第4話 ストーカーの倒し方 3
石田さんが部屋を出ると、一気に静かになった。いつもの平穏な「なんでも」だ。落ち着く。
あたしは楽しみにしていたスズ兄の生写真をそっと表にして見た。
「うわー!」
思わず声を上げてしまう。だってスズ兄かっこいい。ジャージを着て、体育館でバスケットボールをしているスズ兄の写真だった。しかも、シュートを決めたところだ。奇跡のベストショットである。
「キャー! かっこいいー! かっこいいよ、スズ兄ー!」
写真を胸に抱いて悶えるあたし。
「奇跡のベストショット、デショ」
室長は椅子に座ってお茶を飲んでから言った。
「はい、もう完璧です! てか、こんな写真どうやって撮ったんですか?」
この写真の光景は明らかに体育の授業中だ。そんな時に写真なんて撮っていたら絶対先生にばれて叱られるに決まっている。
「ああ、それは授業中に三笠ちゃんが見ていた光景を念写してもらったんデスよ」
「ひゃああああ!」
さっきまで大事に胸に抱えていた写真が急に恐ろしいものに思えてきた。念写って、念写って……。
「そんな怪しげなものでスズ兄を写さないで下さいよー!」
「別に心霊写真でもないんデスから」
「科学を上回る力はそれだけでなんかもう恐ろしいんですよ!」
「ひどいデスねー、これも三笠ちゃんの才能の一つなのに」
「とにかく、念写は生写真って言いません!」
「えー、せっかくよく撮れてるのに。本当にいらないんデスか? この菘の奇跡のベストショット」
「うっ」
あたしは室長に写真をつき返そうとしていた手を止めた。そして、もう一度写真をよく見る。
青木先輩の念写による写真だというが、見た目は普通の写真にしか見えない。そして、スズ兄はありえないくらいかっこいい。ゴールを見つめる真剣な目。ジャンプした時に揺れる栗色の髪。すらりと長い手足。そして何よりもはじめて見る星高ジャージ姿のスズ兄は新鮮だった。黒地に赤と白の細いラインが入ったジャージはスズ兄によく似合っていた。長袖ジャージの袖をまくっている姿もまたいい。
念写だからという理由だけでこれを手放すのは惜しい。惜しすぎる。
「いえ、これはもらっときます」
あたしは結局その写真をスカートのポケットにしまった。室長が、ほらやっぱりー、という顔であたしを見る。
「ちょっとー、コレ超ダサいんだけどぉ~」
ガララ、と部屋の戸を派手に開けて入ってきた石田さんは、星高のどこにでもいる普通の女子生徒の格好をしていた。
「そんなことありマセンよ。そんな石田サンも素敵デス」
「やっぱり~?」
さっきまで仏頂面だった石田さんは、あっさり室長の言葉を受け入れた。
「それでは、ストーカー退治に参りマショウか」
室長は楽しそうに言った。
夕方六時過ぎ、それが石田さんのいつもの下校時刻らしい。五月の薄雲が夕焼けに染まる空。夕方になるとまだ肌寒く感じる空気。ベストじゃなくてカーディガンを着てこればよかった、とブラウスの袖をなでる。
一人でぽてぽてと歩道を歩きながら、携帯電話を開いてスズ兄にメールを打つ。
「『なんでも』の都合で今日一緒に帰れなくなった。ごめんね……っと」
送信ボタンを押してから溜め息をつく。あたしの貴重なスズ兄との一時がこんな事で奪われるなんて。スズ兄と一緒に帰るために「なんでも」に入ったのに、これでは本末転倒だ。あたしは携帯電話をスカートのポケットにしまう。そのとき指先に何かが当たった。何だろうか、と取り出してみると、さっき室長にもらったスズ兄の念写写真だった。
ああ、癒される。スズ兄、かっこいい。一人ぼっちでいると、よりスズ兄が恋しくなってくる。明日は絶対スズ兄と一緒に帰ろう。あたしはそう心に決めて、写真をなくさないようにポケットにしまいなおす。
室長と青木先輩、石田さんの三人はあたしの後をつけて来てくれているらしいけど、さっきから何の気配もしない。あたしの感覚が鈍いのか、三人が気配を消すのが上手いのか。それとも、ついて来ていないかだ。……ついて来てくれていると信じたい。
石田さんの下校経路が書いてある紙を見ながら、角を曲がった。その瞬間、ブォン、と空気が鳴り、あたしが両手で持っていた紙切れが消えた。続いてカンッという金属音が響く。
「え」
足元を見ると、金属バットが地面に振り下ろされていて、紙切れはその下敷きになっていた。
まさかまさか、と思いながら金属バットからゆっくり視線を上げていく。すると、そこには全然見覚えのない男が一人立っていた。その男の後ろにもう二人いるのがチラッと見える。二人とも手に鉄パイプのようなものを持っていた。え、何コレ、やばくない。コレやばくない?
びっくりしすぎて声が出ない。足も動かない。
「おい、石田ァ、ちょっと面貸せや」
最初に金属バットを振り下ろした男が言った。いやいやいや、あたし石田さんじゃないんですけど。人違いなんですけど。
「え、いや、あの」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねェ!」
また金属バットが振り回される。あたしは寸でのところでしゃがんで避ける。ちょっとコレ、本当にやばいんですけど。怖いんですけど。危ないんですけど!
