雪灯かりまつりを横目に
松葉杖に歩調を合わせながら、のんびりと地元駅までやってきた葵は、駅前に広げられた販売所に並び、発泡スチロールの丼によそわれた二杯の豚汁を受け取った。
「玉こんはどうする?」
「あ、たべるたべるー!」
いそいそと鞄を探ろうとする羽付の手を止め、代わりに串を握らせる。いいの、と上目遣いの小首に手を払うと、彼女は気恥ずかしそうに歯を出して、笑った。
出汁がよく沁みて、深い琥珀のような玉こんにゃくの三兄弟に、からしを落とさないよう気を付けながら、かぶりつく。じゅわっと口の中に広がる醤油ベースの香りにフタをするように、ぷるっぷるの食感が追いかけてくる。鼻から抜けるからしの香りが、最高のアクセントだ。
「んんぅ、んーふー! 食べ飽きたーとか言いながら、なんだかんだ無性に食べたくなるよね」
「それな。そういえば、タピオカが流行ったとき、玉こんにゃくの画像を貼って、『これが山形のタピオカ!』とかいうツイートを見たことあったな」
「それ知ってる! じゃあこれは知ってる? 山形にタピオカ専門店がほとんど進出しなかったのは、タマコンの勢力による陰謀があったとかなかったとか」
「ははっ、何だそれ」
「でも実際、芋煮なんかは戦争状態だからねえ」
「あー、たしかに」
こと山形においては、地元のソウルフードに関して尋常ではない思い入れがある。テレビなどで芋煮を紹介しようものなら、やれ具材はこうだ、肉は牛だ豚だ、汁は醤油だ味噌だと戦国乱世の様相を見せ、他県からクレイジーと評されるほどである。
「父さんが昔、『馬見ヶ崎での芋煮会で作っているタイプを、
「無理無理。それで一歩引く謙虚さなんて、子供の頃の英才教育で消し飛ばされているでしょ」
「英才教育?」
「イナゴよ、イ・ナ・ゴ」
そう言って不敵に笑うと、羽付は玉こんの串をビシッと立てた。あ、眼鏡似合いそう。
「海から遠かった山形内陸部が、タンパク質確保のためにと食文化に含めた奴らは……現代においても米の収穫時期になると
「あー……あれ怖ぇんだよな。夜中にトイレに起きると、台所でガタガタッ、パチンッ、って、マジトラウマもんだわ」
「そう、あれはいわば、大陸より伝わる古の秘術『蟲毒』! 幼少期からあの地獄を見て育った
「いや、芋で芋洗うのせいで突然ダサくなったわ。つか諸説あってもそんな説ねーよ」
思い付きの都市伝説を語り切って満足げな羽付は、唐突に「イナゴ食べたくなってきた」などと喉を鳴らした。お前は虫イケるタイプか。うん、減量に最適。そんなたわいもない田舎っぺトークに花を咲かせつつ、駅から少し離れたところの雪の壁に背中をもたれる。
「羽付はこんなんで良かったのか?」
「兎萌でいーって、私も葵って呼ぶからさ。で、何。こんなんって?」
「いや、ほら。豚汁なんかより、カッ、フェとか?」
「カッフェって。カッフェって! しかも言えてないってどんだけ! あははははっ、普通に喫茶店とか言えばいいのに。あーおかしい! 見た目チャラいのに。見た目チャラいのに!」
「何故二回言うかね君は」
ゲラゲラと腹を抱える兎萌の向こうから、駅構内で披露されているゴスペルの音が聴こえる。
今日は毎年二月の頭に催される、山形県は南陽市の『雪灯かりまつり』だ。神輿や音頭が出るような程ではない、地域の小さめな祭だが、目の前の通路にも立ち並んだ灯篭やミニかまくらたちの中で微笑むやわらかな灯かりは、風物詩として観光スポットの一つにもなっている。
串に残った最後の玉こんにゃくを恭しくスライドさせ、落とさないように丁寧に齧る。一足先にきゅぽんっ、と頬張っていた兎萌は、口いっぱいに広がる熱に涙目になりながらも、ハフハフと小躍りしていた。
頬を膨らませた小動物は、役目を終えた串を二つに折り、ティッシュに包んでジャージのポケットに仕舞うと、こんにゃくの余韻にほっとため息を寒空へ飛ばす。
「はい、豚汁ちょーだい。持っててくれてあんがとね」
催促の手のひらへ、抱えるようにして持っていた豚汁の片方を、割り箸と共に差し出した。
「こらこら、歯で箸を割るな、行儀悪いぞ。……つうか、断面綺麗だな」
「でしょー? コツがあるんだよ、これ」
「何」
「割りばしの声を聞く!」
なんだそりゃ、と啜った豚汁がむせりそうになった。兎萌は「ほんとだってば。割れる音を聞いて、このまま引っ張っても大丈夫か判断するんだって」と唇を尖らせる。
