第5話 恋愛方程式の解き方 3
「あら、なァに~? リボンなんか交換しちゃって、良いわねェ~。私なんかセーラー服だからリボンじゃないのよォ~」
「そんなことより、相談者さんが来たみたいだよ」
田中さんと佐藤さんは相変わらず、血色の悪い顔を宙に浮かばせている。
「え?」あたしが入口に視線をやった途端、コンコン、と二回ノックの音が鳴った。いつものように青木先輩が、自動ドアのように静かに戸を開ける。
すると、入ってきたのはジャージに身を包んだ黒髪ショートボブの女の子だった。黒地に白と青のラインが入っているジャージなので、あたしと同じ一年生だろう。星塚高校のジャージは学年でラインの色が違う。ジャージの色がその代の三年間のカラーだ。現在は、一年生は青色、二年生は赤色、三年生は緑色だ。来年は一年生が緑色、二年生は青色、三年生は赤色、といった風に変化する。ちなみに、上履きのラインも同じく学年で色分けされている。
「『なんでも悩み相談室』へようこそ。一年五組、出席番号一番、秋月薫サン」
室長はいつものようにとっておきの笑顔で、相談者を出迎えた。名前やクラスを言い当てられた秋月薫さんとやらは、びくっと肩を震わせ、驚いた顔をしてからおろおろと周囲を見回す。
「ああ、大丈夫だよ、秋月さん。この人怪しいけど、意地悪だけど、害もあるから」
「ちょっと、全然フォローになってマセンが」
「すいません、あたし嘘つけない質なんで」
「驚かせてごめんなさいね。まあ、どうぞ座って」
スズ姉はさっとあたしと秋月さんの間に入ると、近くの椅子を引いて柔らかく微笑んだ。その笑顔に、引きつっていた秋月さんの表情が少し和らぐ。さすがはスズ姉。
「なんだか元気がないみたいだけど、何か悩み事でもあるのかしら」
秋月さんの隣の椅子に腰かけると、スズ姉は穏やかな声で言った。
「あ」何かを思い出したように両手を合わせる仕草も自然で可愛らしい。「何か飲む? なんでもあるわよ、ここ」
「はい。『なんでも悩み相談室』なだけに、なんでも」室長が言うと、一瞬辺りがシンとなった。室長はときどき寒いことを言う。冷たい沈黙を破るように室長は咳払いをした。「何が良いデスか?」
「え、えっと。じゃあ……シルベスタギムネマ茶を」
秋月さんは遠慮気味に意味不明なお茶の名前を言った。何それ。そんなもんねえよ。つーか、それって、あれじゃない。ぷよぷ○のスケルトン○が五連鎖した時に言う何言ってるんだかよくわかんないお茶の名前じゃない。
なんでもあるとか言うから、秋月さんの悪戯心くすぐっちゃったよ。秋月さんちょっと嫌味な子になっちゃったよ。
「はい、どうぞ」
室長が笑顔で言うと、青木先輩が湯呑を秋月さんの前に差し出した。
「って、あるんかーい!」
「だから何でもあるって言ったデショ」
「あたし今だかつてここでそんなお茶見たことないんですけど⁉ 一体どうやって出したんですか、それ!」
「私たちに出来ないことなんてありマセン」
室長は答えになっているんだか、なっていないんだか分からないことを得意げに言ってみせる。
「それで、何かあったの?」
あたしと室長のやり取りを無視して、スズ姉は秋月さんに言った。秋月さんはシルベスタギムネマ茶が入った湯呑を両手で持って俯き、黙り込む。
「秋月サンといえば」室長は秋月さんの向かいの椅子に座ったまま、青木先輩が持ってきたコーヒーを一口飲んだ。「この学校にはあなたを含めて三人の秋月サンがいらっしゃるんデスよね」
その言葉に顔を上げる秋月さん。スズ姉も「ああ」と思い出したように声を上げた。
「知ってるわ。二年の秋月兄妹でしょう? 本当にそっくりな双子なのよね」
「はい。お兄サンの方が秋月凌サン、妹サンが秋月凛花サン。二卵性双生児デスが、お二人とも母親似らしく、そっくりな顔立ちをされていマスね」
「二人は確か、サッカー部の部長と女子バスケ部の部長もやっていたかしら」
「ええ。運動神経の良さは父親譲りだそうデスよ」
二年生のことを二年生であるスズ姉や一年生の時は同じ学年だった室長が知っているのは分かるが、それにしてもそんなことをここでべらべらと喋ってしまって問題はないのだろうか。
同じ名字とはいえ関係のない「秋月兄妹」の話をして、これでは不信感を持たれても仕方がない。
「秋月サンはその秋月兄妹といとこ同士デスよね」
「え、いとこ同士⁉」ということは、関係のない話ではなかったのか。そう思って秋月さんを見ると、秋月さんは何やら恥ずかしそうに縮こまってしまっていた。
秋月さんと関係のある人を知っているような話は、余計にまずかったのではないだろうか。
