上司で幼馴染なお姉さんから相談を受けた件

月之影心

上司で幼馴染なお姉さんから相談を受けた件

「お疲れ様でした。」


 定時を過ぎた頃、社員は挨拶をしてオフィスを出て行く。

 僕はプレゼンの資料の作成に追われていたが、少々残業したところで片付くところまでは到達していない。


「お疲れ様。八代やしろ君も続きは来週にして今日は終わりなさい。プレゼンの日まではまだまだ日があるのだから。」

「あ、高森さん……はい……手が遅くて申し訳ないです。」

「ふふっ。初めての大きなプレゼンだもの。皆そうよ。」


 僕は八代恭平きょうへい

 入社3年目のようやく新人から脱し掛けている25歳のサラリーマン。

 まだまだ失敗はあるけど、何とか仲間の足を引っ張らない程度に仕事が出来るようにはなってきてはいた。


 優しく声を掛けてくれたのは、上司の高森たかもり真彩まや

 僕とは3年しか変わらないのに、その仕事振りが評価されて課長補佐というポストに就いている、所謂『出来るキャリアウーマン』だ。


 そして、上司部下という関係とは別に、僕と彼女は実家が向かい同士で幼い頃からお互いに良く知っていて、社内では『八代君』『高森さん』と呼んでいるが、会社から一歩出れば今でも『恭ちゃん』『真彩ねえ』と呼び合う仲でもある。


「さぁ、今日は帰りましょう。久し振りに一緒に帰ろうよ。」

「え?あ……はい。じゃあ片付けますので少しだけ待って下さい。」

「いいよ。あぁ、じゃあ下のロビーで待ってるよ。」

「分かりました。お疲れ様です。」


 お互い実家を出て一人暮らしをしていて、小学生の頃のように家の前で『じゃあまた明日』なんて言って向かい同士の家に帰って行くなんて事は無くなったけど、昔のままの付き合いと言うか、時々こうして途中まで一緒に帰る事もある。




 片付けを終えてロビーに降りると、入り口のドアの横で真彩姉がスマホを弄りながら待っていた。

 僕が駆け足で近寄ると、真彩姉は僕が隣に並ぶより先にロビーから外へ出て、パンプスの小気味良い音を立てながら駅へ向かって歩き出した。

 僕は駆け足のまま真彩姉の隣に並ぶと、ようやく真彩姉は歩く速さを落として僕と並んだ。


「ねぇ恭ちゃん、今日は晩御飯どうするの?」

「あ~全然考えて無い。頭ん中プレゼンの事でいっぱい。」

「会社を出たら仕事の事なんか忘れなきゃ持たないよ?」

「僕は真彩姉と違ってそんな簡単に頭切り替えられる程器用じゃないんだよ。」


 ふふっと笑いながら真彩姉が僕の腕に抱き付いてくる。

 普通ならこんな美人でスタイルも良い大人の女性に腕を組まれたら、平常心なんか一瞬で吹き飛んで血圧と心拍数が倍くらいに跳ね上がりそうなものだ。

 それは僕にも言える事で、毎度毎度あの柔らかい膨らみをむにゅっと押し付けられると意識が腕に集中してしまってどうにもならない。


「取り敢えず何か食べに行かない?」

「真彩姉の奢り?」

「いいわよ。今度3倍にして返して貰うから。」

「じゃあ割り勘で。」

「嘘よ。ちょっと話もしたいから今日は私が出すよ。」


 僕は真彩姉に腕を組まれて少し歩きづらかったが、真彩姉はお気に入りの居酒屋へと僕を引っ張って行った。




 真彩姉お気に入りの居酒屋は、カウンター席が5つ程あるだけであとは全て個室というゆっくり話をするのに適した店だ。

 店員も大きな声で注文を復唱したりしないし、大声で騒ぐ学生も殆ど来ない落ち着ける店だった。

 僕も社会人になってから真彩姉にこの店を教えて貰ってから。割と頻繁に利用していた。


 ただ、真彩姉が僕をこの店に誘う時は、大抵何か困り事があったか、或いは単に愚痴を聞いて欲しいだけだ。

 別に真彩姉の相談に乗る事も愚痴を聞く事も嫌では無いが、真彩姉ほど出来る社会人でもない僕には相談されても何もアドバイスなんか出来ないし、それこそ愚痴は『ただ聞いて欲しいだけ』の事だから口出しもご法度だ。


「恭ちゃん聞いてくれる?」


 今日は愚痴の日のようだ。

 席に着いて注文したビールで乾杯した直後、真彩姉が切り出した。


「もうね。あのサンカク野郎鬱陶しいのよ!」

「さ、さんかく?」

三角みすみよ!」


 真彩姉の言った『三角』とは真彩姉と僕の所属している部署の部長。

 陰では『社長の腰巾着』とか言われ、それなりに仕事は出来るのだろうけど社内での影響力の大きさからか余計な事にも気を遣う場面があったりして、社内でも好き嫌いがハッキリ分かれている人だ。

