第5話 恋愛方程式の解き方 5



 それにしても多重人格なんて、テレビでしか聞いたことも無いような言葉だ。少なくともあたしの日常には初登場である。女の子かと思っていたら実は男の子で、二股な上に同性愛で悩んでいるかと思いきや、多重人格まで出てくるとは。なんてややこしい相談者なんだ。


「なんだか、すごい複雑なことになってるな~」


「それが……」あたしの率直な感想を聞いた秋月さんは、少し申し訳なさそうに続けた。「ここからがまた少し複雑なんだ」


「え、まだなにかあるの?」


 呆れながらも、内心はこの珍しい恋話を楽しんでいた。スズ姉の事を不謹慎だなんて言えない。


「実は、凛花ちゃんと凌には好きな人がいて……」


「ええ⁉ じゃあ、もう秋月さんに勝ち目は無いってこと⁉」


 遠慮なく言い放ったあたしを秋月さんは怒ったように軽く睨みつけて、「まだそうと決まったわけじゃない」と口を尖らせる。


「だって、二人の好きな人は同じ人なんだから」


「はあ⁉」


 これまた突拍子も無い言葉に素っ頓狂な声を上げてしまう。そんなあたしの横で、スズ姉も「あら」と短く声を上げた。


「じゃあ、凛花さんか凌さんのどちらかは同性が好きという事かしら」


 スズ姉のその言葉に頷く秋月さん。もし、同性が好きな人が凌さんの方なら、秋月さんにもまだ望みは生まれる。だが、残念な答えが室長の口から告げられる。


「凛花サンと凌サンの好きな方は、二年の右京新菜うきょう にいなサンデス。つまり女性デスね」


 女性という事は、同性が好きなのは凛花さんという事になる。それでは、男の秋月さんが凛花さんに振り向いてもらうのは難しそうだ。同時に、異性が好きな凌さんに同性である秋月さんがアタックして成功する確率も低いだろう。


 複雑で切ない秋月さんの悩みに、あたしたちは何も言えなくなってしまった。


「こんなの、不正解だ」


 沈黙を破ったのは秋月さん本人だった。


「僕の好きな人が凛花ちゃんだけで、凛花ちゃんの好きな人が僕で、凌の好きな人が右京さんで、右京さんの好きな人が凌であるのが、正解のはずなのに」


 俯いて両手でジャージを掴む秋月さんの肩は震えていて、思い通りに行かない恋への歯がゆさと、それでも好きなのだという想いの強さが窺い知れる。本当に、秋月さんが今言ったとおりなら何の問題も無かったのに。そんな風にもしものことを考えるしかない状況の秋月さんに、あたしはかける言葉が見つからずに黙り込む。


 諦めろなんて見捨てるような言葉も、頑張れば何とかなるなんて無責任な言葉も、言えるわけがなかった。


「不正解、デスか」


 あたしにはとてつもなく長く感じた沈黙に室長の落ち着いた声が流れる。


「それでは、私も不正解かもしれマセン」


 室長の言葉に、あたしもスズ姉も秋月さんも顔を上げて室長に注目した。


「どういうことですか?」


 あたしが代表して訊ねると、室長は「こういうことデス」と、室長の斜め後ろに立っていた青木先輩のネクタイを引き寄せた。


「このネクタイは私がこの人に上げたものデス」


「ええ⁉」


 声を上げたのは秋月さんだけだ。あたしとスズ姉は驚かなかった。驚くどころか、やはり青木先輩がしているネクタイは室長のものだったのだな、と予想が的中して納得したくらいだ。だが、この状況をよくよく考えれば秋月さんが驚くのも無理は無い。何故なら現在、青木先輩は男装をしていて、男性にしか見えないのだから。つまり、室長と青木先輩は今同性の恋人同士と見なされているわけである。


