第3話 十年前の約束
俺が記憶している吸血鬼とのやり取りはそこまでだ。
幼いころの俺が腕を差し出した後、恐らく血を吸われて意識を失って、その後気が付くとキャンプ場の敷地内に慧と一緒に倒れている所を発見された。怪我は負っていたが慧の胸部にあった致命傷のものは跡形もなく消えていて、慧は滑り落ちた時に頭を打ってずっと気絶していたと思い込んでいる。
泣きながら俺達を抱きしめる両親に死ぬほど怒られて、目を離したことを凄く後悔された。それと、何故か気絶した慧を俺がおぶって連れてきた事になっていたので慧の両親からこれでもかという程感謝された。普段は見ない大人の必死な姿をたくさん見てしまったせいで「吸血鬼に会った」なんていう話をする気になれなかった。
「貴女は、あの時に助けてくれた吸血鬼ですよね」
そして、あのキャンプ場での出来事から十年経った今俺の目の前に再び彼女が姿を現した。
見慣れた教室で慧の告白の返事を待っていた筈が、いつの間にかひたすら真っ暗な空間に立っているし、頬杖ついてイタズラな笑顔を浮かべていた幼馴染の代わりに、目の前には十年前と全く変わらない美しい容姿の銀髪の女性の黒い羽が呼吸に合わせてゆるやかに上下している。
出会ったのが子供の頃に少しだけだとしても、ここまで神秘的で奇異な存在ならハッキリと覚えている。彼女は確実にあの時に俺を助けてくれた吸血鬼と同一人物だと認識できた。可憐な顔に似つかわしくない凶悪な牙を隠すためであろう分厚い皮マスクも健在だ。
「あの時は本当にありがとうございました。俺も、一緒にいた女子もこうして無事普通の生活が出来ています」
普段はポーカーフェイスな慧が俺の告白を聞いてどんな顔をしているのか気になるところだし、現れるにしては最悪のタイミングだったが、俺は十年ぶりに再会した命の恩人への感謝を忘れない。
なにより、その言葉をずっと言いたかった。
「貴女が助けてくれなかったら慧は死んでいただろうし、俺も慧を助けられなかった事がずっとトラウマになっていた筈です。貴女は俺と慧の恩人です」
俺達の両親も慧もそのことは知らないけど、二つの家族が今日も平穏な日常をおくれているのは間違いなく彼女のおかげだ。俺は深々と建前ゼロのお辞儀をする。
「うん、良かった良かった。キミがちゃあんと大きい人間に成長してくれて私も嬉しいよ」
なんて優しい吸血鬼なんだろう。朗らかな表情とラフな口調がとても好印象で一般的な吸血鬼のイメージとはかけ離れて本当にいい人なんだと思える。
「じゃあ、契約通り今度は私が貰う順番だよね」
なので、暗闇に放り込まれる前に聞いた言葉の不気味さにどう身構えていいのかわからなかった。「契約通り迎えに来た」「キミは私のモノ」。それが意味する過去の記憶を俺は持っていない。確かにあの時助ける代わりに血を貰うとは言われた、だが契約というものには一切覚えがない。
あの日の対価はあの日既に払ったものだと思っていた。
「・・・それは、もしかして俺がここで貴女に命を奪われるということでしょうか」
探るように、けれど確信を突く質問を投げかけた。じわじわと嬲り殺されるような恐怖を味わうくらいなら覚えのない罪を先に突きつけて欲しかったからだ。俺の覚えていない『契約』とやらが毎月彼女のために献血をする程度のものだと良いのだけど。
「あぁ、そっか。覚えてないんだったね。でも大丈夫だよね、たった十年経過したくらいでキミの気持ちが変わるわけないもの。キミはキミだもん」
吸血鬼は肩にかかった細かく輝く銀髪を人差し指でくるくると遊ばせた。
「安心して、キミの命を奪うなんてこと絶対にしないよ。だって私はキミの事が大好きだからね」
「なっ!?」
大好き。初めて同年代の女子(?)に言われたその言葉に思わず素直に反応してしまう。頭では目の前の彼女がただの人間ではない事をわかっていながらも、美しい見た目の女子にそんなことをさらっと言われてはシリアスな空気だろうと関係なく顔を赤くしてしまうのが平均的男子高校生の反応だ。
「俺の事が好き・・・ですか」
どぎまぎしながら復唱すると、胸がかぁっと熱くなる。
「うん。だからキミを苦しめるような事はしないから安心して」
「そ、それはどうも」
下手したらこの場で問答無用に殺される事も考えていたから、拍子抜けしてしまう。
「私の気持ちも伝えたところだし、さっそく私の城に行こうか」
「えっ? 城ですか」
予想だにしていない展開だった。友達の家に誘われた時みたいに、あまりに自然な言い回しだったのでその発言の深い意味を考えようなんて気持ちは微塵もなく、ただ反射的に尋ねてしまった。
「その、招いてくれるのはありがたいのですけど。突然目の前から俺がいなくなったら幼馴染が驚くと思うので、後日余裕のある時じゃダメですかね? 手土産とかも用意していませんし。無理ならせめて、慧に事情を説明してから行きたいんですけど・・・」
もしかしたら吸血鬼の不思議な能力で時を止めたまま旅行ができたり、仮想世界の中でお宅訪問できたりという事もあるかもしれない。そんな浅はかな考えから出た雑談みたいな欲求だった。
「・・・・・・は?」
しかし、俺の意見を聞いた吸血鬼は凍り付いた表情で、純度の高いアメジストみたいに妖艶に輝く瞳をカッと見開いた。
「そんなこと気にする必要ないよね。キミはこの先ずっと私の城で私と一緒に暮らすのだから」
それが俺達の間にある『契約』を現すのなら、俺は十年前の俺を恨みたい。
「私の城で、私の為に、私と共に永遠の時を過ごす。それが十年前にキミとした契約だよ」
大きく開かれた濃紫が、やけに輝いて見えた。
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