第2話 迷子のポチの探し方 2
「迷える子羊」は、おそらく百パーセントウールで出来ているであろうモコモコでフワフワの羊の着ぐるみを着用していた。頭についた、くるんと一巻きされている小さな角と、真っ黒のつぶらな瞳が愛らしい着ぐるみだ。
着ぐるみの中から覗く気の弱そうな顔立ちがさらに子羊なムードを漂わせている。
「何故に着ぐるみ⁉」
そう言ったあたしは、既に文学少女の知的イメージなど少しも保てていないのであった。
羊の着ぐるみを着たその人物は、あたしがこの「なんでも悩み相談室」に入って初めての、記念すべき相談者第一号だった。
「はじめまして、
「な、何で僕の名前を……」
「しょ、聖徳太子⁉」
名乗ってもいないのにフルネームで呼ばれた「迷える子羊」もとい、聖徳さんの驚く声よりさらに大きい声をあげてしまったあたし。慌てて手で口を押さえる。
「あ、摂政の聖徳太子じゃなくて……大きい志で大志です」
紛らわしい名前だ。というか、聖徳という苗字に「たいし」と名前をつける親ってどうなんだろうか。
「三年五組、出席番号十二番。常に制服の上からあらゆる動物の着ぐるみを身につけており、自宅は動物園並みの広さで、推定三百体もの生体を飼育しているとか」
室長はあたしと初めて会った時のように、相談者が何も言わないうちから相談者の情報をぺらぺらと明かし始めた。
「さ、三百体⁉」
三百体の動物達を飼っている家なんて、一般庶民のあたしには想像もつかない。
「な、なんでそんなことまで分かるんですか……⁉」
個人情報をすらすらと言い当てる室長を前にして、聖徳さんはあたし以上に驚いているようだった。
そんな聖徳さんの質問に、室長は綺麗な顔でにっこり微笑んだ。その微笑みは、室長の事をよく知らない聖徳さんにはきっと神秘的なものに見えたに違いない。なんと言っても室長の顔は、神様か何かだと勘違いしてもおかしくないくらい美しいのだ。
「貴方のことは何でも知っていマス。どうぞ、貴方の思うように悩みを打ち明けて下サイ」
そう言って優しく微笑んだ室長は、まるで怪しい占い師か怪しい宗教の教祖かとも思えた。
そんな室長にコロッと騙されてしまったのか、聖徳さんは熱い眼差しで室長を見つめ、室長の手をとって「助けてください!」と懇願していた。
「ぼ、僕のペットのポチがいなくなっちゃったんです!」
「ポチ?」
「それは困りマシタね」
ポチって、犬? 犬がいなくなったんだろうか。でも待てよ。この人は家に三百体もの動物を飼っているんだ。それに、今着ている着ぐるみからして、もしかしてポチは羊なのではないか。
「ポチって、羊か何かですか?」
「いいえ、ニシキヘビです」
「なーんだ、ニシキヘビか~。てっきりあたしは羊かと思いましたよ~……って、えええ⁉ に、ニシキヘビー⁉」
また想定の範囲外なものがきた。
「ニシキヘビって言ったら、あの噛まれたら何時間か以内に血清を打たないと死に至るという恐ろしい毒蛇なのでは……⁉」
「それはハブデスよ」
「あ、そうだっけ」
「聖徳サンが飼っているのはアミメニシキヘビ。学名はレティキュレートパイソン。世界最長の蛇と言われていマス。毒はありマセンが、人をも絞め殺す力があり、羊でも丸呑みに出来てしまうんデスよ」
「ええええ⁉ それってめちゃくちゃ危険じゃないですか!」
「だから、困ってるんです」
「困ってるって……困ってる場合じゃないでしょ! 早く警察か消防署に、いや、保健所? もう、一体どこに連絡したらいいの⁉ 助けてスズ兄ー!」
「では、行きマショウか」
室長は青木先輩が淹れたお茶を飲み干して立ち上がった。
「え、行くってどこに?」
「決まってるじゃないデスか、ポチを探しにデスよ」
室長はあたしを振り返って楽しそうに微笑んだのだった。
「なっんで、あたしが、こんなこと、しなきゃっ、ならないん、です、かっ!」
あたしは今、地下一メートルにいる。そしてでっかいシャベルで地面を掘って土をかき出している。今の土がどうか室長の顔面にクリーンヒットしていますように。
「これも町の安全を守るためデス。かっこいいデスよー、頑張って下サイ」
「そう思うんなら自分がやれ! ったく、こういう力仕事は普通男の人がやるもんでしょ!」
「何を古臭いこと言ってるんデスか。今や仕事に男も女もありマセンよ。女性の社会進出が進んでいるこのご時勢に高校生がそんな事言っててどうするんデスか」
「もっともっぽい事言った感じだけど、なんか違うから! そういうの平等って言わないから! みんな騙されちゃダメ! この人自分が労働したくないだけだから絶対!」
「誰に言ってるんデスか」
あたしは今、グラウンドの片隅にある西館の前で半径三メートルほど、深さ一メートルほどのでかい穴を掘らされている。
「てか、こんなトコに穴掘っていいんですか⁉ バレたら怒られるって」
「バレる前になんとかすればいいだけの話デスよ」
「なんとかってなんですか!」
「知りたいデスか?」
「いや、やっぱりいいです」
室長の含み笑いがなんだか怖くて、それ以上聞く勇気なんてあたしにあるわけがなかった。
「さて、もうそのくらいでいいデショ。どうぞ上がって来て下サイ」
そう言うと、室長は穴の中にいるあたしに手を差し伸べた。あたしはその手を掴もうとして、ふとあることを思いついた。
チャーンス!
