ラックメイカー

 開会式を終え、その足でリングへ向かう。

 葵は早速、第一試合に組み込まれていた。体を温めながら、リング端で兎萌に指示を仰ぐ。



「一回戦の相手は……ああ、鷺ノ森さぎのもりくんね」

「知っているのか?」

「知ってるも何も、超有名人よ。通称『最強の最弱ラックメイカー』」



 話に耳を傾けながら、葵は視線を対角に向けた。


 第一印象は、もっさりした男子。失礼ながら、目まで隠れそうな前髪は、上半身の筋肉が見えていなければ、陰キャラとして扱われてもおかしくはなさそうである。



「おあつらえ向きね」

「おあつらえ向き? どういうことだ」

「彼のファイトスタイルは、葵の最終兵器を隠すのにうってつけってわけ。一つアドバイスをするなら、そうね……何が来るか分からないから、無駄に攻撃をもらわないようにしなさい」

「ああ、分かった」



 口ではそう言ったものの、葵はすぐに疑問符を浮かべた。



「抱え込み、ひっかけ、肘、顔への膝は禁止です――」



 レフェリーの諸注意を聞きながら考える。有名人であるのに、何が来るか分からない。得意技の一つくらい、警告されてもよさそうなものだろうに。

 謎でしかなかった。



「それでは、はじめ!」



 ゴングが鳴り響く。

 向き合った鷺ノ森は、第一印象通り陰鬱な雰囲気を醸し出す選手だった。にたあと薄気味悪く口角を歪ませ、まるで幽霊か、はたまた枯れ尾花か、ゆらゆらと身体を揺らしている。


 だが、立ち止まっているわけにも行かない。

 葵は攻め込んだ。

 ジャブからの、ストレート。先手必勝で畳みかけた攻撃は、



「……へっ?」



 不気味なほどあっさりと、クリーンヒットした。

 ぐずぐずとたたらを踏んだ鷺ノ森は、構え直して、またニンマリと薄笑いを浮かべている。


 葵は頭が混乱しそうだった。人のことは言えないが、今の手ごたえはまるで初心者を相手にしているようなものだった。

 しかし、目の前の妖しい表情はどうだ。間違いなく、なにかを隠し持っている。



「来ないんだ? じゃあ、ボクから行くよぉ」



 ゆらりと、幽霊が動いた。


 脇の締まり切っていない、甘いスタンスから、緩やかにボディを狙うフック。

 当然、躱すことなど容易い。明日葉の死神の鎌に比べれば、どうってことは――



「――なっ?」



 ぱあんと、頬に衝撃を受けた。驚いて目を向ければ、鷺ノ森は打ち上げるようなパンチを振り切っている。


 二撃目が、来る。飛び退きたかったが、剣道の足捌きを封印しているということを思い出して、足が固まってしまう。



「(間に、合わねえ――)」



 なりふり構わず、無様に顔を覆ってガードする。

 次の瞬間、鷺ノ森のパンチは、葵の腹に突き刺さっていた。


 限界だった。思考不可能オーバーフローに陥っている脳味噌を庇いながら、ぐるりと回り込んで、仕切り直す。鷺ノ森は本当に幽霊なのか。いいやそんなことはない。馬鹿馬鹿しいと、首を振る。


 呼吸で頭を冷やしながら、ふと、葵は脳裏に過る違和感を捕まえた。

 俺は、鷺ノ森の通称を聞いたことがある。


――この足場で、素人にしてはよくやったものだね。

――意地悪言わないであげてよ。彼は『最強の最弱』じゃないんだから。


 はじめて拳統王にケンカを売って、手も足も出なかった時の、拳統王と兎萌の会話だ。


 思い返しながら、葵は引っかかるものを感じた。


 鷺ノ森は有名人なのだろう。しかし、そんな人物を『よくやった素人』の引き合いに出すだろうか。


 謎の解が見えないまま、葵は鷺ノ森のグローブを、ぼんやりと目で追っていた。

 顔に目がけた右ストレート。

 緩慢としたパンチに、防御を合わせていく。


――何が来るか分からないから、無駄に攻撃をもらわないようにしなさい。



「そういうことか!」



 目を見開いた葵は、防御を捨てた。本来、相手の右ストレートが着弾するだろう、自分の体の左部分に集めていた神経を、反転させる。

 すると、葵の目算通り軌道を変えてきたグローブは、こちらの右肩を撃ち抜くことなく、空を切った。


 葵は、がら空きの腹目がけて、フックを叩きこむ。



「そう、正解よ、葵!」



 兎萌の喝采を背に受ける。どうやら答え合わせはクリアしたらしい。


 ダウンした鷺ノ森から離れながら、葵は気を引き締め直した。

 どうりで、有名人でありながら、その対策方法についてうまく説明できないはずである。


 鷺ノ森の攻撃が初心者然としていたのは、実に狡猾な戦法だった。

 ビギナーズ・ラックという言葉がある。アレが何故成立するのか、その理由を、今の葵になら答えることができた。

 強者が強者相手に鎬を削ってきた中で、初心者の行うような『まるでなっていない』動きを突然放り込まれれば、それは異物となる。ふらふらしたフットワークも、よろよろのパンチも、その行き着く先は予測不可能で、ストライクボードの狙ったところになんざ、当たる訳がない。


