第5話 青木颯太は聞いてみたい

 何を言われたのか、理解が追いつかなかった。

 気が付けば俺はベッドの上で横になっており、呆然と天井を見つめていた。


 あれから碧は帰っていき、俺もフラフラと家に帰った気がする。

 凪沙から何か言われていたような気がするが、その言葉はまったく頭に入ることなく、そのまま部屋に向かってベッドにダイブした。

 今になってそんなこともあったな思い出せるくらいで、無意識のうちに今を迎える。

 将来、酒に酔って記憶が曖昧になるというのはこういうことなんだろうかと考えていた。


「あぁ、俺ってフラれたのか……」


 フラれてしまった。

 せっかく遊びに行ったのに、考え事をしてしまったがために不快な思いをさせてしまい、まさかの告白をしてきた相手からフラれてしまった。


 情けなさと不甲斐なさが一気に押し寄せてきて、俺の目からは冷たい何かが流れていることを感じた。

 初めて好きだと思った相手。

 この気持ちが勘違いでなければ、俺は完全に碧に惹かれていたのだ。

 そんなことも気付かず、俺は碧のことをないがしろにしてしまっていた。




 寝て起きたら気持ちが切り替わる。

 ……なんて、そんなのは嘘だ。

 翌日になっても俺の気持ちは重いままで、ついでに瞼も重かった。


「……おにい」


「あぁ、凪沙。おはよう」


「おはようって……もう昼だよ?」


 時計を見ると時刻はすでに十二時を過ぎていた。

 確か昨日は八時くらいには帰ってきており、それからのいつの間にか記憶がないため寝てしまったと考えると、十五時間は寝ていたのかもしれない。


 凪沙は呆れたように「まったくおにいは……」とつぶやいていた。


「あれ、部活は?」


「今日は休みだって昨日言ったよ? おにいが帰ってきた時に。まあ、聞いてなかったみたいだけど」


「あぁ……」


 言われてみると言われたような気がしなくもないけど不確かな記憶だ。

 何か言っていたのはそのことだったのかもしれない。


「それでおにい、どうかした?」


「どうって……何が?」


「様子おかしいなって」


「いつも通りだぞ。普段から様子おかしいって言いたいのか?」


 冗談交じりにそんなことを言ってみるが、凪沙はクスリとも笑わない。

 真剣な眼差しで俺を一直線に見つめていた。


「はあ……、今日は双葉ちゃんと遊びに行こうと思ってたんだけどなぁ……」


「行けばいいだろ?」


「今のおにいを放って行けるわけないじゃん」


 良い妹だとも思うが、少しだけ放っておいてほしい気持ちもある。

 そう考えてしまうくらい、俺の心は疲れているらしい。


「とりあえずさ、お腹空いてない? 帰ってきてからずっと食べてないでしょ?」


「……空いてない」


「そう? じゃあパスタ作るから、その間にシャワーでも浴びたら? 昨日帰ってからお風呂も入ってないでしょ?」


 凪沙はそう言ってキッチンに向かう。

 まるで凪沙が行ったのを見計らったかのように、俺のお腹はぐぅと音を立てる。

 聞かれたくないのを避けるように。

 思えば軽食を摂った昨日の夕方頃から何も食べていない。

 それに、言われた通りお風呂にも入っていないため、髪がガサガサする。


 俺が意地を張ってしまっていることに凪沙は気付いてくれていた。

 我ながら子供っぽいと思うが、そんな俺を受け入れてくれる凪沙に、心の中で感謝しておく。

 ……本人には言えないけど。




「それで、どうしたの? 彼女にフラれた?」


 昼ご飯を食べると、凪沙は尋ねてきた。


「や、彼女なんていないけど」


「え、でも噂になってるよ?」


「何がだよ……」


「陸上部……って、引退してるから元か、三年生の人と付き合ってるって」


「付き合ってはないんだよ」


「……ってことは、付き合うまで秒読みの人はいるってことか」


 簡単な罠に引っかかってしまった。

 しかし、よく考えてみれば凪沙ネットワークは地味に広く、双葉や花音、そして顔の広い若葉も情報網としてあるわけだ。交友関係は狭いとはいえ、俺の親友の虎徹だって話を聞こうと思えば聞けるわけで、どこからでも話を聞くことはできるのだ。

 それに、誰にも言えない秘密ならまだしも、良い感じの人がいるなんて幸せな話で……しかも隠しているわけはないため、学年が違ったとしても凪沙が知っていておかしいことではなかった。


 俺は碧との関係を話し、昨日会った出来事を話す。

 しょうもない俺が失礼なことをしただけという話だが、凪沙は真剣に聞いてくれる。

 ……やっぱり、良い妹を持ったと改めて感じた。


「……なんて言うかさ、ちゃんと話した?」


「え?」


「綾瀬さん……碧さんがなんでおにいをフッたのかってこと」


「聞いてないけど……」


 聞くも何も、フラれてすぐに碧は帰って行ってしまった。

 もちろん俺も引き留めればよかったのだが、呆然としてしまって気付けばいなくなっていたというのが正しい。

 それを考えると、話はできなかったと言うのが正しかった。


「でも、フラれたのにしつこく迫るなんて、みっともなくないか? 向こうは俺のことが嫌になったからフッたわけだろうし……」


……だよね? それって、おにいがそう思ってるだけで、碧さんから聞いたわけじゃないよね?」


「そうだけど……」


「問題です。私は今甘いものが食べたいです。何が食べたいでしょうか?」


「何だそれ……。プリンとか?」


「ぶぶーっ! 正解はシュークリームです」


「……何が言いたいんだよ。買って来いってか?」


「ううん、冷蔵庫にあるから後で食べる。……私が甘いものを食べたいって言って、何でプリンって言ったの?」


「特に理由はないけど……強いて言うなら、凪沙がプリンを好きだから?」


 俺がそう言うと、凪沙は「そういうこと!」と言って立ち上がり、冷蔵庫に向かった。


「どういうことだよ……」


「好きな物でも、気分じゃない時は食べたいって思わない時はあるんだよ? それに、私の気持ちを常におにいが理解できるわけないじゃん?」


「確かにそうだけど……」


「私たちは兄妹だから、結構わかることもあったりするよね。でも、碧さんのことはまだよくわからないから付き合ってないんでしょ?」


 そうだ。俺は碧のことをよく知らない。

 もちろん碧の考えていることなんてわからない。


「碧さんがなんでフッたのか、おにいはもしかしたらわかってないだけなのかもしれない。もちろん嫌われた可能性もあるけど、話を聞く限りではそんな人にも思えない。……だから、確かめないと」


 凪沙の言う通りだった。

 本心なんて確かめないとわからない。


 俺は碧と話をしなくては、ないも現状は変わらないままなのだ。


「……ありがとう」


「どういたしまして!」


 照れくささはあったが、凪沙に感謝をして自室に戻り、碧にメッセージを送る。


 ――今から会いたい。


 そう簡潔に。


 俺はいてもたってもいられずに、断られたら断られたで気晴らしをして帰ってこようと思い、カバンを掴んで家から飛び出していた。

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