第3話 変質者の捕まえ方 3



「え? 忍が翡翠のクラスメイトの女子と付き合った?」


「うん」


 昨日の出来事を話しながら、あたしとスズ兄は放課後の西館へ向かっていた。今日は火曜日なので、スズ兄も一緒だ。スズ兄はあたしの買出しに付き合ってくれて、今は重たいバナナが入った方のエコバッグを持ってくれている。スズ兄は誰かさんと違って優しい。寒い日の温かいココア並みにホッとする。


「昨日?」


「うん」


 昨日の帰りにもスズ兄と一緒に帰ったのだが、なんだかあの事実が衝撃的過ぎてスズ兄に話す気になれなかったのだ。


「嘘だー」


「そう思うよね! でも、見たの、目の前で室長が『いいデスよ』って言うとこ! しかも一緒に帰っていったし」


「青木は? あいつ、青木と付き合ってるんじゃないの?」


「ええ? 青木先輩と付き合ってるの⁉ 室長」


「いや、知らないけど。いつも一緒にいるから付き合ってるのかと」


「確かにいつも一緒にいるけど……」


 あれは恋人同士というよりは、飼い主と飼い犬みたいな。ご主人様と召使みたいな。


「……謎な関係だ」


「忍の交友関係って謎だよなー」


「ていうか、室長ってスズ兄と青木先輩以外に友達いるのかな」


「そりゃ、いるだろ」


「いるんだ」


 この学校で必要以上に話をする人がスズ兄と室長以外にいなかったりするあたし。あの変人よりも友達少ないなんて、絶望的だ。


「まあ、教室の忍と話すのは俺と翡翠くらいだろうけど。『なんでも』で室長やってる時は、誰とでもすぐに打ち解けるからな」


「室長の時は美人だもんね」


「外見だけじゃないさ。あいつには人を惹きつける何かがあるから」


「そうかなー。それを言うなら、スズ兄の方がよっぽど人を惹きつけてると思うけど」


 あたしはスズ兄を見る人皆が、「生徒会長だ」とか、「かっこいい」とか言っている姿を横目で見ながら言った。


「そんなことないよ」


 そんなことあるよ。あたしはスズ兄の笑顔を見上げて、心の中で呟く。ああ、この笑顔が他の女子にとられたらと思うと、気が気じゃない。


 あたしは歩くスピードを速めて、スズ兄の腕を引っ張りながらそそくさと西館へ入った。あんまりスズ兄を他の人の目に晒したくない。すごい独占欲だとは思うけど、しょうがない。


「佐藤さーん、田中さーん、今日は誰か来てるー?」


「あらァ、翡翠ちゃんに菘君じゃなァい。二人揃って仲良いわねェ~」


「さっきまで、相談者さんが来てたんだけど、もう帰ったところだよ」


「なんの相談だったの?」


「例の不審者についてよォ~。昨日とは違う子だったけどォ~。今度はついて来るだけじゃなくて、声をかけられたんですってェ~。すぐに逃げたから助かったらしいけど。もォ、物騒な世の中ねェ」


「翡翠さんも気をつけるんだよ。夜道は一人で帰っちゃいけないよ」


「大丈夫だよ~。あたしが変質者に狙われそうに見える?」


「それもそうねェ~、ウフフ」


「そうだったね、アハハ」


「いや、そこは否定しろよ。何の笑いだ」


 どいつもこいつも、「なんでも」の人たちはあたしをなんだと思ってるんだ。花も恥らうもうすぐ十六の乙女を。


「大丈夫。翡翠には俺がついてるから」


 スズ兄は爽やか笑顔で言い、あたしの頭をポンポンと軽く叩いた。


「スズ兄ぃ~」


 スズ兄がいれば何も怖いものなんてないよ。ああ、バナナオタクを筆頭に失礼な人しかいない「なんでも」に入り浸るようになってから、スズ兄の優しさが本当に身に染みる。


 「なんでも」の戸を開けて足を踏み入れると、何かを踏んだ。なんだろう、と足元を見てみると、そこには床に倒れた室長の頭があった。


「わあ! そんなとこで何やってんですか、室長! 踏んじゃったじゃん」


 言いながらも足は室長の頭を踏んずけたまま離さないあたし。だって、なんか日頃の恨み辛みを思ったら、足が勝手に。


「翡翠、まだ踏んでる踏んでる」


 スズ兄につっこまれて、渋々足をどける。


「ば、バナナを……バナナを下サイ」


「え? 何? もっと踏んで下さい?」


 そう聞き返してもう一度室長の頭を踏みつける。やばい。面白い。室長のくせに避けないし何も抵抗してこない。


「翡翠、その辺にしといてやれ」


 スズ兄は苦笑いを溢して、自分が持っていたエコバッグからバナナを一本もぎ取り、倒れたままの室長に渡した。それを手にした途端、むくりと起き上がり、素早くバナナの皮をむいてパクリと一口食べる室長。


「はー、死ぬかと思いマシター」


 瞳に涙を浮かべて九死に一生な顔をする。つまらない。もうちょっとあの状態を楽しみたかったのに。


「室長って、ホントにバナナがないと死んじゃうんですね」


「そうデスよ。だから、バナナ買出し係のアナタはもっと自覚して早く帰ってきて下サイ」


「おい、ついにバナナ買出し係とか言ったよ。ちゃんとそれオブラートに包んで。助手って言って」


「ところで菘、ちょっと協力してもらいたいんデスが」


「無視か、おい」


 あたしを無視した室長は、立ち上がって二本目のバナナの皮をむく。その横で青木先輩が室長の服に付いた埃を払う。やっぱり、この二人の関係は恋人というより主従といった方がしっくりくる。


