第10話 キミとの恋からもう


 初めて壱也君を見た時、『先生』によく似ていると思った。


 大怪我をしているのに絶えず燃え盛る生命力と、一方通行でがむしゃらな強い感情、不器用だけど優しそうな言葉。かつて私が殺してしまったあの人の面影を感じさせる目の前の少年に、私は目を奪われたのをよく覚えている。


「なんでもいい。血ならいくらでもあげる、あげるから助けて。お願い」


 私の正体を理解していながら全てを捧げられる覚悟。怯えながらも生への執着の為に危険に身を投じる小さな人間の子供が、私には酷く魅力的に見えてしまった。ただでさえあの人を思わせる姿をしているのに、壱也君の水晶玉みたいに純粋な瞳が、私が何度も唱えてきた「もう人間なんて信じたくない」という気持ちを光と共に消し去ってしまう。


 この綺麗な瞳がもう一度私の事を見てくれたらどれだけ幸せだろうか、こんなに一途な人に思われたら数百年の間でくすんでしまった私の心も蘇るんじゃないか、そんな希望を抱いてしまう。


「いいよ、キミの怪我を治してあげる。そして家族の元にも連れて行くよ」


 長い年月の間で、私は何度も人間に近付き、後悔してきた。それを学んでいたからこそ私は目の前の美しい瞳の少年と親しくなりたい気持ちを抑えつけた。人間が短命な事も、脆い事も、吸血鬼と相いれない事も充分に知っていたから。

 また人間に近付いても傷つくだけだと、ここで少年を助けて満足しようと最初はそう思っていた。


「ちがう、俺の事はどうでもいいんだ。あっちで友達が死にそうなんだ、血を沢山流してて、死んじゃうかもしれない。お願い、俺の血なら全部とってもいいから慧を助けてよ!」


 そう思っていたのに、彼の願いがあまりにも一途過ぎて私は彼への興味を手放すことが出来なくなってしまった。


「・・・キミじゃなくて、友達を助けるだけでいいの?」

「そうだ。はやく、お願いだから、慧があんな目にあったのは俺のせいなんだよ。頼むよ」

「キミだって酷い怪我だ。このまま放っておいたら死んでしまうかもしれないよ」


 死ぬ事への恐怖なんて私には思い出せない。でも少年は確かに死への恐怖をはっきりと感じていて、それなのに自分を犠牲に出来ると言っていた。

 自分の命よりも大切に思ってくれる人がいる。あぁ、それはどんな気分なんだろう。


「わかった。キミのお友達を助けてあげる」

 吸血は弱っている人間や身体の小さい人間に無理に行うと命を脅かす行為だ。今更人間の一人や二人誤って殺してしまっても仕方ないと思っていたけど、私にこの少年を失うという選択肢は無かった。


「そのかわり、キミが欲しい」

「俺の血だろ。慧を助けてくれたらいくらでも・・・」

「違うよ。キミに私の城で一緒に暮らして欲しい。私の傍にいて欲しい。私に恋をして欲しいんだ」

「恋? な、何を言ってるんだよ、意味がわかんねぇよ」

「そうすればキミも、キミの友達も助けてあげられるよ」

「・・・・・・」


 私の甘い囁きに、まだ幼かった壱也君は少しだけ考えた後に頷いた。意味なんてわかっていなかったと思う。でも、こんな無意味な契約をしてでも私はもう一度人間と恋をしたかった。


「安心して、キミはまだ子供だから。そうだね、十年後キミの事を迎えに行くから・・・それまでずっと、今のまま素直で素敵なキミでいてね」


 吸血鬼にとっては一瞬の時間も人間にすれば長い。もし十年の月日で彼の中の純粋さが消えていたらその時は諦めようと思っていた。でも、壱也君はその先も変わらずにいてくれた。


 一つ誤算だったのは、彼の一途な想いはとっくに別の人間に向けられていた事。


 だけどそれは大した問題ではない、人間というのは自分と違う生き物を拒絶する。彼を私と同じ不老不死にすれば今は良好な関係を築いている周囲の人間は直ぐに彼を見捨て、壱也君が全身全霊で愛してしまったあの人間の女も壱也君に怯えていなくなる。


