第5話 恋愛方程式の解き方 4



「とりあえず、秋月さんが男の子で、従姉弟の秋月凛花さんのことが好きなのは分かりましたけど。じゃあ、もう一人の好きな人は誰なんですか?」


 あたしは自分の頭の中を整理するように言って、秋月さんを見た。秋月さんは困ったような顔でまた黙り込む。秋月さん自身でも説明しづらい事情があるのだろうか。


 そういえば、秋月さんが男の子なら女の人が好きで当然だ。なのに、何故さっきあたしが言った「女の人が好きなの? 女の子なのに?」という言葉にあんな反応を示したのだろうか。


 あたしが秋月さんのことを女の子だと思っていた事を気にしていたのか。女顔が秋月さんのコンプレックスなのかもしれない。そう思っていると、室長が「大丈夫デスよ」と優しく微笑んだ。


「ここでの会話が他の人に知られることは一切ありマセンから」


 そう言った室長は秋月さんが黙り込む理由を知っているようだった。大体、何故室長は秋月さんが凛花さんの事が好きだと分かったのだろう。これまでの秋月さんの反応から凛花さんの事が好きなのではないかという予想が出来なくはない。だが、今の様子では室長はどうも秋月さんのもう一人の好きな人も分かっているようだ。


 室長の言葉を受けた秋月さんは、躊躇いながらもゆっくりと口を開いて一言。「……凌」と小さな声で言った。


「え」あたしは聞き間違えたのかと思い、確かめた。「ちょっと待って、凌って言った? 凛花さんの双子のお兄さんの?」


「……はい」


 秋月さんも男なら凌さんも男だ。再び浮上する同性愛説。秋月さんの困った顔は、二人の人間を好きになってしまったことだけでなく、そのうちの一人が同性だということが原因らしい。


「秋月サン」また俯いてしまった秋月さんに、室長がそっと声をかけた。「アナタは、その恋が原因で何か悩んでいる事があるんじゃないデショウか」


 その言葉に、項垂れていた秋月さんの頭が勢いよく跳ね上がる。それから室長を見つめて驚いていた秋月さんの顔が、次第に懇願の色を帯びていった。


「そうなんです! 助けてください! もう僕にはどうしたらいいのか……っ!」


 秋月さんは机に身を乗り出して室長に迫ったかと思いきや、言葉とともに目が潤み始め、ついには机に突っ伏し、声を上げて泣きはじめてしまった。突然の出来事に、その光景を呆然と見つめるしかないあたしとスズ姉。


「大丈夫デスよ」


 室長は穏やかな口調で言いながら席を立ち、泣いている秋月さんの傍に立つと、宥めるように秋月さんの背中を優しく撫でた。


「話してみて下サイ。何か、良い解決方法が見つかるかもしれマセン」


 室長の言葉に、秋月さんは机からゆっくり顔を上げて涙を拭いながら頷いた。


「いつからだったか、はっきりは覚えていないんです」涙が止まるまでしばらく待ってようやく話し出した秋月さんは、鼻をずずっと啜って言う。「でも、多分、僕が二人の事を意識し始めた頃からだと思います」


「それでは、もう随分経つんデスか?」


 室長は秋月さんの向かいの席について訊いた。


「いえ、二人とは赤ちゃんの頃からよく一緒にいましたが、その……恋愛感情で意識するようになったのは一年位前からです。二人が高校生になって、会える時間が少なくなって、二人の存在を遠くに感じ始めてから」


 あたしには秋月さんが何の話をしているのか理解できなかった。おそらくそれは、あたしの隣に座って二人の話を黙って聞いているスズ姉も同じだろう。ただ、室長には秋月さんが何について話しているのか分かっているようだった。


「二人に会えないのが寂しくて……。会いたいとか、ずっと一緒にいたいとか思うようになってて」


 秋月さんの話を聞いていると、思わず自分を重ねてしまう。あたしもそうだった。スズ兄が高校生になって、寂しくて堪らなかった。このままずっと一緒にいられなくなったらどうしようかと、真剣に思い悩んだ。隣に座るスズ姉の横顔をちらりと盗み見て、おもわず笑みがこぼれる。まさか高校生になったら、スズ兄とだけでなく、スズ姉とまでいられることになるなんて、あの時の自分は夢にも思っていなかった。


「それで、気づいたら好きになっていたのね」


 スズ姉の言葉に頷く秋月さん。


「意識するようになると、あんなに会いたかった二人に会うのが、なんだかすごく恥ずかしくて。話したいのに全然話せなくて」


 もじもじと両手を擦り合わせながら小さな声で話す秋月さん。その葛藤は少しわかる気がした。好きな人だと意識してぎこちなくなってしまう上に、同じ時間や空間を共有していないだけに話題も合わなくなってくる。おまけに、秋月さんは凛花さんと凌さんの二人のことが好きで、凌さんは同性だ。そんな自分の気持ちに折り合いをつけて、二人と普通に話すなんて相当困難だろう。


