そうか。やはりお前も引っかかるか」


「何だお前。何か分かったてーのか?」


「いや、確証は無い。そこまでで十分だ」


「は?教えろよ」


「これ以上は誘導尋問的な答えの誘導になってしまう。それだと客観性に欠けてしまう。後は弥栄にも・・・いや、辞めておこう」


冬馬は少し考察をしていたが、これ以上は何も答えない様だった。


「おい。何一人で勝手に納得してやがる。お前の罪の半分は俺が負担してやるって約束だろ?何でもかんでも一人で抱え込むんじゃねーよ!」


「そんな約束はした覚えは無い。五兵衛が勝手に言っているだけだろう。お前に罪は何も無い」


「待てよ。おい」


五兵衛は言ったが冬馬は影のように姿を消してしまった。


「チッ!あの分からず屋め!」


五兵衛は一人残された職員室で、一人で毒づいた。

時計を見る


「何でえ。もうこんな時間か。教師が寝坊で遅刻する訳にも行かねえな。俺も帰るか」


五兵衛も学校を後にし、校舎には誰もいなくなった。


サァーと強い風がふく。

強い風の音がする。


校舎の中には誰もいないが、風に揺られておぼろげな人影らしきものが遠くの裏山からユラユラと校舎を眺めている様に見えた。


いや、それは人影では無く、何処かから飛ばされてきた単なる布切れが、風に揺らされてそう見えただけかも知れない。


その人影の様なものは何かを呟いた様に聞こえた。

しかし、その声は風によって遮られた。


いや、あるいは呟きそのものが強風の音による幻聴だったのかも知れない。


━━━このカゼ、きらい。なにか、わるいことが、おきるときの、まえぶれって、ババさまが、いつもいってた。

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