「なんだ」混乱する秋月さんにあたしがどう説明したものかと悩んでいると、スズ姉が微笑んでとんでもないことを言った。「それなら私たちも不正解だわ。ねえ」


 スズ姉はあたしを見て首元のリボンにそっと手を触れた。突然のことに「ええ⁉」と秋月さんと一緒に驚くあたし。


「私たちもこのリボンを交換した仲だもの」


 その言葉に、あたしは室長とスズ姉の意図をようやく理解した。「あ、ああ、うん! そうそう」と大げさに頷いてみせる。どうやら同性の恋人同士であるように振る舞えということらしい。


「確かに、この国ではまだ法的に認められていない事かもしれマセンが」


 室長はそう言いながら、吸い込まれそうなくらい深い漆黒色の瞳を秋月さんに向け、にっこり微笑んだ。


「好きになったものは、仕方ないじゃありマセンか」


 秋月さんは小さく口を開け、瞳を大きくしてしばしぽかんと間抜けな顔をした。それから、数回瞬きをして我に返ったように口を閉じると、眉尻を下げて微笑んだ。そりゃそうだ、仕方ない。そんな笑いだった。


 好きになったものは仕方ない。そうだ、そんなことは分かっているはずだった。秋月さんも。けれど、「好き」についてくる余計なおまけのせいでそんな風に思う事が出来なかった。そして自分を追い詰めるあまり、秋月さんは多重人格にまでなってしまったのだろう。


「秋月サンは、凛花サンと凌サンのどこをどうして好きになったのデスか?」


 秋月さんは少しの間考え込む。それから、自分の中で二人の好きなところが見つかったのか、幸せそうな顔で微笑んだ。「なんでも悩み相談室」に入ってきて、初めて見せた良い笑顔だった。きっと、秋月さんが凛花さんと凌さんに見せたい表情は、怯えでも怒りでもなく、愛しさに溢れたこの表情に違いない。


「不正解だと、焦って答えを出す必要はないんデスよ」


 室長は秋月さんの笑顔に満足げに微笑み返す。


「今、その問題に答えが出ないのは、まだ答えを出す必要が無いからデス」


「はい」


 秋月さんは元気に返事をした。


「そうですよね、好きになったものは仕方ないですよね。僕、ずっと忘れてた気がします。二人を好きになっちゃったこととか男を好きになっちゃったこととかばっかり気にして。大好きな二人に向き合うことも出来なくなっちゃってたんですね」


 秋月さんは自分の気持ちを整理するように、言葉を続けた。


「でも、思い出しました。なんで二人の事を好きになったのか。凛花ちゃんと凌のことが大好きな気持ちも。自分が今どうしたいのかも、分かった気がします」


「そうデスか」


 室長はいつものように微笑んで、心地好い音楽を聴くように秋月さんの言葉に耳を傾けている。


「分かったら、なんか二人に会いたくて堪らなくなってきちゃいました!」秋月さんはそう言うなり、立ち上がった。「すいません、今日はこれで失礼します。ありがとうございました!」


「はい、またいつでもいらして下サイ」


 頭を下げたあとすぐに駆け出した秋月さんの後姿に、室長が声をかける。秋月さんは振り向きもせずに走り去った。


「はあー」秋月さんがいなくなったいつもの「なんでも」で、あたしは大きく溜め息をついた。「なんだかすごい相談者さんでしたね」


「そうね、でも最後はすっきり良い顔をして帰っていけて、よかったわね」


「あ、そういえば、なんだったんですか、途中のあれ。皆して同性カップルみたいなフリは」


「ああ」室長は『秋月サン』バナナを手に取りながら言った。「あれは秋月サンが同姓を好きになってしまったことに対して、一番負い目を感じているようだったので、同性愛なんて珍しい事でもないのだと示そうかと思いマシテ」