 僕も正直、馬が合わないと言うか色んな事に於いてベクトルが違うと言うか、とにかく仲良くなれない感じの人だった。


「三角部長がどうしたの?」


 ビールをぐいっと飲んだ真彩姉が少し乱暴にジョッキを机に置くと、バッグからスマホを取り出して何やら探した後に僕の方へ画面を見せて来た。


「これっ!」


 真彩姉が見せて来たのはメールボックス。

 受信ボックスの差出人の所には『三角部長』の名前がずらっと並んでいた。


「何これ?」

「サンカクからのメールよ!毎日毎日鬱陶しいったらありゃしない!」

「毎日メールする用事なんかあるの?」

「あるわけないでしょ。」

「それってセクハラとかそういうのになるんじゃない?」


 真彩姉はビールを一口飲んでふぅっと溜息を吐く。


「それがねぇ……」


 真彩姉はジョッキを机の上に置くと、スマホを指で操作しながらあるメールを開いて僕の方に見せた。


「え?」


 差出人:三角部長

 件名:お見合いの件


「お、お見合い?」

「そう。何か取引先の社長の息子がね……前に部長と商談に行った時に私を甚く気に入ったそうで、『会社の為だと思って』とか『形だけでいいから』とかしつこくお見合いさせようとしてくるのよ。」


 僕は真彩姉のスマホを見ながら……


(役職付くと色々大変だなぁ……)


 ……なんて気楽な事を思っていた。

 真彩姉は僕の方にスマホの画面を向けたまま、机に肘をついて顎を乗せながら僕の方を見ていた。


「で、ずっと断り続けてたんだけど、最後は『そこまで言うなら先方に断る理由を考えろ』って……自分が勝手に受けたんだから自分で考えろってのに。」


 まぁ何とも三角部長らしいと言えばらしいが。


「はぁ……どうしよう……」

「え?もしかしてその理由を僕に考えろとか?」

「サンカクと一緒にしないでよ……と言いたいところだけど、正直いい断り文句が浮かばないのよね。」

「それこそ『彼氏居るから無理』じゃダメなの?」


 真彩姉が僕の顔を睨む。


「な、何?」

「だって居ないモン……」


 あぁそうだ。

 嘘を吐くのは真彩姉の一番嫌いな事だった。

 社会に出たら『方便』というのもあるけど、それすら真彩姉は使うのを躊躇ってしまうくらい嘘が嫌いな人だ。

 ましてや自分の事で嘘を吐くなんて出来ないんだろうな。


「困ったね。」

「恭ちゃん困ってない顔してる。」

「そ、そんな事は無いよ……」

「だったら何か考えてよ。」

「ん~……」


 僕は腕を組んで天井を見上げて考えていた。


 考えてはいたが、僕の頭脳では『彼氏が居る』って事にするのがいいんじゃないかという考えしか浮かばなかった。


「やっぱ彼氏が居る事にするくらいしか思い付かないけど……嘘が嫌なら本当に彼氏作るしか無いよね。」

「簡単に言わないでよ。そんな人どこに居るのよ?」

「それは探すしかないだろうけど……」


 そして予想だにしていなかった言葉が真彩姉の口から飛び出した。




「だったら恭ちゃんが彼氏になってよ。」




 僕は真顔で真彩姉の顔を見ていた。

 照明が低く落とされている室内でハッキリは見えないが、心なしか真彩姉の頬が上気しているようにも見えた。




「真彩姉、酔った?」

「そんなわけないでしょ。」

「僕が?」

「うん。」

「真彩姉の?」

「うん。」

「彼氏?」

「そう。」


 真彩姉も方便なら仕方ないって思ったのかと……。


「あ~やっぱそういう作戦でいく?」

「作戦じゃない!」

「え?」


 真彩姉は席から立ち上がると、僕の隣に来て、店に来るまでのように腕を絡ませて来た。

 そして僕の腕に顔をくっつけて言った。


「恭ちゃんが私の彼氏になってって言ってるの。」


 いやいや……そんな流れある?

