フットスタンプ

 葵は内心、頭を抱えていた。



「(聴こえてるんだよなあ!)」



 そう、聴こえている。会場の熱気と歓声はモヤみたいに降り注いで、反響して、思わず立ち眩んでしまいそうになるけれど。兎萌の声だけは。俺の好きな女の声だけは。ぼやけることなく真っ直ぐに伝わってくる。



「……ははっ」



 最高だな、この感覚。



「笑った……? 余裕か、いや。諦め、あるいは気でも狂ったか」

「いいや?」



 怪訝な表情をする舞流戦に、葵は肩を竦めて返す。



「ようやく捕まえたんだよ。『三羽目のウサギ』を」



 それだけ告げて、拳を構える。

 俺には幸せさいきょうセコンドが付いているんだ。



「負ける気がしねえ!」

「ほざけ!」



 渾身のストレートをお見舞いしてやる。

 かと思えば、逆に肺の上から衝撃をぶち込まれる。

 意地と意地がかち合う度に、会場がぐわんぐわんと地揺るぎした。

 葵が蹴れば、ルーキーが一発入れたと喜ぶ声と、チャンピオンは何をやっているんだと落胆するため息が。

 舞流戦が殴れば、それでこそ王者だと囃し立てる声と、どうせこのまま釈迦堂一強で終わるのだと言う諦めの吐息が。

 どちらにせよ悲喜交々。散らかし放題にひのこを飛ばす口。それはそれは、見ている側にとっては醍醐味。興奮の雄叫びなのだろう。


 だが、うるせえな、と葵は思った。


 今までは、結果よりも途中の努力を認めて欲しい、なんて青臭いことを願っていたこともある。けれど、的外れな評価ならば、いっそ不要だ。

 こちとら板の上の魚じゃあない。気化したアルコールのように汗と熱気の立ち込める中、勝手にフランベされるなど、冗談じゃない。

 欲しいのは罵詈雑言のブランデーではなく、勝利した暁の狂喜乱舞シャンパンだけだ。


 聴覚のほとんどをシャットアウトする。

 熱気の霧の中、全神経を研ぎ澄ませ、目の前の相手の一挙一投足に目を凝らす。


 ふと、舞流戦が笑っていることに気が付いた。



「聴こえるか、川樋葵。エールって奴は、思ったよりも汚いだろう。ファンやサポーターも、一歩間違えれば暴徒と化す。そんな混沌から投げつけられる言葉は、耳を劈くだろう」



 グローブに言の葉を乗せ、王者は問うてくる。



「これが玉座だ。針のむしろなんだよ、ここは。それでも欲しいなら、この椅子をくれてやる。座る度胸があるのならな」



 葵はきょとんとした。身構えてはみたものの、どこか拍子抜けだった。

 お返しに、こちらも魂を込めて、ぶん殴り返す。



「いらねえよ、ンなもん。座ってる場合じゃねえだろ。ここはリングだ。尻が付けばテンカウントの始まり。そうだろ!」



 初めて、舞流戦が葵の攻撃を、ディフェンスした。

 両腕でボディを庇い、たたらを踏んだところで、奴は――



「ハッ」



 満面の愉悦に、頬を歪ませる。



「嬉しいよ、川樋葵。仕合う相手がのは、デビュー戦以来だ!」



 王たる獣は怒号を発し、猛攻撃の雨を降らせてきた。

 葵は必死に攻撃を捌きながら、舞流戦の言葉の意味を模索していた。


 釈迦堂舞流。通称【二殺拳】にして、現在の男子高校生のトップ。


 それはきっと、高校生になってから辿り着いたものではない。生まれ持った体格とセンスで、幼い頃から、ある程度の高みに君臨していたことだろう。さらに努力によって、現在の玉座を手に入れた。

 しかし、葵が初めて出会った時から、舞流戦はずっと、餓えた狼のような目をしていた。



「ああ……そうか。そりゃあ、腹が減るよなあ」



 自分の中では、初心者が二歩進んだのと同じようなものなのに。他の選手たちと同じように、一歩ずつ歩いているだけなのに。

 周囲から貼り付けられた『最強』というレッテルのプレッシャーが肩にかかって、重くなった腕では拳をうまく振るうことができなくなってもなお、踏み出した歩み出した一歩が『他者にとっての二歩』であることを強いられる。


 自分は強者だから勝って当たり前なのだと、必死に言い聞かせて。思い切り挑むことなどできずに、視線は常に挑戦者あしもと。満たされるはずもない。



「分かってくれるか、ルーキー」

「いや、分かりたくねえ。贅沢で腹立つぞ、チャンピオン」



 こっちはずっと、その対極にいたのだから。

 髪色が日本人然としていないというだけで、幼い頃より、ありとあらゆる場所から爪はじきにされてきた。学校という、いてもいい権利を渡されても、結局は鼻をつまみ、腫れ物に触るように接される日々。当然、そんな膿のような存在に、友達なんてろくにできなかった。


 けれど、兎萌が、教えてくれたんだ。


――大丈夫。話聞くよ?