「いつの間にか、僕なんだけど僕じゃない誰かが、勝手に凛花ちゃんや凌と話すようになってて」


「秋月さんだけど秋月さんじゃない誰か?」その謎の言葉に首を傾げるあたし。「どういうこと?」


 秋月さんは説明しようと口を開きかけて、言葉が出てこずに困った顔をした。


「まあ、百聞は一見に如かずと言いマスし、試してみマショウか」室長は訳知り顔でそう言うと、襟元につけた校章のダイヤルを調節した。「あーあー、カオル」


 聞いたことのない男性の声で室長が秋月さんの名を呼ぶ。すると、秋月さんの肩がびくんと震えた。


「ああ? 気安く名前で呼んでんじゃねェぞコラ!」


 室長と秋月さんの間にあった机を勢いよく右拳で叩いた秋月さんは、顎を上げてこの世のすべてを見下すような目で室長を見ながら、巻き舌で怒鳴った。


「ええ⁉」突然の秋月さんの豹変ぶりに、あたしは座っていた椅子ごと引いた。「あ、秋月さん?」


「秋月サンは秋月凌サンの声を聞くと、このような人格になるんデス」


 室長は先ほどの声――話を聞く限り、この声が秋月凌さんの声なのだろう――のまま、冷静にそう言って、またダイヤルを調節し始める。その間も秋月さんは乱暴な口調で、何がそんなに気に食わないのかと言いたくなるほど、周囲に罵声を飛ばし続けている。


「あーあー、かおるん、落ち着いて」


 今度は室長の声が女の人の声になった。その声を聞くと同時に秋月さんの肩が再びびくんと震えて動きが止まる。そして、驚きと怯えの色が浮かぶあたしたちの表情をぐるりと見回して、あたし達以上に怯えた顔をした。


「な、なんですか、誰ですか、あなたたちは」


「秋月凛花サンの声を聞くと、このような人格になるんデス」


 室長は秋月凛花さんの声でそう言って、校章型ボイスチェンジャーの電源をオフにした。


「そして、一定時間どちらの声も聞こえない状態になると、元の人格に戻るようデス」


 室長は言い終わると、怯えた目の秋月さんに「大丈夫デスよ」と優しく微笑みかけて、自己紹介をする。


「それって……多重人格ということかしら」


 スズ姉は怯えている秋月さんに自分も挨拶をした後で室長に訊く。室長がそれに答えて「そういうことになるデショウ」と頷いた。


 秋月さんが多重人格であることと別人格の凶暴さにも驚いたが、何故室長が秋月さんの人格が入れ替わるきっかけを知っていたのか。そして何故そんな簡単にいろんな人の声に合わせてボイスチェンジャーのダイヤル調節ができるのか。あたしには全てが不思議だった。室長を問い詰めたくなったが、室長から返ってくる言葉が予想されたので、やめておくことにした。訊けば十中八九、あのセリフを吐くだろう。


「分かりやすく、今の人格を『かおるん』、先ほどの人格を『カオル』と呼ぶことにしマショウか」


「そうね」スズ姉は室長の言葉に頷いた。それから、まだびくびくとしながら椅子に座っている秋月さんに少し目をやる。「この様子だと『かおるん』さんには元の人格の記憶は無いのね」


「はい。今確認できる人格は秋月サンと『かおるん』サン、『カオル』サンの三つデスが、その三つの人格の記憶を共有しているのは秋月サンだけのようデス」


 室長は手近にあった三本のバナナにサインペンでそれぞれ『秋月サン』『かおるんサン』『カオルサン』と書いた。真面目な空気が一気に緩む。


「室長、バナナは無いでしょ」


 あたしが呆れてそう言うと、室長は「では、こちらにしマスか?」と今度はジリヒンジャーのフィギュアを出してきた。


「……もう、なんでもいいんで、話続けてください」


「私の推測デスが、秋月サンはおそらく凛花サンや凌サンと接する事に大きなストレスを感じていたのだと思いマス」


 室長はそう言いながら、またバナナを二本もぎ取ってそれぞれに『凛花サン』『凌サン』と書いた。それを並べて、近くに『秋月サン』バナナを置く。


「ストレス?」


「はい、お二人の事を好きだと意識すればするほど、好きな人を目の前にした気恥ずかしさや緊張。さらには二人の人を同時に好きになってしまった罪悪感。相手に自分の気持ちが知れてしまったらという不安や恐怖。同性を好きになってしまった困惑や羞恥心などもあったかもしれマセン。それら全てが秋月サンのストレスとなっていたんデス」


 なるほど、その可能性は大いにあり得る。あたしはそう思って頷いた。


「そのストレスから逃れるために、秋月サンは無意識のうちに別人格を作り出し、そちらに凛花サンや凌サンの応対をさせてい

たんデス」


 そう言いながら、『秋月サン』バナナをどけて、『凛花サン』バナナの前に『かおるんサン』バナナを、『凌サン』バナナの前に『カオルサン』バナナを置いた。


「凛花さんの声や凌さんの声で人格が変わるのはそういうことなのね」


 スズ姉も納得したように頷きながら言った。


 あたし達が秋月さんに目をやったそのときだ。秋月サンの肩がびくんと震え、今まで怯えていた目つきがきょとんとしたものに変わった。それから、「あ」と口を押さえて、「ごめんなさい! またあいつらが……」と後半は独り言のように小さい声になって消えた。


「いえ、大丈夫デスよ。秋月サンの事情は分かりマシタから」


 室長は秋月さんを安心させるように優しく微笑み返した。



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