カチコミ
かくして。ジムでの鬼のようなしごきと、家での献身的な食事サポートをしてもらったおかげで、計量日には、きっちり規定内の体重に収めることに成功した。
試合会場は、山形市の霞城公園内に建てられた、県の体育館。
霞城こと山形城の本丸の名残である、深い空堀の外周を辿っていくと、コンクリートの建物が見えてきた。その無骨さに、『南陽アルカディアス』の建物を連想して、葵は噴き出しそうになった。
「ここは、山形出身のプロボクサー・石垣仁の日本王座防衛線でも使われたことがあるんだよ」
キックじゃないけどね、と舌を出す兎萌の解説に、納得する。
きっと、『アルカディアス』があんな見た目なのは、ここがモデルだからなんだろう。そう勇魚に訊ねてみたが、彼は笑って、とぼけてみせるだけだった。
正面入り口前で、体育館を見上げる。
「やるべきことはやった。体重も間に合った! 龍上海の辛味噌ラーメンも食べてきた! さあ、カチコミをかけるわよ!」
「応!」
ボクサーとセコンド、肩を並べて、堂々と戦場に踏み込む。
入ってすぐに、葵は周囲の注目を集めたことに気が付いた。はじめは金髪のせいかとも思ったが、見える限りにいる他の選手たちを数えるだけでも、染髪をしている人間は多い。
兎萌に訊いてみようとしたところで、ざわめきの中から「あれが、羽付の連れてきたルーキーか」とささやく声を拾った。
「注目されているわね」
「……ああ」
「肩の力を抜きなさい。あんたの『
歩みを止めずに、兎萌が続ける。
「葵のすべての攻撃が、防御が、観察されて、対策を練られるわ。だからまずは、春近さんとの稽古で得たことを忘れて。釈迦堂くんか百目鬼くんと当たるまで、封印しなさい」
「封印しろって、また簡単に言ってくれるな」
肩の力を抜こうと意識すればするほどに、気が重くなっていく。
二階席へ出ると、まず葵は息を呑んだ。県立体育館という響きから、普通の体育館を想像していたが、運営の会場設営によっておそらく階級別に分けられたリングが並び、イメージとはかけ離れた光景が広がっていた。
こうして俯瞰から見ていると、テレビで見た格闘技の試合のカメラになったようだ。
こっちみたいね、と兎萌に手を引かれた先で、スペースを確保してくれていた明日葉が手を振っているのが見えた。
「おはよう。昨夜はよく眠れたかしら?」
「おはようございます、明日葉さん。春近さんまで来てくれていたんですか!」
シートの端でお茶を飲んでいる好青年の姿に、葵は嬉しくなった。
「大学の寮から近いんだよ。いてもたってもいられなくってね」
「心強いです。けど……」
「うん?」
「さっき兎萌から、序盤は剣道の動きを封印しろと言われまして」
「無理もないさ。剣道の試合なんかでも、予選での強豪校は、けっこう遊んでいるように見えるしな」
「遊んでるんですか……」
さすがにその域にまで達している自信はさらさらなかった。春近から「そう見えるだけ」と念押しされたが、そう見えるくらいに強者と弱者との差があるということには変わりはない。
着てきたコートを脱いで、会場へと下りる。
勇魚が持ってきたトーナメント表によると、葵が出場するLW級の選手は七人。葵のいるブロックは、シードになっている舞流戦とは別だった。
「決勝戦で、舞流戦と戦うのか」
拳を握りしめていると、そこへ、鼻持ちならない嘲笑う声が割って入ってきた。
「腹立たしいね。決勝まで行けると思っているなんて」
拳統王だった。その後ろには、この数週間、片時も忘れたことのない顔が腕を組んでいる。
「仮に初戦を勝ち上がれたところで、準決勝は僕とだ。そのこと、分かってる?」
「ああ。お前を倒して、舞流戦も倒す」
「言ってくれるねえ……」
「おけい、拳統王」
舞流戦が口を開いた。相変わらず、獣の唸り声のような圧を感じる。
「逃げずに来たことは褒めてやろう」
「言ってろ」
真っ向から睨み返す。交錯したところで散る火花の熱さに目を閉じてしまいそうになるのを堪え、見開いてやる。
「……少しは見られた目になったようだな」
そう言って、最後に兎萌へ一瞥をくれてから、舞流戦は去って行った。
「勝つぞ、兎萌」
「ええ。当然」
二人は、突き出した拳を確かに打ち合わせた。
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