第4話 ストーカーの倒し方 1

第四話 ストーカーの倒し方




 変質者捕獲の翌日。今朝もあたしの後ろの席は空席だ。


「また来てないし」


 あたしは小さく溜め息をつき、スカートのポケットから携帯を取り出した。そして、発信履歴の一番上にある電話番号に発信する。言わずもがな、鈴木忍の携帯番号だ。


 いつからか、毎朝学校に来て一番にすることが、鈴木忍へのモーニングコールになってしまっていた。鈴木忍が学校に来ればスズ兄が喜ぶと思い、はじめたモーニングコールもいまや日課になっている。


 現在時刻は午前八時二十五分。あと五分で朝のホームルームが始まってしまうわけだが、こんな時間に鈴木忍が起きていることはまずありえない。


 十一回目の呼び出し音でようやく電話に出た。鈴木忍はいつも図ったかのように十一回目で電話に出る。


「あ、もしもし、起きました?」


『……翡翠クン、デスか』


 相変わらず寝起きの声だ。少し掠れていて発話速度が遅い。頭も身体も眠いままといった様子である。


「もう一時間目始まっちゃいますよー。今日は何時間目から来るんです?」


『……んー、六時間目』


 布団の中でうつ伏せになって話しているのか、声がこもってよく聞こえない。


「え? なんですって? 二時間目?」


『ろーくー』


 もう寝かせてくれ、と言わんばかりの声が返ってきた。


「もうちょい頑張りましょうよー。来年も一年生やる気ですかー?」


『明日から頑張りマス』


「そのセリフ、昨日も一昨日も聞きましたけど。鈴木忍の明日はいつやってくるんですかー?」


『明日は常に明日で、今日は常に今日デス』


「意味分かりません」


『もう、切っていいデスか』


「四時間目に来ましょうよ。楽しい昼休みもありますよ」


『……じゃあ、五時間目に』


 一時間早くなっただけでもよしとするか。あたしは小さく溜め息を溢しながらも、了解して通話を切った。


 切った後で発信履歴を見ると、見事に鈴木忍オンリーだ。なんか悲しくなる。電話代請求したくなる。家族より電話してるんだから、こっちに家族割を付けられないものだろうか。


 虚しい気持ちで携帯電話を閉じると、一時間目の始業チャイムが鳴り響いた。





 五時間目が始まって十分が過ぎた頃、教室の後ろの戸がカラカラと音を立てて開いた。


 教室にいた生徒達は誰が入ってきたのかと、ちらりと後ろを振り返り、そこにいる人物に一瞥くれてから視線を黒板に戻した。なんだ、あいつか、という慣れた雰囲気だ。


 鈴木忍が初めて教室に姿を現したときは、誰もが目を見開いたが、今や一年一組はそんな彼の姿にも見慣れてしまっている。


 鈴木忍はいつものようにかかとの潰れた上履きをスリッパのようにぺったんぺったん言わせながら、あたしの後ろの席まで歩いてくる。


「おい、鈴木ー、遅刻届もらって来たかー?」


 英語担当の大野先生が黒板に英文を書きながら言う。もう、鈴木忍の姿を見ずとも、足音だけで判断しているらしい。


「忘れマシター」


「あとでちゃんともらって来いよー」


「はい」


 がたがたと背後で鈴木忍が椅子に座る音がする。そして、また何事もなかったように授業が続いた。あたしは自分が当てられそうな英文を必死で日本語に訳す。


「じゃあ、次の所を……如月、読んで訳して」


「え、あ、はい!」


 突然当てられて、あたしは慌てて立ち上がった。


「えーと……イナフ、ニューロックイズフォーミング、フロームザラバ、トゥフィルアンオリンピックサイズ、スウィミングプール、エブリィフィフティーンミニッツ。……」


 後ろの席からかすかに吹き出したような声が聞えた。


「えっと……新しい岩は形作っている溶岩から。毎回十五分でオリンピックサイズのプールをいっぱいにした? ……」


 バサッと後ろで教科書が落ちるような音がし、ガタガタと椅子が動く音もした。気になって後ろを見ると、鈴木忍が床に落とした教科書を椅子に座ったまま手を延ばして取ろうとしている。その肩が小刻みに震えていた。


 こいつ……わ、笑ってやがる。


「よし、座っていいぞー如月」


「はい」


「今のところは――」


 大野先生があたしの誤訳を訂正し、文法の説明と正しい訳を言っていたが、あたしは後ろで肩を震わせて笑っている鈴木忍が気になってそれどころじゃなかった。


「じゃあ次、後ろの鈴木」


「…………」


「おい、鈴木ー、寝るなー」


 後ろを見ると、鈴木忍は机に突っ伏してまだ肩を震わせている。


「先生ー、鈴木くんはたぬき寝入りです。なんか笑ってます」


 あたしは手を上げて先生に主張する。大野先生は鈴木忍の席の前までやって来て、丸めた教科書で鈴木忍の白い頭を軽く叩いた。


「起きろ鈴木、ほら二十一ページの二段落目から読んで訳せ」


 さすがの鈴木忍も顔を上げて教科書を持ち、立ち上がった。


 後ろの席から聞えてくるネイティブかと思うような綺麗な英語の発音。流暢過ぎてあたしにはなんと言っているのか理解できない。先生よりもはるかに綺麗な発音だ。ガイジンだ、ガイジンさんが後ろにいる。