今こそ復讐の時だ。この差し伸べられた手を引っ張って穴に室長を落とす。完璧だ。何が完璧なのかは自分でもよく分からないが、とにかく穴に落ちた室長の間抜けな姿を想像するだけで胸がスッとした。
「ありがとうございます」
ざまあみやがれ、この顔だけ野郎が。心の中で毒づく。あたしは思わず口元が緩むのを抑えられなかった。
室長の手を掴み、全体重をかけて引っ張ろうとしたその時だ。
「あ、手が滑りマシタ」
そう言って、室長は突如あたしの手を離した。
「え、え、ええええ!」
手を離されたのと全体重を後ろに傾けたのがちょうど同時で、あたしは思い切りバランスを崩して穴の中で尻餅をつく。めちゃくちゃ痛い。こんっの、バナナ中毒の変態オタク野郎……。今のは絶対わざとだ。
「あー、大丈夫デスかー?」
穴の外から室長があたしを覗き込んでいる。その顔にはニヤニヤという擬態語がぴったりな笑みが浮かんでいた。
「こん、ちきしょお~……っ」
あたしは悔しさに唇を噛み締めた。やばい。なんか涙出てきた。
室長はまた手を差し伸べてきたが、あたしはそれを無視して自分で穴から這い上がる。
「で、こんな穴なんか掘って一体どうしようってんです?」
「まあ、すぐに分かりマスよ。では、次はこれを着て下サイ」
そう言った笑顔の室長があたしに差し出したのは、先ほどまで聖徳さんが着ていたはずの羊の着ぐるみだった。
「ええ⁉ こ、これって」
慌てて聖徳さんの方を見ると、聖徳さんは普通の制服姿でなんだかチワワ並みにプルプル震えていた。
「は、剥ぎ取ってるし!」
「失礼デスねー、お借りしただけじゃないデスか。ね、聖徳サン」
「は、はいぃ!」
「なんか脅えてない? 何やったの、室長」
「そんなことより、さあさあ早く着て下サイ」
「だから、何のためにこんな着ぐるみなんか着なきゃならないんですか! てか、早くニシキヘビ捕まえなきゃ大変な事になりますよ! 星塚町が大騒ぎですよ! もう警察に電話しましょうよ!」
「そんな大きい声出さなくても分かってマスよ。だから、こうしてポチをおびき出すための罠を作ってるんじゃないデスか」
「え、罠って……」
落とし穴と羊の着ぐるみ。
頭の中に蘇る言葉。聖徳さんが飼っているというアミメニシキヘビについての説明。『毒はありマセンが、人をも絞め殺す力があり、羊でも丸呑みに出来てしまうんデスよ』
『羊でも丸呑みに出来てしまうんデスよ』の言葉が、室長のムカつくくらい眩しい笑顔と共にあたしの頭の中で反芻する。
「まさか、あたしを餌にする気じゃ……」
「まさか。ただの囮デスよ」
「すいません、誰かあたしに餌と囮の違いを教えてください」
「食べられるか食べられないかデスよ」
「あんた、ふざけんなよマジで! 一応あたし女の子なんですけど! ニシキヘビ捕まえるための囮にするっておかしくない⁉ おかしいよね、絶対! なんか他にいい方法あるはずだよね、絶対!」
「仕方ないじゃないデスか。だって今ここにはポチの餌なんてどこにも無いんデスから。そして、絶対なんてものも存在しないんデスから」
「うるせーよ、後半いらねーよ。つーか、囮ならあんたがやればいいでしょーが! なんであたしがこんな事までしなきゃなんないのよ、ほんっと付き合ってらんないわ!」
あたしは羊の着ぐるみを地面に叩きつけた。聖徳さんがびくっと震えてつぶらな瞳に涙を浮かべていたけど、今のあたしにはそんな事を気にしていられる余裕は無い。
こんな非常識人間と一緒にいたんじゃ、命がいくつあっても足りない。こんなとこでニシキヘビに食べられるなんて死に方、絶対ありえない。今すぐポチにこの非常識スマイリーを思う存分食べさせてやりたい。
「そうデスか。それなら仕方ありマセンね」
室長は言いながら、あたしが地面に叩きつけた羊の着ぐるみを拾い上げる。ようやく自分で着る気にでもなったのだろうか。
「菘に着てもらうしかありマセンか」
「なんでそうなるの⁉」
誰かこの人の思考回路の修繕をお願いします。なんかもう色々ぶっ飛んでるんで、全部付け替えてください。
「だって仕方ないじゃないデスか、アナタが着てくれないんデスから。あーあ、アナタが着てくれればそれで済むんデスけどねー。わざわざ部活中の彼を呼び出さずに済むんデスけどねー」
「うっ」
卑怯だ。あたしがスズ兄のことになると、なんでもすると知っていてこの言い様。ホント死ねばいいのに。
「わ、分かりましたよ! あたしが着ます。着ればいいんでしょ、着れば!」
「はい、ありがとうございマス」
まばゆい笑顔であたしに羊の着ぐるみを差し出す。このスマイルはゼロ円どころじゃない。もはや命懸けだ。ああ、このスマイルはどこに持っていったら換金できるんだろう。
あたしはこの極悪非道の変態魔人にスズ兄を人質にとられ、もういろんなことを諦めつつあった。
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