心の中ではSOSを叫びまくっているのに、こんな時に限って声が出ない。
立ち上がって何歩か後ずさりすると、何かにぶつかった。あ、もしかして室長が気づいて来てくれたんじゃ、と期待に胸を膨らませて振り返ると、そこにはまたもや全然知らない男が二人立っていた。
なんか増えたんですけど。絶体絶命のピンチだ。金属バットに鉄パイプのお兄さん五人に囲まれてしまった。
「あ、あた、あたし、石田さんじゃ」
「っるせェ! このクソアマァ!」
「ひっ」
ガンッとアスファルトの地面を金属バットで叩き付ける男その一。鉄パイプをアスファルトでガラガラ引き摺りながら近寄ってくる男その二。ガムをくちゃくちゃしながらメンチ切ってくる男その三。なんかブォンブォン空気を切って素振りを始める男その四。あたしのすぐ後ろであたしの両肩をしっかり掴んでいる男その五。
もはや抵抗する気力を失くしそうになる状況だ。
ちょっと、室長達何やってんのよ。こんな時のための見張りでしょ。早く出てきて助けてよー。
ダメだ。だんだん涙目になってきた。大体、なんであたしがこんな目に遭わなきゃなんないのよ。あたしなんにも悪い事してないのに。あたし石田さんじゃないのに。如月翡翠なのに。普通の女の子なのに。もうヤダ、助けてスズ兄。助けて室長。
男その一があたしの胸倉を掴む。殴られると覚悟して目を瞑ったその時だ。突然何処からともなく音楽が聞えてきた。誰かの携帯電話の着信音かと思ったが、どうやら違うらしい。その音が次第に大きくなり、近づいてきた。五人の男達も何事かと辺りを見回す。
テレレッテレレッテレレッテレレテレレッテッテー♪
人気のない通路に響き渡る音楽。だんだん明瞭に聞えてきたそれは、聞き覚えのあるメロディーだった。
トゥルルルルーン♪ (今週も!)ジッリヒンジャー(先週も!)ジッリヒンジャー(来週も!)……
こ、この音楽は。
「ジリヒンジャー?」
「世ぉにはっびこーる、悪人どもをぉ~」
姿は見えないが何処からか歌声だけが聞えてきた。かなり近い所で聞こえる。聞き覚えのあるよく透る澄んだ声だ。
「今日~も倒すぜ、ジリヒーンレッド!」
掛け声とともに、何かを殴るような鈍い音が聞えたかと思うと、あたしの後ろで肩を掴んでいた男その五が声を上げて倒れた。
「赤字のてっけーん!」
歌の歌詞に合わせて、目の前に突然横から拳が突き出される。あたしの胸倉を掴んでいた男その一がモロに拳を食らい、顔面を歪ませてよろけた。人が殴られるのをはじめてこんなに間近で見てしまった。すごい、拳が顔面にめり込んだ。
突き出された拳は素早く引っ込んだかと思うと、金属バットを振り下ろしてきた男その四のバットを左手で受け流して、右拳を男その四の鳩尾めがけて突き出す。男その四はうめき声を上げて腹を押さえた。
拳の持ち主は頭から顔全体を覆う白いマスクをかぶっているが、服装は見慣れた星高のズボンにカッターシャツ、黒いカーディガン。未完成なジリヒンジャーホワイトだった。
男その二が、ガラガラと鉄パイプを引き摺るスピードを徐々に上げ、ホワイトの足めがけて鉄パイプを振り回す。ホワイトは近くにいた男その三の肩に手を置き、その手に全体重をかけるようにして飛び上がり、鉄パイプを避けた。
そして着地と同時に、肩を掴まれてバランスを崩していた男その三の顔面を左足で蹴った。その蹴りの勢いで半回転しながら、鉄パイプを振り回した格好のままの男その二の右側頭部に右足での後ろ回し蹴りが見事に決まる。
ほんの数秒の出来事だった。曲はまだジリヒンピンクのところだ。危ない男五人組はそれぞれ痛む所を押さえて呻いている。
あたしは涙目のままホワイトを見上げた。ホワイトはあたしの手を引いて、自分の背中で庇うように隠した。後ろから見るホワイトもやっぱり未完成だったが、夕日に染まる白いマスクと見慣れた制服の後姿は、少なからずあたしを安心させた。
「てんめェ……」
「やりやがったな」
「何モンだ、白マスク!」
男達は痛みに顔を歪めながらも、それぞれ武器を持って構えなおす。
「私はジリヒンホワイト」
なんの躊躇いもなく言い切るホワイト。いい年して恥ずかしくないのかと思ったが、恥ずかしかったらそもそもこんなマスクを作ったりしないな、と思い直す。
「はあ? ふざけてんじゃねーぞテメェ!」
懲りずにホワイトめがけて金属バットを振り下ろそうとする男その一。ホワイトは金属バットをかわして、バットを持つ男の手を掴む。それから足払いをかけて、尻餅をつかせたところに、男が持ったままの金属バットの柄の先をその喉もとに押し付けた。
「まだやりマスか?」
ホワイトは男その一を押さえ込んだまま、周りの男達を見回す。
只者じゃない。その場にいる誰もがそう感じていたに違いない。男達は向かってくるどころか、じりじりと後ずさった。
「待ちなサイ」
はっきりとよく透る声は、逃げようとしていた男達の足を金縛りのようにぴたりと止める。
「突然女の子を襲っておいて、ただで帰れると思ったら大間違いデスよ」
マスクで表情は見えないが、声と佇まいだけで逆らえない空気を纏っていた。
「全員、そこに正座しなサイ」
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