第十六話 第二次神流川の戦い④ 夜明け
《結》援軍到来、膠着する戦場
日が昇ると同時に北条氏照率いる5000と15000の大軍、南より現れいづる。
戦局の揺らぎを見て取り、素早く展開、攻撃態勢を整える。
最も後方にある本陣にて、彼らは馬上よりその地獄を見つめていた。
「殿。夜行軍はいささか急ぎすぎかと存じておりましたが、今の戦局を見るにやはり正しかったようですな。」
「......氏邦はここで死ぬつもりか」
「あの様子、一夜を通して戦い抜いてるようですな...」
「だからあれだけ無理はするなと.......」
氏照には氏邦が無理をしてでも攻撃を仕掛けに行っていることが不思議でならなかった。
そしてこの男の隣に並ぶ者も、その戦場を冷淡に眺め言葉を放つ。
「見立て通り3日と持ちませんでしたな。」
「ハハハハ。そう申されますな。『徳川殿』。」
「まさか北条殿とこうして
「潰すおつもりであったから、でしょうか?」
「......いかにも。」
「全く虫の良い話ですな、徳川殿。戦局が覆れば、いともたやすくえげつない行為をなされる。」
「...........」
「ですが、正直我らの交渉も半信半疑でござった。故に今の15000もの援兵はそれがしも全くの予想外で、真に、かたじけない。」
「.......いえ。本命はここではござらん」
「!!」
「しからば、残る15000はすでに...!」
「いかにも。今は碓氷峠を超え、わしを嵌めようとしてくれた真田を攻撃しておる。
なに、ちょいと茶々かける程度で奴らを城に封じ込めれば上々。あとはわしがこの場を離れて悠々と本領に帰るまで。」
「.....」
「......そう怪訝な顔をなさるな。それがしとて北条殿をこれからの新たな盟友として認識しておる。ゆえに10000の兵はこの場に残して進ぜよう。」
「.......かたじけのうございます!」
「もちろん、上杉、前田の留めであることをくれぐれもご注意召されよ。徳川軍は必ず前田にあてがうように。あとはご自由にお使いくだされば結構。」
「ハッ!」
「あとは、、そなたの主君氏直殿によろしくお頼み申すぞ。氏照殿。」
「ハハッ!!」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「伝令、上杉軍はいよいよ退路を塞ぎにきておる模様!河越城軍もとい黄備え部隊がその応戦に向かっております!」
「伝令、西口方面部隊、潰走!」
「伝令、後方の留めも前線を大幅に詰め、すぐそこまで敵軍ありとのこと!」
「伝令、前田本軍、続々と倉賀野城から出撃しております!」
「伝令、南方部隊壊滅!」
「伝令、、うぐっ」
まともに寝食していない兵が日光を眩しく感じるほどに、相当の時が流れた。血も、涙も、骸も、みな川のながれに乗せられてどこかへと消えてしまったようにさえ感じられる。
「殿!すでに日が昇っておりまする。このあたりでもともと策定しておった、防衛線まで退却のご決断を!」
「.........」
憔悴していたのは氏邦、ではなく周りの近臣である。
夜の間に部隊はずたずたに引き裂かれ、孤立、各個撃破がすでに行われつつあったのだ。そしてあたり一面の敵影に、士気は低迷するばかりである。
「殿!殿ォ!」
「死ねエエエエエエ!」
もはや戦にすらならぬほどの混沌の中にあって彼は意外にも落ち着き払っていた。
彼は得意の武術から成る槍術を駆使し、敵を捉えては強靭なる精神を敵方に見せびらかすように空高くその切っ先を掲げる。
彼に家臣の声はまるで聞こえてはいない。
「殿、殿、殿、殿」
「.......だまらっしゃい!」
「だまれと言われてだまる道理がどこにありましょうか!南方に多くの兵の姿ありとみて、ついに援軍が来たというに、殿はそのご命すらも散らされるおつもりか!」
「............」
「前田軍前衛10000とかちあい、その目的は達した次第。これ以上の無理攻めを強行して、強固な倉賀野城の攻撃態勢に入るは無茶でございます。どうか、ご英断を。」
いくらの兵が死に絶えたかわかっているのかと、言いたげにしている表情からも、限界が近いことなどとうに理解していた。
しかし、
「絶対に退かぬ。そもそも、退けぬ。」
「期を逃せば本当に退けなくなりますぞ。」
「金窪城も、本庄城もとうに捨てた我らに退くべき場なぞもはやない。ならばここに留まり各自奮戦するしか方法はないのじゃ。意外にも逝った者たちは少ない、まだ戦える。」
「援軍がさらにこちらに来るまで待て、と?」
「いかにも。」
あまりの無茶、それに、援軍はそこまで来ているものの、戦場の南方なのだ。下手をすれば即時壊滅の状況で戦い続けてることになんの意味も無かった。
ここを救える部隊など、あるはずもないではないか......