――そういう偏見、うっざいよねえ。

――一緒にやろうよ。キック。


 自分のような人間でも、戦っていいんだってことを。

 葵は腹の底から雄叫びウォークライを張り上げた。。



「うだうだ言ってんじゃねえぞ、チャンピオン! お前の叫びは、お前にしか上げることができねえんだ! 最強ってのは、周りから評価されるもんじゃねえ。お前自身が決めるんだよ!」



 刻み込むように、脳天へとグローブを叩きこむ。



「もうナシだ。何もかもナシで行こうぜ!」

「何……?」

「何かを背負って戦うとか、何かのために戦うだとか。そんなもんは二の次だ。そんなかるい拳じゃあ、テッペンまでなんか飛べねえんだよ!」



 葵は叫んだ。

 それは舞流戦に対してでもあり、同時に、自分に向けてでもあった。


――何で自信ないのよぅ……ずっと、葵は最高だって、伝えてたじゃんかぁ……。


 大切な人の言葉を、自分を、信じるって決めたんだ。もちろん、不安はある。この戦いだって、勝てる保証なんかどこにもない。

 されど、自分で拳を振るうと決めなければ、勝つ未来なんて絶対に来ない。


 足が棒になって、泥に塗れて、苦渋を飲んで、血反吐に喉が枯れたとしても。自分にはできないだなんていう『偏見おもいこみ』を取っ払って、宣戦布告をし続けることでしか、勝ち取ることはできない。



「(ああ、楽しいな)」



 葵は笑った。全力を賭してかち合うのは、こんなにも清々しい。

 棘の道に身削り、苦しみ悶えながら戦い続けるだなんて。

 かつて、刀による戦が終わったとき、武士たちは存在意義を失い、淘汰された。それどころか、人を殺した者として忌み嫌われたらしい。



「だから思い込みを取っ払えよ、舞流戦。『王者』と『挑戦者』、襷を二枚かけちゃいけないなんて決まりはないぜ?」



 そして時を経て、現代。

 ハナっから戦闘の必要がないというのに、そこに身を投じて、鎬を削るだなんて。

 戦闘狂とは、よく言ったものである。



「楽しもうぜ。ぶっ倒れるまで」



 にい、と歯を見せる。それに、舞流戦も乗った。



「オレが勝つ!」

「俺が、勝つ!」



 同時に走り込む。

 繰り出したパンチは――舞流戦の方が、わずかに速かった。



「ちっ、くしょォ……!」



 頸椎が軋み、三半規管が麻痺をする。

 天井の照明が、点から線に変わる。

 王者・釈迦堂舞流戦の【二殺拳】の二撃目が、視界を掠める。



「葵ぃぃぃ――――!!」



 耳に届いた最愛の声援エールに、葵は口元を緩めた。

 走馬灯のように、記憶が脳裏を駆け巡る。


――わわっ、わ! お前、急になにすんだ!

――特訓よ、特訓。まずは私を背負ったまま、建物の周りを一周ね。その後は、一周目で付けた足跡を、寸分違わず踏むように走ること! ちなみに滑ったら殺すから。さあ行けー!



 無意識に、体が動いていた。

 辛うじてリングに着いていた足で踏み切り、膝を打ち上げる。え? 足を下ろすための足跡がないって? うるせえ、今から付けんだよ。揚げ足取んな。

 そう、ここに今、俺の――俺たちの一歩を刻み込むんだ。

 しっかり味わえよチャンピオン。空高くから叩きつけたフットスタンプは、芯まで届くぜ?



「が……ふっ!?」



 鳩尾に膝がめり込んだことで、【二殺拳】は霧散し、王者の体が大きくよろめく。

 会場が驚きの声に包まれた。おい、ちょっとばかしフライングだぞ、バカヤロウ。

 葵は拳を天高くつき上げると、そこから思いっきりぶちかました。


 ぽかんと口を開けていたレフェリーが、ハッと我に返って、慌ててテンカウントを開始する。



「1、2、3――」



 葵は肩で大きく息をした。肺が張り裂けそうなぐらいパンパンで、いくら酸素を求めてもキリがない。酸欠で頭がぼうっとしてくる。というか、頭痛え。ボコボコに打ちのめされた体中が痛い。



「4、5、6――」

「(帰ってから、風呂の鏡見んの怖えなー……)」



 絶対グロいことになってる。間違いない。

 舞流戦の方へ視線を向けると、奴は白目を剥いて伸びていた。どうか、そのまま立ち上がらないでいて欲しいものである。



「(にしても、楽しそうな顔しちゃってまあ)」



 笑いながら気を失っているとか、ホラーだろ。夢に出てきたらマジギレするからな。マジで。だから後でライン教えろ。鬼電するから。



「7、8、9――」



 レフェリーの裏返り気味の声が、ラストに近づく。



「10!!」



 最後のカウントを告げる手が振り下ろされ、ゴングが激しく打ち鳴らされた。



「っしゃおらああああああ!!」



 渾身の力を込めて、今日イチの咆哮を上げる。

 リングによじ登ってきた兎萌が、もう松葉杖を突いて――途中で鬱陶しくなって勇魚へと放り投げて――飛び込んでくる。



「やった、やったね! 本当にすごいよ。世界一カッコいいよ、葵!」



 それを、大切に大切に、受け止めた。



「最後、兎萌の声がなかったら、ヤバかった。あそこで踏ん張れたのは、兎萌のおかげだ。ありがとう。お前こそ世界一のセコンドだよ」

「えへへ、どういたしまして」



 葵は、気恥ずかしそうに身じろぎする体を捕まえて高く持ち上げ、一回転した。


 観客席の三百六十度全方位に、最高の彼女を見せつけるように。

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