しあわせのうさぎ

 葵の体調を鑑みるという名目はとんとん拍子に進み、葵自身、その本当のところなど白状できるわけもなく、一行は勇魚の車に乗り込んで、熊野大社に向かうことになった。


 東北の伊勢とも呼ばれ、かの上杉家や伊達家も信仰していたとされる場所である。


 コンビニ前の大鳥居をくぐり、駐車場で車を降りた。そこから坂道を上れば、夏には双松バラ公園の彩りや、地元の有志が運営する天文台などに続いている。


 茶屋のところに『月結び』の看板を見つけ、兎萌と明日葉が色めき立っていた。



「満月の夜、月に一度の縁結び祈願だって。素敵ね」

「ですよね。ここは夜の結婚式もやってるみたいですよ。ですよね、春近さん?」



 兎萌に手招きされ、春近が足を止める。



「確か『結月』というんだったかな。嫁入り道中は見ものだったよ」

「あら、和楽足くんの御親族が、ここで?」

「親友が、昨年ここで式を挙げたんだよ。嫁入り道中が珍しいってんで、カメラも来ていたな」

「いいなあ、私もここで結婚式したいなあ。そのときは春近さんにプラン相談するんで、よろしくね」

「いや、俺にされても困るんだが」



 やいのやいのと盛り上がる若人たちを尻目に、葵は一足先に、勇魚と石段を上っていた。



「いつかは、兎萌も結婚するのか……」



 曲がり角にあたる踊り場で後続を待ちながら、勇魚がしみじみと漏らす。



「なんか父親みたいな言い方ですね」

「別に感傷や絶望感があったりするわけじゃあないんだがな。これまでキックだけしか見てこなかった分、悪い男に引っかかったりしないかだけが心配なんだよ」

「その辺は大丈夫だと思いますよ。きっと」



 諦めを口にすると、勇魚から背中を叩かれた。



「言うじゃないか! 楽しみだな、ハッハッハ」

「…………んん?」



 どうして俺は叩かれたんだ。


 首を傾げていると、結婚式の話に盛り上がっていた面々が追いついてきた。兎萌から「どったの?」と問われたが、どうにも答えようがなかった。なにせ、分かっていないのだから。


 なだらかな石段をのぼると、すぐに大きなお社が見えてきた。入口の案内板によれば、境内には本堂の他、山形に馴染みの深い白山や月山の他、菅原神社に雷神、千手観音まで、三十柱の神々が祠に祀られているようだ。


 だがやはり、注目すべきは主な御祭神だろう。伊弉冉尊と伊弉諾尊を『日本で初めて結ばれた神様』として祀っており、ここ熊野大社は縁結びの御利益があるとされている。兎萌たちが話していた『月結び』や『夜の結婚式』も、それに伴う神聖な行事である。



「やだ、これ可愛い!」



 授与所の方で、兎萌が声を上げた。見ると、手乗りサイズのウサギの置物に、目を輝かせている。



「兎がウサギの置物を見てる……」


「うっわ葵、そういうこと言っちゃうんだあ。よし分かった、これくーださい、初穂料は彼が出しますんで!」

「は、俺!?」

「人の名前をからかった罰よ」



 ほれほれと、本当のウサギのように地団太を踏んで急かしてくる。

 確かにからかい半分であったことは事実であるため、葵は大人しく財布のひもを緩めた。


 兎萌は巫女さんから受け取ったウサギを大事そうに手のひらに乗せ、「ありがと」と気恥ずかしそうにはにかむから、葵は少し胸が痛くなって、逃げるように巫女さんへ話を振った。



「けれど、どうしてウサギなんですか?」

「実は、その本殿の裏手の梁に、ウサギが三羽彫られているんです。すべて見つけると願いや恋が叶い、幸せになれると言い伝えられているんですよ。二羽目までであれば、どこにいるかの手引書がございますが、如何されますか?」

