第二十五話 地黄八幡の大戦略
止まっていた時は再び動き出す。
侵略の手は止まず、尚も前進す。
小田原を滅し、次なる目標は河越。
いざいかん。豊臣が御為。
討ち果たさん。君が御名に懸けて。
「三成。もとはそなたの口が招いた災難。責任は己が取ればよかろうて。」
「...刑部にかかれば、できぬことなどなし。北方諸勢を纏め、統制せねば今後の大局に繋がりかねん。」
「...いかにも」
「河越へと向かえ。敵を討ち、戦を終わらせる。」
「応!」
【豊臣本軍、東進開始】
★
結論から言えば、三増峠において両軍はぶつかっていた。
「うおおおおお!!」
所属も知れぬ軍勢が今、一斉に伏兵を立たせ鉄砲を放つ。多勢の北条軍といえども、地の利を簡単に奪取できない。
「正面が強いぞ!3手に分かれて撹乱し、相手の防衛第一線を突破せよ!」
「ハハッ!」
正面はまさに要塞の出丸とも言える様相で、逆茂木やらなんやらが敷き詰められた向こうから精兵の殺意が湧き出てくる。
狙いすまし、敵を引き付けた後に、
「ズダダダ」
一斉掃射である。
予想が外れた。まさかの強敵。
氏規は額に汗を流す。冷や汗の類いである。
「徳川がいなくなったかと思えば、次はこれか...。まずい。退き時は近い。」
正面で睨み合っていた両軍は、徳川の離脱により北条氏規自ら打って出た。
相手が何者かが想像もつかないが、敵対しているのも確か。
ならば、ここは徳川を通さぬためにも奪還死守せねばなるまい。
しかし、その時限が迫っていることを、氏規は知っていた。
「三増峠を守り抜いたのちは、直ちに街道を上り八王子城に入城せよ。」
主の厳命。これ以上ないほどに強く念押しされた作戦。八王子はよほど重要なのだろう。
すなわち、見切りの問題である。
この戦、どこまでやりきり、どこで退くか。
じきに小田原攻めを敢行する豊臣本軍が押し寄せるに違いない。
徳川が峠を通ることに失敗し、三増峠は死守される。
この戦い、どこまでやる??
★
「南部戦線の構築は順調か?」
一人、老将は戦局を尋ねる。
「はっ!主君氏直様直々の親征により、士気、装備も十二分に揃っております。」
「そうか。ならば心配は無用じゃ。」
老将は、若き日と変わらず鋭く眼光を光らす。その眼には、行き遅れたことへの悲しみと、この大戦に出陣できる密かな喜びとが混じり合っている。
「北方は、鉢形城からの防衛線の防備を拡張しておけ。東が五月蝿い。また、氏邦殿にはこの文とともに命を軽んじられるな、と伝えよ。」
「はっ!」
河越城防衛は、まさに一世一代の大勝負であり、わしこと「北条孫九郎綱成」の最期にして究極の戦場である。
改めて、かの当主氏直殿には礼を申し上げたいものだ。
ここ河越城は、まさに最終決戦の場であり五代にわたり続いた北条の最後の砦。
かつて、巨大な連合軍を前に籠城し、主君が救援軍を差し向けてくださり、そして決死の突撃を行った。恐ろしい連合軍は蜘蛛の子を散らすように一斉に退散し、わしは幾つも首級を上げた。
ここ河越城が、まさか二度目の十万ほどの兵と闘う日が来るとは。
しかし、かつての河越と、今の河越とではまるで違う。河越城は大改修を行ったのだ。鉄砲や砲台陣地など、あらゆる攻撃を想定した
もとより、遠大な堀を巡らし、何重にも曲輪を配した堅固な城ではあったが、さらに
また河越は、武蔵国周辺の防衛線から見てすべてがほとんど等距離であり、指揮を執るにはうってつけと言える。周辺には関東屈指の堅城が線となり防衛網を構築している。
兵数は、民兵合わせ六万余。
そのうち一万は綱成直下の精鋭部隊で、4千は氏邦殿の支援に回らせた。精鋭部隊は、もとの臣下達や、その跡取りなども多く、強固な忠誠を誓っている。
要所に兵を配置しているため、この城自体には6000しか兵はいない。
3万と2万、1万で南(北条氏直軍)、東(岩付城軍)、北(松山城軍)にその軍勢を分配し、すきを見ては北側にも軍勢を分けている。
その采配の妙は歴戦の猛将にしかできない精緻ささえも感じさせる。
南では氏直殿直々に防衛作戦を担っておられる。まことに頼もしくなられた。
南はこれから、豊臣本軍決死の攻めが予想されるが、これをいかに被害を抑えつつ勝利するか。いよいよ氏直殿の采配を見る日が来る。
さて、いかに敵を仕留めるか。今、氏直殿の天下への名声が変わり始めておりますぞ。
「北東部要害、館林城陥落!佐竹ら敵方18000は忍城へ進軍を開始した模様!城には成田殿ら歴戦の者を合わせ5000が詰めているものの、敵はその三倍。また、敵方上杉軍が戦線を突破し、迂回して館林城への入城を目指しているものとの知らせが!堅固な城とは言え、後方との連絡を考え、救援に向かうべきかと!」
「あいわかった!これより我らは援軍に向かう!急ぎ佐竹を撃退すべし!」
彼のことを応援しつつ、綱成もまた戦場へと向かう。
★
氏直は改めて、地図を広げて正木に戦略を説明していた。
「江戸城を燃やし、そして示す。さすればここを起点として、侵攻が始まるだろう。それで良い。ここをあえて敵に渡しておくのだ。
江戸から河越は目と鼻の先だが、河越を背後に野戦に持ち込みたい。敵は速度重視、短期決戦を志向して河越へと直進するだろう。
言わずとも、江戸はその攻略に必須。殊に長期戦に対してその必要度は高まるであろう。」
「空城の計を用いるので?」
「いかにも。敵を中心部へおびき寄せ、そして叩く。敵は恐らく勢力を分散させて各城を攻める方向にならざるを得ない。
さすれば、江戸は無用の長物。わざわざ江戸で戦わずとも、敵を分散させて長期戦に持ち込むことができよう。」
「されど、その豊臣本軍が軍を二手に分け、下総に侵入した場合、里見はいかに動けば?」
「その場合、正木殿は一度里見領に帰還し、備えられよ。領内の東側にこれといって兵は配していない。そして里見が豊臣を離れたことを多くの者らは知らぬ。それゆえに里見殿の存在が重要なのだ。」
「...あいわかった!」
「もはや人事は尽くされた。あとは戦うのみぞ。敵方は、時をかければかけるほどに不利になる。その後は、我が家の命運を懸けて河越に籠城する。八王子、岩付、鉢形、松山、忍、の五城を起点として狭く守ることで時を稼ぐ。」
「いよいよ終局。もはや詭計は残っていない。戦いつづけるのだ。勝利を収めるまで。」
小田原征伐はついに最終局面を迎える。
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