13 3日後
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1989年7月21日 金曜日
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僕は午後の昼下がりの中、祝旅館の玄関先を掃除していた。
この間過呼吸があった日は弥栄さんとマナミさんに全力で止められ、仕事が出来なかったが、その後は発作らしい発作など起きず、また仕事にも慣れてきたためピンピンしており、ちょっとづつ仕事をさせて貰える様になり、今はほぼ完全復帰と言っても良いだろう。
ただ、今日から週末だ。
お客さんも多くなる。
そこだけは覚悟しておかないと。
それに明後日。
寒戸関村祭りがある。
なんだかんだ言って日曜日の夜にも関わらず、旅館は予約が満室になったそうだ。
僕は例の空き家にこれ以上のお客さんが増えたら宿泊させるのか聞いてみたが、結局その話は無しになったそうだ。
「大橋刑事が見てるかも知れないしね。やっぱりグレーゾーンな方法は今年は諦めるよ」
とマナミさんが言っていた。
発作があったのが3日前。
その晩は売店横のスペースで睡眠を取った。
途中で弥栄さんやマナミさんが隣の寝室から時々僕に異常が無いか確認している様な節があった。
本気で心配してくれていたのだろう。
その次の日はマナミさんか弥栄さんと一緒にいる事を条件に少しだけ仕事をさせてもらった。
僕は仕事をスムーズにこなして見せ(本人談だけど)その様子を見た弥栄さんやマナミさんは少し安心してくれたみたいだった。
その次の日、つまり昨日は寒戸関小中学校の生徒たちと砂浜の清掃をさせてもらった。
「餓鬼ども。海のゴミ野郎どもの退治だぜ!!」
五兵衛さんがそんな事を言って生徒たちの音頭を取っていた。
生徒たちは遊び半分、仕事半分と言った様子で砂浜のゴミ集めと、海藻退治に勤しんだ。
僕もやったが、重労働の割に、新鮮な作業で案外楽しかった。
結構砂浜も綺麗になり、お客さんも海水浴を楽しめる位にはなったと思う。
・・・北さんは19日から朝食と夕食は客室の自室で取る様になり、食事は弥栄さんが運んだ。
親しげだった北さんは最低限の話しかしなくなり、旅館の空気も賑やかさが少なくなった様に思えた。
昨日の夜、仕事が終わり、売店横のスペースで寝ていると、不意に隣の寝室から弥栄さんの寝言が聞こえた。
「ごめんね。・・・ナナ。孤独にさせてしまって、ごめんね」
弥栄さんは泣いている様だった。
「大丈夫だよ。ナナは、大丈夫だよ」
マナミさんが弥栄さんをなだめている様な声も聞こえた。
僕は少し心配になって、隣の寝室にノックすると、様子を確認させて貰った。
マナミさんが説明してくれた。
「母さん。夢でうなされる事が多いんだ。時々よく分からない事を呟くんだけど、私が手を取ってなだめてあげると、大抵安心したような顔になってぐっすり眠りに着くんだ」
僕は聞いてみた。
「弥栄さん。何かを謝ってる様に聞こえたんだけど、大丈夫かな?」
「大丈夫。大丈夫。むしろカネちゃんの寝言やうめき声の方が心配になるレベルだよ」
う・・・そう言えばそうだった。
僕も寝ている間無自覚に寝言を言ったり、うなされてるんだっけ。
そして今日。
朝食作りも客室清掃も見事にこなし(本人談)、今の玄関先の清掃に至っている。
僕は鼻歌交じりに掃除をしていた。
「~♪」
「ご機嫌そうっスね。お兄さん」
不意に後ろから声を掛けられ、僕はビクッとした。
は、恥ずかしい所を見られてしまった・・・。
旅行カバンを持った割と小柄な女性・・・。
いや、女の子・・・?
もしかしたら僕より年下かも知れない。
サラサラの背中までかかる長めな髪がよく似合っている。
それに体育会系的な体つきと言うか・・・、小柄ながら良く引き締まったスレンダーな体つきをしていて凛とした美しさがある。
「あ、いらっしゃいませ。本日のお客様でしょうか?」
僕はとっさに挨拶した。
その女の子はマジマジと僕を見つめる。
?
僕何か顔に付いてるのかな?
「へ~。事前に見せて貰った写真通りっスね」
そう言って女の子は写真を取り出した。
その写真には・・・僕が写っている!?
え?どうして?いつの間に誰が!?
僕の思考を読み取ったのか、彼女は言った。
「あ、この旅館に北輝久って変なオッサン泊ってるっスよね。その人に隠し撮りお願いしたんスよ」
北さんが・・・!?よく見ると写真の僕は正面を向いていない。
確かにいつの間にか隠し撮りされていたみたいだ。
「けど、写真より実物の方が素敵っス!気弱そうだし、小動物っぽい可愛さがあるし、優しそうな顔付きだし、フムフム、それでいて痩せている様に見えて、そこそこ筋肉もあるっスね。身長も170cmちょっと位っスか?全部自分好みっス。お兄さん」
何だ何だ?
初対面の女の子からよく分からない誉め方をされてる・・・。
と言うよりも・・・。
この子が北さんの知り合いと言う事は・・・。
「申し遅れました。自分、こういう物です!」
女の子は名刺を取り出した。
”フリーライター 佐藤 創名 (さとう きずな) 19歳”
やっぱり・・・そうか。
彼女が北さんが呼んでいた、フリーライターで同業者兼後輩、佐藤さんか。
「よろしくお願いします。僕はこの旅館の従業員で・・・」
「本間鐘樹お兄さんっスよね。自分、あなたの事はいっぱい知ってるっス」
・・・流石北さんの同業者だけあって情報が早い。
「えーと。お泊りは北さんと同じ部屋でよろしいでしょうか?」
「北さん?ムリムリ。自分あんなオッサンとは一緒の部屋で泊れないっス」
え?そうなの?
まあ今日は空き室があったはずだし特に問題は無いけど・・・。
「それよりもこの旅館の南側の空き家、お金出せば泊れるんスよね?」
「え?いや、それは多分・・・今年はやらないんじゃ無いでしょうか」
佐藤さんはいつそんな情報を知ったんだ・・・?
あ、そう言えば僕がここに来て2日目の朝マナミさんとそんな話をしていた。
その時北さんは台所の調理音や僕の寝起きの絶叫を聞いていたはずだ。
となると、隣の空き家を満室対策に使うと言う話も聞こえてたはずだ。
・・・多分そこから聞こえた話を北さんが佐藤さんに伝えておいたのだろう。
「北さんとは無理っスけど、お兄さんとなら隣の空き家で毎日寝泊りしたいっス♪」
え?何で僕と・・・?
不意に佐藤さんは僕に近づくと、力いっぱい・・・愛おし気に抱きしめられた。
「ずっと・・・。お会いできるのを楽しみにしてたっス。・・・お兄さん」
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