希望の瞳

「高校総体に向けて追い上げをしてる時期に、初心者を迎えてくれるところなんてねえよ。人数不足のところにも頭下げてみたけど、同好会のようなものだったり、大会に出ても結果を残せない弱小部だからって断られた」

「早速声はかけてみたんだ。偉いじゃん」

「結果が伴わなきゃ、徒労っていうんだよ」



 冷めきっていた豚汁を飲み干し、兎萌の分と重ねてゴミ箱に放り込む。いっそこのまま肩の荷も捨てていけたらいいのにと思ったが、生憎、祭り用の仮設ゴミ箱は一杯だった。


 さらに重く感じる現実に足を引きずりながら振り返ると、兎萌はぐるぐるバットのように松葉杖へおでこを押し当て、何やら難しい顔をしていた。


 けれど、話を聞いてもらえただけで、もう十分だ。



「つか、兎萌こそ制服じゃねえか。何か用事があるんだろ? じゃあ、俺は行くから」



 努めて明るく声をかけるも、どこか虚空を見つめた彼女から返ってくる言葉はない。


 沈黙数秒。もう返事は待たずに踵を返そうかとした時、不意に、兎萌が「うし!」と叫んだかと思うと、こちらに飛びつき、突然制服を捲って、隙間から体をぺたぺたと触りはじめた。



「ちょっ、何すんだよ!?」

「触ってんのよ」

「いやいや、そういう意味の質問じゃねえだろコレ!」



 反射的に振り払おうとしたが、実戦で鍛えられた彼女の力は、見た目の細さからは想像できないほどにどっしりとしている。掴んで引き剥がそうにも、するりと手首の返しだけで逃れていくのだから、まるで巨大なドジョウか何かとやり合っている気分だった。



「へえ、これが葵のカラダか。けっこうイイの持ってんじゃん」

「きゃー、やめてー!」

「こらこら、騒がない。私が不審者みたいになっちゃうでしょうが」

「今まさに自分が行っていることを文章に起こしてから、もう一度言えるか? なあ!?」



 必死に訴えると、兎萌はしょーがないなとむくれて見せて、ようやく手を離し――最後にへそに指を入れていく辺り、本当に抜け目のない奴だ。



「ねえ葵。こっからは私のお願いなんだけどさ。もうちょっとだけ付き合ってくれない? お母さんに残念な報告をしないで済むかもしれないよ」

「心配には及ばねえよ。クラスの女子から体をまさぐられたなんて報告、できるか」

「ごめんて、拗ねないでってば」



 丁寧に襟を整えてくれてから、彼女はふと、真剣な眼差しになった。星空にも似た、希望の光をいっぱいに宿した瞳が、じっとこちらへ向けられる。



「私が制服の理由、聞いてきたじゃない? 最初はさ、どうせ足がこんななら、いっそ、キックから離れて、今まで避けてきた……女の幸せ? 的な? ものを味わっちゃおうかなー、なんてさ。今日のお祭りでナンパでもするつもりだったの。うら若き女子高生ですよーって、制服チラつかせてさ。まあ、朝からぶらついて、収穫ゼロなんだけどね」


 嘘つきめ。どうせ誰にも声をかけていなかっただけだ。実際、自棄になりたい気持ちはあるのだろうけれど。

 さっきみたいな目をしたこいつが、諦めているだなんて、とても思えない。



「そして今、私はも~~~れつに、ナンパをしてみたい心境になりました!」

「……はい?」

「実は私、キックボクシングの部長という肩書があるんだよね。とはいっても、明日葉さんが卒業で抜けちゃってから、部員は私だけだけど。ええと、だから。その、つまり、さ――」



 まるで告白をするかのように、照れくさそうな顔で、こちらを見上げてくる。



「一緒にやろうよ。キック」



 吸い込まれた。体をまさぐられている時には痛いくらいだった衆人環視の冷ややかさも、すっかり意識の外になった。ただ、兎萌の視線だけを感じていた。


 遥か深いところできらめく星は、闘志という名前だと、理解した。父のような燃える空とも違う。母のような慈愛の海とも違う。戦士として獰猛にとぐろを巻きながらも、天の川のマーブル模様を繊細に形成する光子。それでいて、女の子であるという誇りを見失うことのない、きらきらした粉砂糖のラメを散りばめたような粒子。それらをぎゅっと凝縮した水晶だ。



 葵の中にあるわずかな野性が、勝てないと悟った。武力でも、人間としても。



「けど、迷惑じゃないか」



 辛うじて、そんな頓狂な言葉を絞り出す。



「むぅ、そういうの、無粋ぃ。そう思ってたら声なんてかけないってば。それに多分、これは恩返しだと思うから」



 彼女はふと、小声でそんなことを呟いた。



「えっ……?」

「んーん、こっちの話」



 けらけらと笑い飛ばしてから、兎萌はほっとしたように胸を撫で下ろしてから、また気恥ずかしそうに笑った。先ほどの強者の瞳が一転して、一人の女の子になっていた。



「三月までなんていらないわ。今月中で十分。葵と私で、先生たちの鼻を明かしてやりましょうよ! どう、私にノってみない?」



 そう言って、差し出された手を、



「ああ。よろしく頼む」



 取る。縋るようにではなく、相乗りのバディとして、しっかりと。


 正直なところ、後がない故に惑わされただけだったかもしれない。しかし、直感的に、こいつとならって、思ったから。


 ぎゅっと力の込めてくれた彼女の手は、腰が引けそうになるくらい柔らかくて、涙が出そうになるくらい、強かった。

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