 あたしがスズ姉の方を見ると、「私は室長の考えをなんとなく察して話に乗ったまでよ」と返した。


「じゃあ、なんで秋月さんが一番負い目に感じているのが同性愛についてだと分かったんですか?」


「それは」室長は机の上に置いてあった『カオルサン』バナナを取り上げて「これデスよ」と言った。


「秋月サンが生み出した多重人格の内、『かおるん』サンは臆病な性格デシタが、本来の秋月サンの性格からさほどかけ離れたものではありマセンデシタ。しかし、『カオル』サンは本来の秋月サンがあまり表に出すことの無い怒りの感情を持つ、乱暴な性格デシタ。本来の秋月サンの性格からかけ離れたものデス。それは、秋月サンがその人格に変わる前に受けるストレスの大きさが原因だろうと思われマシタ」


「なるほど。『カオル』さんになるのは凌さんの声を聴いた時。つまり、凌さんと話す時により強いストレスを感じていたということね」


「はい。凛花サンより凌サンにストレスを感じることの原因は、おそらく同性だからデショウ。そういうわけで、先ほどの結論に至るわけデスね」


 室長は話し終わると同時にバナナにかぶりついた。先ほどの秋月さんに負けず劣らずの幸せそうな顔をする。


「ちなみに、凛花サンが同性愛者だということは、仲間意識から秋月サンのストレスを軽減する要因であり、同時に凛花サンへの恋心からストレス要因にもなっていたので、秋月サンは凛花サンの存在から同性愛について肯定的になることは出来マセンデシタ。しかし、今回私たちが同性のカップルとして成り立っていると知ることで、秋月サン自身の中にあった同性愛への否定的な気持ちが和らいだわけデス」


「ふーん」


 室長の話を聞いていると、なんだか頭の中がごちゃごちゃしてきたが、悔しいので解っているフリをした。


「そういえば、あのボイスチェンジャーも役に立ったわね」


「そうだね」スズ姉の言葉に相槌を打ってから、室長に訊こうか訊くまいか迷っていたことをこの際訊いてみた。「室長、なんであんな正確に他人の声に調節できちゃうんですか?」


 室長がバナナを飲み込み、何か言おうと口を開くのを見ながら、あたしは思わずその先を読んで口に出していた。


『私に出来ない事なんてありマセン』


 思ったとおりに一言一句違わず、同じセリフが室長の口から出てきた。


「デショ? 言うと思いマシタ」


 室長の口真似をしてにんまり笑う。なんだかいつでも人の心を読んでいるような室長の心を、逆に読んでやった気分で満足する。室長は少し面食らったような顔をしていた。


「今日はもう帰りますよね。先に着替えまーす」


 くるりとつま先でターンして、変装部屋へと歩き出す。すると、突然「翡翠」と、スズ兄に呼び止められた。あれ、今はスズ姉の格好なのに、男の声で喋るなんて珍しいな。そう思いながら振り返ろうとした時だ。


「スカートのチャック開いてるぞ」


「げっ!」


 慌ててスカートのチャックを確認する。不覚にも本当にチャックが開いていた。恥ずかしい。すぐにチャックを上げる。スズ姉の方を見ると、スズ姉はあたしに背を向けて椅子に座ったままお茶を飲んでいる。おかしい。そう思い、もしかして、と室長を見ると案の定室長がこちらを向いて悪戯っぽく微笑んでいた。その手にはあの校章型ボイスチェンジャーが。


「もう! それ没収ー!」


 先ほど室長の真似をした仕返しのつもりなのか。好きな男の人にスカートのチャックが開いていると指摘された女の子がどれだけ恥ずかしいか、おそらく分かっていてやっているところが余計に憎らしい。


 校章型ボイスチェンジャーをめぐって揉め合う室長とあたし。スズ姉はそれを見て、「喧嘩するほど仲が良い、ね」と微笑んでシルベスタギムネマ茶をすすった。




第5話 恋愛方程式の解き方 (完)




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


第5話を最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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明日も第6話を更新の予定です。

よろしくお願い致します!

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