第2話 迷子のポチの探し方 3
そもそも一体全体、何故スズ兄がこんな奴と仲良くしているのだろうか。今世紀最大の謎だ。もしかして、スズ兄もこいつに何か弱みを握られているのだろうか。そうだとしたら大変だ。奴の魔の手からスズ兄をなんとしてでも救い出さなければ。
そんな事を考えているうちに、あたしは羊の着ぐるみを着終えていた。聖徳さんが小柄だったおかげでサイズはぴったりだ。
「ぴったりデスね」
室長が満足げにあたしの羊姿を眺める。そうか、サイズ的にこの着ぐるみを着られるのは、この中じゃ聖徳さん以外にあたししかいなかったから。だから、あたしがこんな目に。
「そんなむくれないで下サイよー。私が悪者みたいじゃないデスかー」
「みたいじゃなくて、悪者だから!」
「大丈夫デスよ。危ない目には遭わせマセンから」
そう言いながら、室長はあたしの――というか羊の頭を撫でて、いつもより優しそうに微笑んだ。その仕草が少しスズ兄とかぶってなんだか照れる。
「はい、じゃあアナタはここで美味しそうに立っていて下サイ」
「美味しそうに立つってなんだ。どうやって立ってたら美味しそうなの⁉」
なんだ。さっきちょっと照れた自分が激しく恥ずかしいというか、死にたくなるくらいムカつくんですけど。
あたしが喚いている間にも、室長と青木先輩はてきぱきと罠の準備を整えていく。落とし穴に網を仕掛け、上に薄いベニヤ板と土を被せて落とし穴は完成した。
網とかベニヤ板とか、一体どこから調達してきたのやら。
「よし、これで完成デスね。後はポチがやってくるのを待つだけデス」
「本当にこんな着ぐるみに騙されて蛇がやってくるんですか~?」
「あ。あそこの木の陰にとてつもなく長い影が」
「って来たァー⁉」
室長が指差した方向を見ると、本当にとんでもなく長い何かがうねうねとこちらへ向かってきていた。アレ、なんか思ってたより三倍長いんですけど。思ってたより三倍速いんですけど。
「な、ななな何アレェー⁉ あんなのもはや蛇じゃないじゃん! なんかもう恐竜的な何かじゃん!」
じりじり近づいてくるそれは、軽く六メートルは超えている超巨体だった。おまけに太い。桜の幹より太い。
――キシャアァ!
ニシキヘビは突然牙を剥き出して威嚇するみたいな声を出した。え、何コレ。何コレ。
「めっちゃこっち見てますけど。めっちゃこっち来てますけど。めっちゃ怒ってるんですけどォ!」
「お腹空いてるんじゃないデスか」
「そ、そういえば、ポチは昨日の晩から何も食べてな……」
「めっちゃ腹減りなんですけどォ⁉」
「良かったデスねー。囮作戦大成功デス」
「いやいやいや、呑気な事言ってる場合か! これ食べられちゃう感じじゃない? 囮じゃなくて餌の方向じゃない?」
「大丈夫デスって。落とし穴があるんデスから」
「大丈夫じゃなーい! もう無理むりムリ!」
あたしは次第に距離を縮めてくる化け蛇の恐怖に耐え切れず、その場を逃げ出した。
「あ、待って下サイ! ここを離れては」
室長が引き止めてきたけど、そんなこと聞いている場合じゃない。あたしは逃げる。こんなところであんな化け物に食べられて死ぬくらいなら敵前逃亡で一生後ろ指を差されたっていい。
グラウンド方面に走り出したあたしは、少しして後ろを振り返った。置いてきた室長達がどうなったか少しだけ気になったからだ。室長達は既に大分小さくなっていたが、どうやら全員無事な様子だ。
あれ。あの化け蛇は一体何処に……。
――キシャアァ!
その声はあたしのすぐ後ろで聞こえた。
「って、なんであたしぃー⁉」
化け蛇のターゲットはあたしのみにロックオンされたらしい。
「この着ぐるみのせいかァー⁉」
この時のあたしに出来ることなんて、全力で走ることくらいだった。
「つーかデカー! 近くで見るとめっちゃデカ! 蛇皮ハンドバック何個分んん⁉」
蛇はでかい図体の割りに結構な速度で迫ってくる。うねうねと体をくねらせながら土煙を上げるその姿は不気味で、ジュラ〇ックパークを思い出した。
「ギャアアアァ! やーらーれーるー!」
必死に逃げ惑うあたし。
突然現れた羊の着ぐるみとそれを追いかける巨大蛇に一時騒然となるグラウンド。グラウンドで練習をしていた運動部員たちも逃げ惑い、みんな校舎の中へと逃げ込んでいった。というか、誰か一人くらい助けろよ。というか、なんでこれだけの人がいて標的はあたしだけなんだよ、ふざけんなよ蛇。
でもこの蛇も元はといえば、聖徳さんのペットだ。ペットって言うくらいだからそれなりにしつけられているんじゃないのか。ええい、この際ヤケだ。
「ポチー! おすわりィー!」
――キシャアァ!
「待てェー!」
――キシャアァ!
「伏せェー!」
――キシャアァ!