「伝令!」
そんな中にあって、
もう幾度かわからぬほどに聞いた伝令の声は、氏邦の心を奮わせた。
「噂をすれば果報は思ったよりも早く来るもの。さて、援軍は氏照殿かな。それとも氏直殿かな?」
「.......いえ、それが、」
「よい。はよう申せ。」
「ハッ!
まずは南方より北条氏照率いる20000、そして、鉢形衆7000!」
「東からの援軍、、しかも鉢形衆だと!!」
この場を絶望していた家臣はその援軍の存在に胸を撫で下ろした。
しかし氏邦は気がかりな点を一つみつける。
「鉢形衆、、なんと東からやってきたか!?だが、もっと気がかりな話は氏照の率いる20000....この戦線には必要ないほどに数が多いな。」
「ハッ、それがどうやら徳川家康率いる15000も参じているとのことです!」
「徳川家康、やはりやりおったか!」
「もうよい。そなたはすぐに河越城へ早馬を走らせよ。こう伝えるのじゃ『北からの危機は時期に収まる故、急ぎ南に専念すべし』と!」
「ハッ!」
「さて鉢形衆じゃが、今はいずこにおるのだ?」
「しばしお待ちあれ!どれが敵勢でどれが味方か判別もつかぬゆえに見つかり次第また伝令いたす!」
ん、?いや待て。その必要はなさそうだ。
今度こそ氏邦は見逃さなかった。それはあまりにも見慣れた光景。臣を見逃すわけなぞない。あれは間違いなく.....
「殿!今馳せ参じましたぞ!ウッ、、包囲が分厚い。急ぎ殿の周りの敵勢を蹴散らせエエエイ!」
「オオオオオ!!」
「鉢形衆の戦の真髄ここにあり!殿の
民兵も混じり混濁とした戦線に濁流の如く流れ込む。所々に散り散りとなっていた味方を合流させ、その大きな流れは氏邦のもとへとやってくる。
「斎藤元盛、見参也!殿、急ぎこちらへ、」
「おう!元盛か、よくぞここまで、」
「ここまでに土豪に在村被官、野伏ら郷士を結集して馳せ参じ候!」
「うむ!して、空の鉢形城はいかに?」
「ハッ、河越城よりまたまた援軍が到来し現在もより強固に城を固めておりまする!」
「さすが地黄八幡、、お見事だ。」
「じ、地黄八幡ですと!?すでに亡くなられたのではなかったので?」
「詳しくはわしも知らぬ。して、とにかくこの地を脱しなくてはならぬのだが」
「ハッ!それに関してはそれがしより進言したき儀がござりまする。」
「、、なんだ?」
「まず兵を纏め、南方の援軍には参加せずに後方の街道封鎖を行う依田康国を攻めるのでございます!」
「....なるほど。もし徳川軍が戦線を離脱して本領に戻るならばその道の確保こそ必須。今は北条と組んでいるゆえに手助けせねばならんな。恐らく真田もそれを承知の上であろう。」
「然らばそれがしは点在する味方を集めて殿に続きまする故、急ぎ北へ!」
「わかった。くれぐれも死すべからず」
「ハッ!」
いよいよ戦も佳境である。
しかし一つ誤算があった。
夜の合間に動こうとした軍は氏邦や氏照だけではなかったのである。
危機が迫る時、その音は後ろから聴こえる。大戦の後になろうとも、その顛末を完全に理解し得る人間はもはや居なかった。
第三章(前編)〜完〜
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