「なんだ?」


 スズ兄はバナナが大量に入ったエコバッグと自分の鞄を机の上において、室長に顔を向ける。


「今回はアナタに囮になってもらいたいんデスけど」


「はあ? また囮⁉ どんだけ囮好きなんだよ! ダメダメダメ! スズ兄を囮にするなんて絶対却下!」


 ニシキヘビ事件の時も出てきた囮作戦。室長はやたらと囮作戦を使いたがる。きっと、ジリヒンジャーの中で囮作戦が頻出するせいだ。


「ああ、わかったよ」


「では、よろしくお願いしマス」


「ちょっとー! 二人ともあたしの話聞いて! 無視しないで! 泣きたくなる」


 スズ兄まで、あたしを無視するなんて。もう、どうしたらいいの。


「大丈夫だって、翡翠」


 スズ兄の「大丈夫」の笑顔は無条件になんか安心するけど、いつも根拠が見えないんだよ。スズ兄は基本的に「ケ・セラ・セラ」の精神だから。なんとかならないことだってあると思うんだ、心配性の私としては。


「一体、スズ兄に何の囮をさせようって言うんですか⁉ 蛇ですか! 熊ですか!」


「変質者デス」


 へ、変質者の、囮……?


「菘にはいつものように女装をしてもらって、夜道を一人で帰ってもらいマス。そして、変質者をおびき寄せる囮になってもらいマス」


「え、スズ姉を変質者の囮に⁉」


 あたしはスズ姉が夜道を一人で帰っていく姿を想像した。


 鼻血が出そうになる。あたしが変質者だったら確実に襲ってる。


「ダメダメダメー! スズ姉が襲われちゃうじゃない! そんな囮をスズ姉にさせるくらいならあたしがやる!」


「は?」


「え、翡翠」


 しばらく「なんでも」中が静まり返る。その空間にいる誰もが、あたしが夜道を一人で帰る姿を想像していたに違いない。


「いや、翡翠クンでは変質者は現れマセンよ」


「おい、それ失礼だって分かって言ってる?」


 殴っても避けられるだけだと分かっているので、今回は睨み付けるだけに留める。


「大丈夫、俺がやるよ。変質者が現れたとき、女の子が囮じゃ本当に危ないから」


「スズ兄ぃ~」


 この中であたしを女の子扱いしてくれるのはスズ兄だけだ。


「スズ兄だって危ないよ! 何されるかわかんないよ!」


「菘は柔道四段デスよ。いざとなったら変質者を投げ飛ばしマスよ」


 スズ兄は中学校からずっと柔道をしていて、全国大会で優勝しちゃうレベルの強さだったりする。もちろん黒帯だ。それはさすがにあたしも知っているけど。


「相手がもっと強かったらどうするんですか!」


「大丈夫だって」


 出た、根拠のない笑顔の「大丈夫」。でも、そんな顔で自信満々に言われてしまっては、あたしにはもう何も言い返すことなんて出来ない。


「では、決まりデスね。私たちも変質者に見つからないように菘の後をつけマスから」


「おう、よろしく」


 スズ兄は変装部屋に入って行きながら右手を上げて返事をした。


 もしかして、スズ兄の「大丈夫」の根拠は室長にあるのかもしれない。そう思って室長を見ると、室長は三本目のバナナを平らげて、ジリヒンジャーのお菓子の箱を開けていた。お菓子のおまけというより、もはやお菓子がおまけに近いが、箱の中に入っているフィギュアを取り出して一喜一憂している室長。


「……それはないか」


「何か言いマシタ?」


「いいえ、何も」


 スズ姉が変装部屋から出てきた。相変わらずたまらなく可愛い。


「スズ姉ぇ~」


 スズ兄の地毛と同じ色の栗色の長髪。膝上三センチの規則正しいスカート丈に、清潔感溢れる白いブラウス。首元を飾る赤いリボンがこれほど似合う女子生徒をあたしは他に見たことがない。


 スズ姉はそこらにいる本物の女子よりはるかに可愛い。あたしの贔屓目を差し引いても、絶対可愛い。こんなに可愛いスズ姉を囮にしようだなんて。


 呑気にバナナを食べて、ジリヒンジャーのフィギュアを眺めている室長の後頭部を睨みつける。穴が空きそうなほど強く睨んだけど、残念ながら穴は空かなかった。


「さ、翡翠も着替えてらっしゃい」


 声も可愛い。男でもかっこよくて女でも可愛いなんて、本当に奇跡の人だ。スズ兄最高、スズ姉万歳。


「スズ姉はあたしが絶対守るから!」


 あたしはスズ姉の手を取って、強く誓った。


「ありがとう。でも、翡翠は女の子なんだから、あんまり無茶しないでね」


 スズ姉は意気込んでいるあたしの力を抜くように柔らかく微笑んだ。天使の微笑だ。見ているだけで幸せになる。ああ、スズ兄も好きだけどスズ姉も好きだな。火曜日最高、火曜日万歳。


「じゃあ、着替えてくるね」


 あたしはスズ姉を名残惜しく思いながらも、変装部屋へ入った。


 今日は動きやすい服にしよう。スズ姉の非常事態の時のために。



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