全然ダメじゃん、こんちきしょお。ペットなんだったら基本のしつけぐらいしておけよ。
お腹を空かせたポチは、もう限界なのか更にスピードを上げて襲ってくる。ポチも必死ならあたしも必死だ。そして結構限界だ。
「わっ!」
あたしは何もないところで躓いて転んだ。こんな時に転ぶなんて、と涙に滲む視界に、すぐそこまで迫ってきているニシキヘビの姿が映る。
「うわあああ! もう、ダメだァ~!」
条件反射で頭を押さえて目を閉じ、うずくまるあたし。
「おいで!」
突然グラウンドに声が響く。聞き覚えのある声。安心感のある力強いけれど柔らかい声だ。顔を上げて声のした方向を見ると、あたしの左手側に立っている体育館の前に、白い柔道着に黒帯を締めたスズ兄が立っていた。体育館一階の柔道場から、騒ぎを聞きつけて出てきたようだ。
「す、スズ兄……っ!」
極限状態だったあたしは、スズ兄の姿を見ただけでなんだか涙が出てきた。
あたしがスズ兄のところへ駆け寄ろうと立ち上がったその時。
――キシャアァ!
何故か動きを止めていたポチが大きく鳴いたかと思うと、いきなりスズ兄の方へ進み始めた。
「え、え、え⁉ な、なんで⁉」
ポチはさっきまで執念深く追ってきていたあたしを置いて、スズ兄のところへ一目散に向かっていく。さっきまであたししか狙わなかったはずが、一体どうして。
その時、あたしの頭に先ほどのスズ兄の言葉が浮かんだ。「おいで!」あの言葉を聞いた途端、ポチは動きを止め、スズ兄の方へ方向転換した。まさかとは思うが、「おすわり」も「待て」も「伏せ」もできないが、「おいで」だけは覚えているとか、そういう……。
「ってちょっと待てー! あ、あたしのスズ兄に近づくなー!」
あたしはすぐさま地面を蹴り、火事場の馬鹿力というのか、愛の力で先ほどまでの倍の速さで走っていた。自分がこんなに早く走れるなんて知らなかった、というくらいのスピードが出た。
ポチとスズ兄の距離残り十メートルのところで、あたしはポチを抜き返した。
「スズ兄ー!」
あたしはもう半泣き状態で、ポチの牙からスズ兄を庇おうとして、走るスピードを落とせないままスズ兄に突進した。体育館前にある叢へ転がるあたしとスズ兄。
スズ兄は突進してきたあたしをしっかり受け止め、あたしの頭をさりげなく庇うように抱きかかえてくれた。派手なこけ方をしたが、羊の着ぐるみを着ていたこともあってか、どこも痛めずに済んだ。
「スズ兄、スズ兄、スズ兄ー!」
それでも、涙が止まらない。スズ兄の無事と自分の無事を確かめるように、ぎゅーっと抱きつく。そして、巨大蛇が襲ってくることを覚悟して、硬く目を瞑った。
「翡翠、もう大丈夫だから」
すぐ傍で聞こえてくるスズ兄の声と伝わってくる体温は、無条件にあたしを安心させる。
すると、突然背後で鈍い衝撃音が響いた。驚いて振り向くと、ドサッと巨大蛇が地面に横たわるのが目に入る。
「スイマセンね、ポチ」
そして、その横には蹴り上げていた足を地面に下ろす室長の姿。
「えええええ⁉ い、一撃⁉ あの化け蛇を一撃ー⁉」
「別に殺しちゃいマセンよ」
――キシャアァ!
気絶したかと思われたポチは突然起き上がって、今度は室長に襲い掛かった。
「室長危ない!」
室長は襲い掛かってきたポチを左に避けて、右脇でポチの頭をがっしりと挟んだ。ポチの勢いに押されて室長は三メートルくらい後退したものの、しっかり受け止めて両腕で口を閉じさせている。
「三笠ちゃん、尻尾を捕獲して下サイ」
室長が指示すると同時に、頭を捕まえられて大きくうねりもがいている尻尾を青木先輩は的確に両腕でつかみ、一ひねりしてから右膝でさらに尻尾の動きを抑え込む。
二人の鮮やかなニシキヘビ捕獲劇を目の当たりにして、あたしは声も出なかったが、周囲でそれを見物していた野次馬たちからは歓声が上がった。
「聖徳サン、お願いしマス」
室長は暴れるポチを押さえ込んだまま、聖徳さんを呼んだ。西館前から走ってきた聖徳さんは、顔を真っ赤にして息を切らし、室長とポチの前に立った。肩を上下させながら荒れ狂うポチを見つめる。
「ポチ」
その声を聞いたポチは突然暴れるのをやめ、目の前にいる聖徳さんを見つめた。その様子を見て、室長と青木先輩がそっとポチを放す。
聖徳さんは息を整えると、もう一度ポチの名を呼んだ。ポチを見つけた安心感からなのか、つぶらな瞳が潤んでいる。
「もう、大丈夫だよ。おいで、一緒に帰ろう」
ポチはそろそろと聖徳さんのもとへ寄っていった。聖徳さんは優しくポチの頭と体を撫でた。そのときのポチの顔は、スズ兄に大丈夫だと言われた時のあたしみたいに安心しきった表情だった。
ポチも聖徳さんとはぐれて不安だったのだろう。
それから、聖徳さんはあたしたちに軽く百回は頭を下げて、ポチの背中にまたがって帰っていった。
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