 驚いて思わず後ろを振り返っていた。あたしの他にも多くの生徒が鈴木忍に注目する。そのくらい綺麗な英語で、そして意外だったのだ。皆、あの白髪オタク眼鏡が……? と呆気にとられた表情をしている。


「これ以前にその火山が激しく噴火したのは、一九八〇年五月のことだった。何万という面積の森林が破壊され、五十人以上が亡くなった。……」


 意味が分からずとりあえず単語の意味を並べていたあたしとは違い、整った日本語訳が述べられた。


「よし、座っていいぞ、鈴木」


「はい」


 ガタンと椅子を鳴らして席に着く鈴木忍。


「綺麗な発音で、和訳も問題ない。お前はやれば出来るんだからちゃんと授業出ろよー」


 大野先生は言いながら、教卓の方へ歩いていく。


 再び机に突っ伏した鈴木忍が、今度は本当に居眠りを始める。周囲の生徒はそんな彼をチラチラと横目で見ながらこそこそと話していた。


 そんな五時間目の授業も終わり、十分間の休み時間が訪れた。あたしは次の時間の準備をする。次は理科の授業で、今日は実験をするので実験室まで移動しなければならない。


 生物の教科書とノート、筆箱を机に並べて、後ろを振り返る。鈴木忍はまだ机に突っ伏して寝たままだ。


「ちょっと、起きて下さい。次は生物室で実験ですよー」


 小さい声で起こしてみるが、全く起きる気配がない。肩を揺さぶってみた。それでも起きない。


「如月ー」


 突然声をかけられて、あたしは驚いて顔を上げる。そこには生物の教科書を持ったクラスメイトの和田くんが立っていた。


「な、なんでしょう」


「え、なんで敬語?」


「と、特に意味はありませんが」


「そう?」


 普段あまりクラスの人と会話が弾んだ事が無いので、クラスメイトとどういう風に話せばいいのかよく分からない。何故か緊張してしまう。年上のスズ兄や室長と話している方がよほど楽だったりするから不思議だ。


「おまえらって、なに、付き合ってんの?」


「は?」


 突然クラスメイトの口から吐き出された言葉を理解するのに、あたしは数秒を要した。


「えっと、誰が? 誰と? 何?」


「いや、だから、如月と鈴木って付き合ってんの?」


 和田くんは明確に聞きなおしてくれた。


「はっ、ご冗談を」


 鼻で笑い、明後日の方向を見て言う。冗談じゃない。誰がこんな白髪オタク眼鏡なんかと。


「あ、そうなんだ。よく一緒にいるから、てっきり」


「一緒にいたくているわけじゃないんですけどね」


 だって、クラスで二人組みを作れって言われたりすると、絶対あたしと鈴木忍が余るし。席も近いし。だから、一緒になるのは仕方がない事なのだ。


 和田くんは、ふーん、と興味あるんだかないんだかよくわからない反応を返して、その場を去っていった。


「ちょっと、いい加減起きて下さいよー」


 あたしも何事もなかったかのように鈴木忍を起こす作業を再開する。


「ジリヒンジャー始まるよ!」


 鈴木忍はすごい勢いで顔を上げると、寝ぼけ眼で辺りを見回した。


「早く早く、テレビつけて下サイ」


「嘘ですよ」


「えー」


 こんなんでいいのか、高校生。


「あ、そうそう。じゃーん、見て下サイ翡翠クン」


 鈴木忍はズボンのポケットから突然白い布のようなものを出してきた。滑らかな素材で出来たそれは頭全体を覆うプロレスのマスクのようだった。


「なんですか、それ」


「三笠ちゃんお手製のジリヒンジャーホワイトのマスクデス」


「ジリヒンジャーホワイト? そんなのいましたっけ? つーか、そんなのどうすんですか」


「私がかぶるに決まってるじゃないデスかー」


「え、あんたがつけるの」


「何か問題でも?」


 分厚い眼鏡で表情はよく分からないが、口元はへらっと笑っている。そんな鈴木忍に、もはやかける言葉が見つからない。



「今はマスクだけデスが、いずれは全身コスチュームを作る予定デス」


 もう一度言おう。こんなんでいいのか、高校生。


 あたしは生物の準備を持ち、一人で教室を出た。早く友達作らないと、周囲からえらい誤解を受けてしまう。ジリヒンオタクの綿毛頭を思い浮かべながら、軽く危機感を覚えるのだった。



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