 少しだけ、少しだけ待てば壱也君の周りに彼を知る人間はいなくなる。すべて失い私と同じように孤独になった壱也君はきっと私のことを好きになってくれる。あの時と変わらない水晶玉みたいに純粋で透明で真っすぐな瞳で永遠に私の事を見てくれるに違いない。


 だって人間は、どれだけ愛していても相手が吸血鬼だとわかって愛し続けることなんて出来ないのだから。





***


「俺を殺してくれ」


 映すものを失った一途な瞳に、すっぽりと隙間の空いた彼の心に、私が居座る筈だった。なのに、再会した彼の心は相変わらずあの人間の女のものだ。


 人間の心は脆い、直ぐに壊れてしまう。彼が私の城を訪れてきてくれた頃には壱也君の心は既に壊れていたのかもしれない。それでも彼に未だに執着するのは『先生』を殺してしまった自分への意地か、純真な心を持つ人間との恋を諦めきれないからなのか。


「そんなことできないよ、私は壱也君の事が好きなんだから」

「うるさい。いいから俺を殺せ。お前ならわかるんだろ吸血鬼」


 見た目はそのままなのに変わり果てた姿。私に向けるのは愛情なんかじゃなくて強い憎悪と殺意。それでも長い間一緒に過ごせばその気持ちは薄れて、いつか彼の心が手に入るという小さな望みに縋っていた。


「ねぇ壱也君、ずっと城の中じゃ退屈でしょ。手を繋いで散歩でもいかない?」

 私の城で一緒に暮らすという果たされた約束は、私の夢見た生活とはかけ離れていた。


「壱也君ってピアノ弾いたことある? エントランスにある大きなグランドピアノで少し練習してみようよ、新しい事をするのって楽しいよ」

 私の正体を、吸血鬼の性質を調べる為だけに城に居座り、暇さえあれば書庫や倉庫にめぼしい文献が無いか探し、時には私の弱みを握ろうと策略する。とてもじゃないけど幸せな二人きりでの暮らしとは言えない。


「何か欲しいものある? 人間は直ぐにいろんなものを発明するから時々街に出ないと置いてかれちゃうんだよね。って、吸血鬼がこんなことに悩むのも変かな、あはは」

 壱也君は決して私の言葉に返事をしなかった。


「・・・俺を殺せよ」

「無理だよ。私にキミを殺すことは出来ない」

 唯一このやり取りだけが、私達の会話だった。



 壱也君が私の元に現れてからさらに時が過ぎ、ついに彼はこの広い城の地下にある隠し部屋からあるモノを見つけてきた。


「銀の弾丸・・・はは、本物の吸血鬼も意外と物語じみているんだな。こんなもので死ねるなんて、三流小説みたいだ」


 眼をギラギラとさせて銃口を覗き込む彼は、もう出会った頃のような素直さは無かった。まるで別人のように狂ってしまったのに、時折見せる一途にあの子を想う姿だけはあの頃のままなのが悔しくて、どうして私じゃないんだろうと無意味に悩んでしまう。


 隠し部屋にしまっておいた拳銃と銀の弾丸。何度も手入れをしてあるのでいつだって使う事が出来る。


「吸血鬼、残念だったな。俺を不老不死にしてこの世界に閉じ込めたつもりだろうが、これを見つけたからにはもう地獄みたいな日々は終わりだ」

 継ぎ目のない拳銃、本来なら無意味とされる程の繊細な彫刻が施された弾丸。それが人ならざる者によって生み出されたと考えるのは素人にでも簡単だ。


「閉じ込めた・・・か。そうかもしれないね」

 私は私のエゴで、壱也君をこの世界に閉じ込めた。死ぬ事が出来ない人間がどれだけ苦しいかを知っているにも拘らず。愛するキミを不老不死にした。


「やっと、やっと慧のいないこの世界から消えることが出来る・・・じゃあな吸血鬼、お前の企みはもう終わりだ」


 彼は引き金を引いた。戸惑い、数回。

 そして、最後に私を撃ち殺した。


 私が作り出し、長年手入れしていた拳銃の意味も考えずに。あれは、私が死ぬために用意しただけのものなのに。


「結局、最後まで名前すら聞いてくれなかったね」


 私の二度目の恋と二度目の人生はここで終わった。


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