「いいえ、結構です。ありがとうございます」



 意外にも、兎萌はあっさりと断ってしまった。



「いいのか?」

「当然。三羽ともこの目で見つけてやるのよ! 行くわよ葵!」



 意気揚々と歩き出す松葉杖に、葵は立ち惑った。


 初詣に行って「何を願ったの?」「ん、あなたと一緒」なんてバカップルっぷりをかますのとは訳が違うのだ。

 三羽見つけたところで、どちらかのねがいは叶わないことが確定しているのだから。



「……葵?」



 だったら、叶える枠を掴むべきは、俺じゃない。

 言いたくないと拒む奥歯を無理矢理こじ開け、絞り出した。



「春近さんと行けばいいだろ」



 ぎゅっと目を瞑る。終わった。ついに口に出してしまった。最悪、これで俺の留年からの退学ルートは確定したといってもいい。


 じゃっ、じゃっ、と砂利を踏みしめる松葉杖の音が近づいてくる。

 すう、と息を吸い込んだのが分かった。



「――ごっふぅ!?」



 気が付けば、腹にめり込んだ兎萌の足によって吹き飛ばされていた。砂利の上を転がりながら、何がどうしてそうなったのか理解できず、葵は呆然として顔を上げる。


 くっしゃくしゃに歪ませた顔の、涙で潤んだ目が見下ろしていた。



「ふざけんなバカ葵! 人の気も知らないで! 私言ったよね!? 『行くわよ葵』って、ちゃんと言ったよね!? どうしてそこで春近さんが出てくるのよ。私がそういう偏見大嫌いなの知ってるよね!?」