「秋月凛花サンにはよく男子バスケ部の助っ人を頼まれてマシテ、その時に秋月薫サンの話もよく聞かされてたんデスよ」
その言葉を聞くや否や、座っていた椅子を倒して立ちあがり、秋月さんは机に身を乗り出した。
「り、凛花ちゃん、なんて言ってた⁉」
これまでにない食いつきようだ。
「可愛くて気が利いて、自慢のいとこだとおっしゃっておられマシタよ」
室長が笑顔でそう言うと、秋月さんは一気に顔を真っ赤にして、俯きながら倒した椅子を自分で起こして座りなおした。
「……り、凛花ちゃんが、言ったんだ」ぼそりと俯いたまま話し始める秋月さん。「何か困ったことがあったら、西館に行ってみたらって」
おお、こんな心の開かせ方もあるのか。ずっとだんまりだった秋月さんが、少しずつだが話し始めた様子に感心する。相談者が話しやすい環境というのも、相談者によって違うのだな、と当たり前の事に今更ながら気がつく。
「それで、来てくれたのね」
スズ姉は静かに言ってそっと秋月さんの肩に手を置く。
「で、秋月さんは何に困ってるの?」
ほんの少し秋月さんに対する嫉妬心が芽生えて言葉が刺々しくなった。スズ姉と秋月さんの間に割り込みたい気持ちを抑えて、スズ姉の隣に座る。
「す、好きな人が……いるんですけど」
その言葉に、あたしの耳がげんなりしたことは言うまでもない。また、恋話だ。どこもかしこも恋話ばかり。「なんでも」まで恋話に浸食されてしまうとは。一体どこに行けばあたしは恋話から解放されるのだろうか。
世の女子は皆恋話が好きだという説があるが、それが本当ならあたしは女子じゃないのかもしれない。
「え、だれだれ? 誰のことが好きなの?」
身を乗り出して秋月さんの話をきゃっきゃっと楽しそうに聞くスズ姉の姿は、恋話が大好物な女子そのものだった。あたしよりはるかに女の子だ。
「って、スズ姉ぇー⁉」
「だって気になるじゃない、秋月さんが誰のこと好きなのか。ねえ、誰なの? 私応援するから」
ちょっと待って、スズ姉! そんな心まで女の子にならないで! お願いだから!
――い、いや、違う。きっとこれは何かの作戦に違いない。そうだよね、そうだと言って、スズ姉!
「それが……一人じゃ、ないんです」
「まあ、二股?」スズ姉はまたしても楽しそうな声を上げた。ちょっと不謹慎だよ、スズ姉。秋月さんは深刻そうな顔してるよ、スズ姉。「ドラマみたいね」
俯いて口をつぐんでしまった秋月さんをじっと見つめながら、室長が「なるほど」と呟いた。
「秋月サンの好きな方の一人は、凛花サンデスね」
「ええ⁉」私が声を上げると同時に秋月さんが驚いたように顔を上げて室長の顔を見返す。だが、驚きすぎて言葉が見つからないのか、口をぽかんと開けたまま黙っていた。その頬がほんのり赤らんでいる。どうやら図星のようだ。だが、そうだとするとおかしなことになる。
「どういうことですか、室長。凛花さんってさっき言ってた秋月さんのいとこですよね」
「はい」室長は秋月さんからあたしに視線を移して頷いた。「秋月兄妹の妹サンの方デス」
「ということは、秋月さんは女の人が好きなの? 女の子なのに?」
あたしはつい浮かんできた疑問を正直に口にしてしまった。それを聞いた秋月さんの肩がびくりと震え、表情が強張ったのを見て、しまったと口を押さえたがもう遅い。口にした言葉は既に秋月さんの耳に届いてしまっている。
そうだ、世の中には同性を愛する人だっている。それを無神経に偏見じみた言葉で、彼女を傷つけてしまった。
「あ、あの、すいませ」
「何言ってるんデスか」あたしの言葉を遮ったのは室長だった。室長はあたしの方を見て、それから秋月さんを見た。「秋月サンは男性デスよ」
「え、ああ、なんだ、そうだったんですか。それなら納得……って、えええ⁉ ああああ秋月さんが男の子⁉」
あたしはスズ姉の横に座っている秋月さんをもう一度まじまじと眺めた。確かに男女共用のジャージを着ていて女子の制服を着ているわけではない。だが、まだ中学生のように丸みを帯びた輪郭を覆うようにカットされたショートボブの黒髪や大きな黒い瞳に長い睫毛、自信なさげに垂れ下がった眉、それらを統合するとどう考えても女の子にしか見えない。この秋月さんが実は女顔なだけの男の子だったというのか。
「女の子にしか見えないんですけど」
「人は見た目によらないと言いマスから」
そう言った室長の顔を見返して、あたしは確かに、と妙に納得してしまった。この黒髪美人の室長がバナナ中毒のジリヒンオタクとは誰も思うまい。それと同じ事か。
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