第46話 体育祭が終わって

 香織が差し出すバトンの感触が、俺の手に伝わる。

 既に走り出していたけど、全員の想いを掴むと同時に加速した。

 

 俺の目には応援スタンドやチームメイトも映っていない。

 視界に入っているのは前を走る4人だけ。

 騒がしかった声援すらも聞こえておらず、走る足音だけが耳に入ってくる。


 熱くなりすぎて、周りが見えなくなっているんじゃない。頭の中は冷静そのものだ。


 この感覚は過去に何度か経験があった。

 大きな舞台に立った時にしか入らなかった不思議な感覚。


 それを体育祭で感じるとは思わなかったけど、今の俺にとっては好都合だ。


 総合順位の3位を確定させるにはリレーで2位になる必要があり、トップだった順位も5位まで落ちてしまっている。


 ……3人をどう抜かすか考えないと。


 陸上だとコースが決められているから、ただ全力で走るだけだ。

 だけど、ここは学校のグラウンドだから全員が好きな場所を走っている。


 トップのすぐ後ろを1人が追走していて、少し距離を開けて残りの2人が並走している状態だ。


 コーナーで外側に行くのは厳しいな。大回りになりすぎてロスが大きい。

 仕掛けるタイミングを何処にするか……そうなると……あそこか……


 ──最後の直線しかない。


 直線に入る時に外から抜け出せば、ロスは最小限で抑えられる。


 最終コーナーの途中で並走中の2人に追い付き、そのまま背後に付く。

 目の前では2人が競り合っていて、俺の存在に付いていない。


 そして直線に差し掛かると、2人は走る勢いで曲がりきれず内側にスペースができる。

 俺はその瞬間を見逃さなかった──


 ──ここだ、今しかない!


 ギアを上げて加速すると2人のを突き、一気に抜き去る。

 2人から「あっ」と声が聞こえるけど相手にしてられない。


 計算していたロスが消えた。これなら──


 順位は3位まで上がり、目的達成まで残るは──あと1人。


 前で争っている2人の順位は変わっておらず、トップの後ろを2位が追走している。


 先頭の奴はどうでも良い。捉えているのは2位の背中だけだ。


 ギアを上げるとトップスピードで追い上げ、ゴール手前で2位の背中に追い付く。


 もう一段、もう一段上へ……


 これ以上は無理だと分かっている。

 だけど腕を限界まで振り続け、2位の横に並ぶと一瞬で抜き去った。



 そして……最後の1人も──



 抜いたと同時にゴールテープを切った。



「……はあ、はあ……勝った……のか」


 俺は足を止めて大きく息をしている。

 リレーを走ったのは2年振りか……やっぱり楽しいな……毎日走ってるけど全然違う。


 感傷に浸っていると、周りが静かになっているのに気付いた。

 グラウンドに生徒達が居るのに声が全く聞こえない。


 ……なんだこれ?