 衆人環視も厭わずに捲し立て、そこでまた、彼女は大きく息継ぎをした。



「恋が叶うんでしょ? 願いが叶うんでしょ? なら私は、葵と一緒に見に行きたかった!」

「なん……で……」

「好きだからに決まってるじゃん、バカ――――――!!」



 ぎゅっとウサギの置物を握り締めながら叫んで、兎萌は踵を返してしまった。


 取り残された葵の下へ勇魚たちが駆け付けてきたが、開口一番、勇魚と明日葉から「お前/貴方が悪い」と一喝されてしまった。



「俺、てっきり……あいつは春近さんのことが好きなんだとばかり」



 白状すると、勇魚が納得したように空を仰いだ。



「さっきの会話が噛み合っていないような気がしていたが、そういうことだったか」

「それに俺、高校の時から付き合ってる彼女いますしね」



 照れたように頭を掻く春近に、明日葉が「本当よ」と付け加えた。



「じゃあ、ただ俺が早とちりした、だけ……?」



 ようやく気付いた葵は、弾かれたように立ち上がり、駆け出した。

 最悪だ。やっと目が覚めた。バレンタインの時も、喫茶店でのことも、何ならキックに誘ってくれたあの日から。いつだってあいつは、ちゃんと示してくれていたじゃないか。


 言葉にして、あるいは態度キスで。



「兎萌!」



 後ろ姿を確認できた頃には、彼女はずいぶんと石段を下りてしまっているところだった。


 幅の狭い石段を駆け下りるのは足下がおぼつかないが、そこはつい先刻、春近から教わった剣道の足捌きが役に立った。蹴り足で確かに石段を掴み、グリップを効かせる。

 あと数メートルのところまで追いつき、叫ぶ。



「待ってくれ、兎萌!」



 こちらを一瞥した兎萌が、逃げ足を早めようとして、



「えっ――?」



 松葉杖の突きどころを誤り、バランスを崩した。



「――っぶねえ!」



 葵は左足を蹴り切り、兎萌と石段との間に滑り込む。どうにかその体を受け止めることに成功し、そのまま残りの数段分を落下していく。



「はーなーしーてー!」

「嫌だ」



 彼女の体を起こして、付いた砂を払う間も、掴んだ腕は離してなんかやらない。



「ごめん、俺。嫉妬してた。自分に自信がなくて、勝手に諦めようとしてた」

「何で自信ないのよぅ……ずっと、葵は最高だって、伝えてたじゃんかぁ……」

「うん。そうだったな。ほんとごめん」

「このウサギだって、葵とのタッグの記念にって、思って……」

「そうだったのか。気付けなくてごめん」

「こっちは言ってなかったからいいんだけどぉ!」



 どうやら俺は、まだレッテルを貼っていたらしい。


 ぐしぐしとしゃくり上げる兎萌は、誇り高き『蹴り姫』なんかじゃあなかった。最高に頼もしい『セコンド』なんかでもない。

 それはあくまで、彼女の一側面でしかない。

 今目の前にいるのは、普通の女の子なのだ。ひたすら心優しくて、お人好しの。

 ああ、『大切な人』なんだ。そう素直に認めることができたら、鼻水塗れの泣き顔も、どうしようもなく愛おしく感じてきて、葵は兎萌を抱きしめていた。



「俺、強くなるからさ。今は全然だけど、ちゃんと、強くなるから」

「ぞんなごとないもんっ! 葵はっ、葵はあ!」



 ひっくひっくと胸が動く度に、その向こうの音も、跳ねるのが聞こえる。

 コート越しにだって、ちゃんと温もりを感じる。



「……って言って」

「えっ?」

「葵から、好きって言って!」

「え、えー……っと」



 思わず口ごもる。いざ求められると、急に周囲の視線が痛くなってきて、臆病な舌が竦みあがってしまう。


 けれど。これからテッペン目指すってのに、そんなバカみたいな理由で、立ち止まってなんかいられないよな。



「好きだ。兎萌」

「私もきぃ!」



 言葉を交わすと、にわかに四方八方から拍手が巻き起こった。


 いや駄目だやっぱり恥ずかしいわ!



「ええと……と、とりあえず! ウサギ、数えるか?」

「がぞえ゛る゛ぅぅぅ!」



 また大泣きしてしまった兎萌と、松葉杖を抱えて、石段を駆け上る。大切な女の子という重みはあったが、体はかなり軽かった。


 授与所の前で待っていた勇魚たちは、葵のシャツに鼻水を擦り付けている兎萌を見て、意味深な笑みを浮かべて手を振ってくれた。本当に、分かっていなかったのは自分だけだったのだと痛感する。


 祠の立ち並ぶエリアを抜け、本殿の裏へと辿り着いたところで兎萌を下ろそうとしたが、首にがっちりと腕を回されてしまった。



「……やだ。このままがいい」

「いや、さすがにキツ――」

「こーのーまーまー」

「……仰せのままに」



 葵は観念して、抱っこをし直す。多分、今日はもう俺に発言権はないだろう。



「あれ、あの手前の角のところの、そうじゃないか?」

「ほんとだ。よく見つけたね、葵」



 複雑な模様の梁の中にあって、意外と、ウサギの形ははっきり見て取れた。そのため、ポーズこそ違っていたが、二羽目のウサギもすぐに見つけられた。


 しかし、三羽目がどうしても見つからない。


 葵と兎萌は両側から精査し、それでも見つからず、今度は起点を交代してまた精査してみた。

 だがやはり、見つからない。「あれじゃない?」「いや違うかも」「こっちは?」と、幾度目かのやり取りをしたところで、葵はふと、気付いた。


――二羽目までであれば、どこにいるかの手引書がございますが、如何されますか?


 授与所にいた巫女さんの話だ。



「なあ兎萌。もしかしてこれ、三羽目はいないんじゃないか?」

「ふぇ、どういうこと?」

「考えてもみろ。巫女さんから貰う手引書に二羽の位置が載っているなら、俺たちが今見つけている二羽のうちどちらかが、手引書に載っていない時点でクリアだろ」



 けれど、そんな上手い話があるわけない。仮にそうだとすれば、この幸せ探しは『三羽のウサギ』ではなく、『一羽のウサギ』を探すだけになってしまう。


 兎萌が腫れぼったい目を瞬かせて、言った。



「でも、三羽見つけた人がいるんでしょう?」

「そこがミソだと思う。『三羽彫られています』、『見つけた人がいます』。そう言われると、どうしても探したくなる。だから――そこでその『偏見』を引っぺがす」



 葵は心から笑った。嬉しくてたまらなかった。カサブタのように凝り固まったフィルターを外してやるだけで、こんなにも見える景色が違うなんて、思いもしなかった。

 もっとも、本当に三羽目がいた場合、これはとんでもない暴論に成ってしまうのだが。そのくらいの妄言なら、神様もきっと、笑って許してくれるだろう。



「『あれじゃない?』っていう猜疑じゃなくて、『あれだ、見つけた!』って思える人が、幸せになれるんじゃないかって、思うんだ」

「………………」

「兎萌?」



 無言の腕の中を覗き込むと、彼女はパッと顔を赤らめて、それから微笑んだ。



「私も、その説に賛成」



 兎萌を下ろして、二人手を繋ぎ、いっせーのせで、空に掲げる。



「「三羽目、みっけ!」」



 可愛らしい、ウサギの置物。帰り際にニコニコ微笑む巫女さんの前で見たその名前が『ゆわいうさぎ』であったことは、ひょっとすると、ひょっとするのかもしれない。



 真実は、神のみぞ知る、である。

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