そんな会話が終わっても、彼女は湯気立つお椀を見つめていた。
「食わねえの?」
「ううん、食べる。けどさ」
「うん?」
「このお椀ってさ、葵が持っててくれたわけじゃん。ある意味では間接キスならぬ、間接タッチになるのかなあと。ちょっと思いましてね」
「はあ?」
こいつはバカだと確信した。真剣な瞳をした横顔にほんの少しでも見惚れかけていた自分はさらにアホだと思った。
「あのなあ。袖越しだし、フチには触ってねえだろうが」
「そういう風に気を遣ってるところ、イイと思うよ」
「なっ……? バカなこと言ってからかってんじゃねえ!」
悪戯な微笑みにたじろいだのが運の尽き。「隙ありっ」の気合一閃、手に持っていたお椀がふわりと取り上げられ――
「え?」
そのまま戻って来た。何がしたかったんだこいつは。
しかし、葵はすぐに豚汁を啜る気にはなれなかった。少し冷めたお椀の底が、つい数秒前に手に掠った、彼女の細い指によるものだと思うと、いやに意識をしてしまう。
「ほれほれ。食いねえ」
「テメエ……憶えてろよ」
したり顔にそっぽを向いて、葵は無心で椀に箸を突き入れた。お味噌が沁みた。
多めの具材にうっとりと、兎萌が目尻を垂らす。
「デザートも欲しくなるわねえ」
「だから言ったじゃねえか。そういうところじゃなくていいのかって」
「甘い物は大好きなんだけどね。今はほら、足も怪我してるところだし。フルスパでカロリー消費もできないから、ある程度はガマンしなきゃなのよ」
そう言って、兎萌はそっと左足の膝を掲げて見せた。
彼女が事故に遭ったのは昨年末のクリスマス・イブのことである。彼女自身は普段と変わらず、ジムでのトレーニングに精を出しての帰路だったらしいが、世間様はそうもいかない。相手はカップルの運転する車だった。デートに舞い上がり、雪道に足を取られ、突っ込んだ路肩にいたのが、羽付兎萌。
出来得る限り回避を試み、突っ込まれたスピードの割には奇跡的に怪我も少なく済んだらしい。だが、たった一つ負った、左足の靭帯の損傷は、キックボクサーには致命的。冬休み明けに松葉杖を突いて登校してきた彼女の姿に、クラスは騒然となった。今でこそギプスは外れているが、痛々しい縫合の跡はその悲愴さを窺わせる。
ストイックなキックボクサー『蹴り姫』は、今、どういう心境でいるのだろうか。もしかしたら、バカみたいにはしゃいで見せている姿は、
「それに葵こそ、いいのかなあ? 夜に約束があるってのに、彼女以外の女子と遊んでて」
にししっと悪戯な顔がずいっと迫ってくるのを、葵はそっと引き剥がした。
「彼女なんていねーよ。母さんとの約束なの」
「おっ? なになに、お母さんと晩ご飯デート?」
「そ。ラーメン屋でな」
「へえ、意外なチョイスだね」
「父さんが好きだったんだよ、ラーメン。元々、カップラーメンが好きすぎて日本にやってきたくらいって話でさ。だから月命日には必ず、ラーメン」
話すと、兎萌はそっか、と慈しむような表情で空を仰いだ。それはまるで、亡き父に祈ってくれているかのようで、ほんの少し、目尻に涙が滲んだ。
「どこの?」
「今日は『福』」
「辛味噌納豆だ! あれ好きー!」
映えるケーキを前にした女子かのように目をキラキラとさせた、今日イチの明るい声。蹴り姫様は意外にも俗である。
だが、葵の心中は穏やかではなかった。ラーメンを楽しみにしてくれている母と、雲の上で兎萌の祈りにオーマイ! なんてはしゃいでいそうな父を想うと。
今日は、どんな顔でラーメンを味わえばいいか、わからない。
「どした?」
我に返ると、すぐ目の前に、兎萌の心配そうな顔があった。
選手生命が断たれた今、一番大変なのはお前だろう。どうして、そんな顔ができるんだよ。
どうして、そんなお前に、俺なんかの悩みを話せると思うんだよ。
歯噛みして、引き結んだ唇。堪えきれなくなって、目を閉じた。
「大丈夫。話聞くよ?」
そっと、手を握られた。豚汁の熱で少し温かくなったぬくもりが、強張った心を解いてくれる。緩んだが最後。泣き出しそうだったどんより雲が、嗚咽となって漏れだした。
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