 周りを見ると視線が一点に注がれていて、俺に向けられている気がした。

 そして係員のアナウンスが流れる。


『クラス対抗リレー決勝戦の結果を発表します。1着は3年2組。2着は──』


 やっぱり勝ってた……と思ったら大歓声が鳴り響き、驚いていると涼介の声が聞こえてくる。


「シュウー! お前マジかよ! 何なんだよアレ! 凄すぎるって!」


「痛って! 飛び付くなよ……それに重いから乗るなって……おい! 鼻水付けるな!」


 涼介は泣きながら飛び付いてきた。

 すると今度は香織が突っ込んでくる。


「シュウくーん! ミスを消してくれてありがとー! 凄くカッコ良かったー!」


「──ゲホッ! 香織、タックルは止めてくれ……これはダメだって……」


 香織のタックルは痛かった。

 涼介に抑え込まれていて、受け流せずダメージをモロに食らう。


「藤堂くん、見てて本当に凄かったわよ。だから諦めなさい」


 今度は第一走者の清水さんだった。


「でも、理由があって走れないって言ってなかった?」


「──っ!」


 そ、そうだ、走れない設定だった。

 め、目立つ行動はできないのに……


 走った事に後悔は無いけど、不安な気持ちになる。


「高校三年間はコッソリ目立たず過ごす予定なんだよ。だから早く立ち去るぞ。ここに居たらマズイ……ほら、涼介と香織も退いてくれ。俺は早く逃げる」


「もう遅いわよ? 既に目立ってるし」


「そうだよな……」


 今も全校生徒から拍手を浴びているし、クラスの連中も俺達の方に走って来ている。

 そして俺はクラス全員から揉みくちゃにされた。





 最終順位の発表と閉会式が終わり、俺達は教室に戻っている。


「はーい、注目してー! お店には18時に集合だから遅れないでね! それと最後に……3年2組『総合優勝』おめでとー!」


 俺達のクラスは──総合優勝だった。


 担任の秋月先生が嬉しそうに話していて、焼肉の日程については「今日食べたい!」「そのつもりで昼から食べてないの!」と言って勝手に決められる。


 焼肉まで3時間あるので一度解散になり、俺は涼介と香織の3人で学校を出た。


「……涼介、俺に『リレーで2着が必要』って言ったのを覚えてるか?」


「覚えてるぞ。それがどうした?」


 ……どうしたじゃねーよ。

 それに「早く焼肉食いてー」とか言ってるし。


「あのままでも大丈夫だったじゃないか! 俺は無駄に目立っただけだろ!」


「ああ、あれか! 驚いたよなー。とりあえず終わったことだ、気にすんな!」


 リレーの結末だけを見ると、5位をキープしていても総合順位は3位だった。

 総合上位のクラスはリレーで6位以下となっていて、勝手に自滅してくれたからだ。


 そう、俺が目立つ必要は全く無かった。


「シュウくんが1着になったから総合優勝できたんじゃない」


「……そうだけど、ちょっと目立ちすぎた」


「ハハハ、シュウ。ちょっとじゃ無いって! めっちゃ目立ってたぞ!」


 他人事だと思って笑いやがって……でも、どうする? 九条さんの件で注目されて、更にリレーでも目立ってたし……

 高校生活を地味に過ごす予定が、色々と崩れてきた気がする。


 今後について悩んでいると、香織が俺をジッと見ていて口を開く。


「本音を言うと、中学時代みたいに表に出てきて欲しいけど嫌なんでしょ? それなら焼肉では更に地味な格好をした方が良いよ。シュウくんってオシャレな服が多いけど、地味な服は持ってる? 間違いなくMVPになるから目立つよ」


「地味な服か? 持ってない。でも、探せばあるかも……」


 デザイナーから貰った服が多いからな……後で探してみよう……


 帰宅してすぐクローゼットの中を物色したけど、地味な服は無かった。

 普段は帽子を被ったり髪型を変えてるから大丈夫だけど、学校の俺として会う服が無い。


 そして捜索を続けていると、袋に入ったTシャツを見付けた。


 これは前田から貰った服だな……

 でもダメだ。これだけは恥ずかしくて着れない……逆に目立つから止めておこう。


 ……もう制服のままで良いか。





「シュウ、それで制服のまま来たのか?」


「ああ、地味な服が無かったからな」


 涼介と集合場所に向かっていて、制服を着ている理由を話していた。


「そうか。でも、ちょっと気になるな……前田から貰ったTシャツ。今度着てみてくれよ」


「家に来たら見せてやるよ。でも、絶対に着ないぞ。……そうだ、涼介が着てみろよ。写真も撮ってやるから」


 集合場所には既にクラスの半数が到着している。

 クラスの半数以上が私服で来ていて、私服じゃない人は部活のジャージを着ていた。

 しかし制服姿のまま来ている人も居るから目立つ心配はなさそうだ。


 そんな事を考えていると、涼介が俺を肘で突きながら小声で話してくる。


「おい、シュウ見てみろよ。ギャル軍団は私服も凄いぞ」


「……ああ、そうだな」


 吉村さんと島崎さん……そして九条さんの3人は、クラスの中でも一際目立っていた。


「あの3人は私服でも目立ってるな。特に九条さん」


「……ああ、そうだな」


「どうした? さっきから『そうだな』しか言ってないけど」


「……いや、ちょっと驚いただけだ」


 2人で出掛ける時はシンプルな服だけど、今は派手な服を着ている。

 九条さんの派手な私服は見たことが無く、その徹底した姿に驚いていた。


「ハハハ、シュウは驚きすぎだろ。おっ……先生が来たみたいだぞ。皆も入って行ってるし、俺達も店内に入ろうぜ」


 店内では全員が好きな場所に座っている。

 俺達は座席を探していると、秋月先生に呼ばれた。


「クラス代表の2人と藤堂くんはこっちよ。それと藤堂くんはコレを着けといて。なんたって総合優勝の立役者だからね!」


 そう言って『今日の主役』と書かれたタスキと変な王冠を渡される。


「えっ、コレを着けるの? 勘弁して欲しいんだけど……」


「藤堂くんの事情は知ってるけど、MVPは確定だから諦めなさい」


 回避する方法は無さそうだ。

 周囲からも「MVP!」「主役!」と聞こえていて拒否できる雰囲気ではない。


 諦めた俺はタスキを着けて王冠を被った。

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