最後通牒

 つい、数時間前のことだった。HRの後、そのまま職員室まで連れ出された葵は、担任教師から告げられた言葉に、立ち眩んでいた。



「留年……ですか?」



 震える手から、試験結果の羅列された用紙が滑り落ちる。一項目のみ赤字で印刷された五十八点が、散った花びらのように舞う。高校二年の冬にして、人生初めての赤点である。



「正確には、特待生の資格を剥奪しての留年です」



 担任の冷たい訂正ついげきに下唇を噛む。


 原因は、単純なケアレスミスだった。この学校の試験は昨年から、大学受験を見据えるためという理由もあり、マークシート形式が採用されていた。解答欄がずれてしまったことに気付いたときには後の祭り。どこからズレたのか探している間にタイムアップとなり、正答だったところまでのラインがこの点数だったというわけである。これだけであれば、ただのミス。全面的にこちらが悪い。


 ただ、最悪だったのが、この教科の担当が、目の前にいる担任のものだったということだ。



「そんな、どうにかなりませんか! 他の教科は九十点以上をキープしてます。追試でも補講でも何でもやります。急に留年なんて言われても!」



 焦りと不安から捲し立てる。しかし、担任はすげない態度の長嘆息で打ち切ると、苛立たしそうに机を指で叩いた。



「受験でも、その言い訳が通じると思っているのですか?」



 淡々と、しかし喉にねっとりと絡ませてから唾棄するような忌々しい口調で、彼女は突き放してきた。二十代で顔立ちもスタイルもいい女教師……でありながら、男子生徒からの人気がほぼ皆無である理由が、この態度である。


 しかし、言っていること自体は正しいのだから、誰も、何も言えなかった。



「追試? 補講? それらは善意の救済措置であって、義務ではありません。事前に赤点の基準を伝えている以上、それを満たせなかったのですから、不合格です。むしろ、三月までに部活動で結果を残せば不問にするという譲歩をしただけでも、感謝をしてほしいものですね」

「ですが、上野わの先生……他に赤点を取っている生徒は、追試があるじゃないですか」



 食い下がる。せっかく勝ち取った特待生枠だ、こんなところで手放して、母に苦労をかけるわけにはいかない。

 しかし、上野は鼻を鳴らすだけで、歯牙にもかけなかった。



「髪色について、校則を守れと再三指導したのに従わない生徒を、守ってやる必要はないと思いませんか?」

「ですから、これは地毛で――ッ!」

「そうでしたね、お父様譲りのものでしたか? ですが関係ありません。これが我が校の校則です。その髪のままでいたいのならば、それが許される学校にいけばいいでしょう? 接客業をするならば声を出さなければならない。運送業ならば重い物を運ばなければならない。それを承知で選んでおいて、自分は人見知りだから女だからとのたまい、あまつさえパワハラ扱いにするような人間は、ただの非常識だとは思いませんか?」



 我が校の学生の髪色は規定以内でなければならない、それだけです。と、上野は拾い上げた試験結果と一緒に、胸へ突き返してきた。



「……どうにか、なりませんか」

「くどい。三月までに部活動で結果を出すか、留年か。選びなさい」



 話は終わりだと言わんばかりに椅子を回し、デスクに向かった上野は、その後一切、こちらへ一瞥たりともくれることはなかった。











 事情を話し終えると、嫌われてんねえあんた、と兎萌がスカートのの裾から手を離した。



「それで土曜日なのに制服着てたんだ。そういや、あんた何部だっけ?」

「帰宅部だよ。できるだけバイトをして、家に入れてた」



 年末年始の激務に忙殺されていたとはいえ、その自己管理ができずに凡ミスをかましたなんてことは、情けなくて言えなかった。



「よく出来た息子ですなあ。しかしまあ、帰宅部ってのはきついわね。部活に入るからには黒髪になるだろうし、結局、三月までじゃあ成績が残せないだろうから留年。留飲を下げたい目論みがまあ露骨なことで。葵も、ハーフなのは本当なんだから、もっと主張すればいいのに」

「はじめのうちは言ってたんだけど、それが校則だの一点張りでさ。染めねえでいることが唯一の抵抗だったんだけどな……」



 背を雪に沈めようとしたが、雪かきの過程で押し固められたそれは岩のように固くなり、まるで安い椅子のような心地の悪さだった。


 雪国生まれの人間だというのに、イギリスの血が入っているというだけで雪からも拒否されているようで、乾いた笑いが漏れる。こちとら英語もろくに喋れない純山形人だぞこのやろう。



「そういう偏見、うっざいよねえ……うちの業界も刺青問題があるけど、そもそも威圧してナンボのアウトローを押し込める文言も『規則だから』なのよ。日本には昔からそういう方々がいるから、なおさら印象を拭えないでいるんですって。だったらまず彫師を摘発したらいいじゃない。できないの? なんで? それが答えでしょ? って思うわよ、ホント」



 いやまあ私は刺青入れないけど、と兎萌は足下の雪を蹴飛ばす。



「うちのパパとママだってそう。私がキックを始めようとしたときには、『女の子が野蛮だ!』なんて騒いでさ。結果を出すようになった途端、手のひらくるっくるー」



 すぐ隣に、我が事のように頬を膨らませてくれる人がいるだけで、少し、胸のつっかえが取れたような気がした。



「まあ、そこはもうどうにもならないとして。優等生クン、部活の目途は立ってんの?」

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