 そりゃ長い付き合いがあって真彩姉の事はよく知ってるし、別に真彩姉の事嫌いなわけなくて寧ろ好きだけどそれは幼馴染としてって事だと思ってるし、寧ろ真彩姉こそ僕の事なんか『近所の弟』くらいにしか思われてないと思ってたんだけど。


「え……と……ま、真彩姉?」

「何よ……」

「そんなので……いいの?」

「そんなのとか言わない。」

「いや……だってさ……いくら嘘が吐けないからって……僕と付き合うって……それってマズかったりしない?」


 真彩姉は僕に腕を絡ませたまま……と言うより僕の腕にしがみついて顔を伏せていた。

 真彩姉って僕の前でも『しっかりしたお姉さん』ってイメージだったけど、こんなに可愛らしい仕草もするんだと改めて新鮮な気持ちになった。


「恭ちゃんは……わ、私となんか付き合いたくない?」

「そんな事ないよ。」


 思わず即答してしまった。


「あ、いや……真彩姉と付き合えて嬉しくないわけないけど……その……僕みたいな頼りない人間でいいのかな?って……」

「恭ちゃんだから言ったんだよ……恭ちゃんじゃなかったら……嫌だよ……」


 その時僕は、真彩姉が『しっかりしたお姉さん』じゃなく、『不安を抱えて誰かに慰めて貰いたい子供』のように見えて、思わず真彩姉がしがみついている腕と反対の手で真彩姉の頭を撫でていた。


「正直、僕は真彩姉と付き合いたいとか考えた事無かった。それは、ずっと一緒に過ごして来たけど真彩姉は僕なんかよりしっかりしてて僕なんかじゃ釣り合わないと思ってたから。」

「うん……」

「真彩姉の事は本当に『お姉さん』としか思えなくて、お姉さんに恋愛感情持つのはおかしいと思ってた。」


 真彩姉が抱き付いた僕の腕にきゅっと力を入れて強く抱き締める。


「だからすぐ真彩姉を彼女として好きになる事は出来ないだろうけど、少しずつ好きになっていくのでも良ければ、真彩姉……僕の彼女になって。」


 真彩姉は僕の腕にしがみついたままゆっくり顔を上げて僕の顔を見た。

 その目が見る見るうちに涙を溜めていく。


「うん……うん……」


 溜まった涙が頬を伝って流れ落ちた。

 僕は真彩姉のしがみついていた腕を解き、真彩姉の体に腕を回して抱き締めた。

 頭を撫でていた手で真彩姉の頬に流れる涙を拭い取った。

 真彩姉は暫く僕の腕の中で安堵したように体を預けていた。


「私ね……小学生くらいの頃かな……その頃から恭ちゃんの事が好きだった……」


 真彩姉がぽつりと呟く。


「勿論、幼馴染としても好きだったけどそうじゃなくて……一人の男の子として好きになってたの……」

「何かそんなキッカケとかあった?」

「ううん……何となく……気が付いたら恭ちゃんが好きになってた……」

「そうなんだ。」


 僕は真彩姉の肩を撫でながら話を聞いた。


「でも歳が3つ違うから……中学高校って一緒になる事無くて……本当はちょっと恭ちゃんの事が好きって気持ちが薄れてた時期もあったんだよね……」

「そりゃまぁ仕方ないよね。会う事も殆ど無かったし。」

「でも新入社員の中に恭ちゃんが居るの見付けて……もうそれからは止まらなかったよね……『恭ちゃんの彼女になりたい!』ってそればっかり……」

「会社での真彩姉からは想像も出来ないや。」

「そりゃバレないようにしてたもの……だからお見合いの話なんか……」


 と言い掛けて真彩姉ががばっと体を起こした。


「ど、どうしたの?」


 真彩姉は僕の隣から元居た席へ戻って机の上のスマホを手に取った。


「サンカクに断りのメール入れとく。」

「そんな急ぐ事?」

「『ホウ・レン・ソウ』は早い方がいいのよ。」


 真彩姉の顔がいつもの仕事師の顔になっていた。

 ついさっきまで甘えて泣いていた子供の様な顔だったのに、キリッと締まってかっこよくさえ思えた。


「送信っと。」


 それにしてももう夜の9時前と言うのに、こんな時間に上司にメールなんかしていいのか?とも思ったものだが。


「来た。」

「え?」

「サンカクから返信。」

「はやっ。」

「どれどれ……」


 真彩姉が届いたメールをじっと読み込んでいたと思ったら、今度は何だか疲れたような呆れたような顔になって後ろの壁にもたれかかってしまった。


「部長何て?」


 真彩姉がスマホを僕の方に『ほれっ』と差し出した。

 開いたままのメールを読んでみる。


 件名:Re:お見合いの件

 本文:分かりました。先方にはそう伝えてお断りしておきます。


「こ、これだけ?」

「今まで散々引っ張ってきたのは何だったのって話よね……でも……」


 再び真彩姉は僕の隣に移って来て僕の腕にしがみついて来た。


「恭ちゃんの彼女になれたんだから何でもいいや。」


 真彩姉はまたさっきの子供みたいな顔になって、今度はニコニコとした笑顔で僕の顔を見上げていた。

 何だかこの真彩姉を見ているだけで、さっき言った『すぐに彼女として好きにはなれない』と言ったのを撤回した方がいいなと思った。

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