 そんな初心者の行う闇雲は、同時に強者からの目を欺く闇雲となる。

 それを狙って発生させるのが、『最強の最弱』鷺ノ森だ。



「ははっ、そんなのアリかよ」



 ゆらゆらと起き上がる幽霊を見据える。おっそろしい奴だよ、あんた。

 前提条件をひっくり返すような戦法には、背筋が凍るようにも感じるが。



「けれど、枯れ尾花だってことは見抜いた!」



 予測不能ゆうれいでないと分かれば、震えは武者震いへと変わる。恐れることなくこぶしを構えることができる。


 再開の合図に、葵は大きく一歩を踏み込んだ。イメージするのは明日葉の鎌。ススキの穂を刈り取るように、思い切り蹴り払う!


 歓声が起こった。


 葵は飛び跳ね、兎萌に向かってガッツポーズをした。


 山形が誇る女子チャンピオン・羽付兎萌の育てたサラブレッドが、デビュー戦でKO勝ちを修めるという華々しい結果は、たちまち会場中を駆け巡っていく。それが、強者たちを刺激するべく走る電撃でもあったことは、葵にはまだ理解できないかもしれないが。











 葵の第一試合に沸いたリングで、迎えた第二試合。


 拳統王の姿は、葵にとって衝撃的なものだった。眼鏡を外し、前髪をオールバックに固めて、威風辺りを払うその肉体は、冷徹に佇む王者の貫禄だった。

 舞流戦さえいなければ男子のトップに立っていたかもしれないというのも、納得する。

 彼は会場の熱気に浮足立った相手の攻撃を難なくあしらうと、不意に、葵の方を一瞥した。



「……あいつ」



 葵は歯ぎしりをする。

 拳統王は嗤っていたのだ。挑発的な目で、自分を見ろと、その存在感を誇示してくる。


 直後、拳統王が相手に向かって大きく右足を薙いだことに、葵は目を疑った。第一試合で葵が放った大鎌の再現だった。

 それも憎らしいことに、元となった明日葉の、あるいは本来目指すべき形の綺麗なフォームのキックではなく、明らかに『葵のキック』を再現して見せる、不遜な態度。


 準決勝の相手が拳統王に決まったことを告げるゴングが鳴っても、しばらく葵は、リングから目を離せないでいた。


 結局、「どうせ反対のブロックは舞流戦が上がってくるのだから、ひとまず他の選手は見ていなくていい」と集中力への懸念をした兎萌によって引き剥がされ、二階応援席に向かう。



「やりやがったな、あいつ」

「…………はい」



 険しい顔で腕組みをする勇魚に、葵は神妙に頷く。

 明日葉がため息を吐いた。



「やんなっちゃうわ。よりにもよって、私のコピーのコピーなんて」

「すいません、明日葉さん」

「あー、いいのいいの。葵くんが謝ることじゃあないし、むしろそっちに関しては、あの土壇場で私を選んでくれて、むしろ嬉しいくらい」



 そう言って、優しくウィンクをしてくれる。ですが、そんな意味深な言い方をされますと、背後からの兎萌様の視線がとてつもなく痛いのでやめていただけますでしょうか。



「そういえば、拳統王って奴の、二つ名? って聞いたことがなかったけれど……」



 兎萌から渡されたゼリー食品を吸いながら、葵は首を傾げた。

 すると兎萌は、困ったように視線を彷徨わせた。



「それがねえ、無いのよ」

「無い? 男子高生ナンバーツーなんだろ?」



 驚いて立ち上がりそうになるのを、兎萌が苦笑で宥める。



「彼には、釈迦堂くんのような得意技のようなものだとか、鷺ノ森くんのように奇異な戦法だとか、そういった特筆事項があるわけじゃないの。だから、そうね……」



 彼女は少しの間考え込んでから、顔を上げた。



「敢えて何かを言うのならば、【オールラウンダーの努力の天才】かしら」

「オールラウンダー……」



 つまりは万能ということだ。


 初めて会った日の、雪道でさえブレることのない安定した回避能力。先の試合で見せた堅実なブロッキングに、葵の技を完全に再現することができる程の攻撃の器用さ。

 これらが一朝一夕では身に付かないことは、葵にも分かる。


 兎萌は奴を指して『努力の天才』と評した。これは、その血と汗がにじみ出ていることを傍からも見て取れるほどだという証左なのだろう。

 何故そこまで?

 決まっている、同じ日本に、同じ県に、同じジムに、釈迦堂舞流戦という大きな壁が反り立っているのだから。

 舞流戦と鎬を削って並び立った壁の厚さと堅さは、想像に難くない。


 葵は目を閉じて、じっと考えた。

 どうすれば、オールラウンダーの鉄壁に傷をつけ、突破することができるのか。

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