第12話 藤川若葉は付き合えない

「連絡先を渡して三日も経ったのに、連絡くれないからさ。待ちきれなくて会いに来たんだ。ねえ、今度ご飯行こうよ?」


 ……怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 この人はニタリと笑いながら、「私服も可愛いね」と呪いの言葉を吐き出す。

 普通なら甘い言葉も、この人の口から聞こえる言葉は恐怖の言葉でしかなかった。


「……スタッフとお客様の個人的な付き合いはお断りしています」


「その子、今日藤川さんが接客してた子だよね? 個人的な付き合いしてるでしょ?」


「この子は元々友達で、うちに通ってくれているだけです」


「それなら、僕とも友達になれば問題ないでしょ?」


 ……話にならない。


 震える手を抑えながら睨みつけても、気持ち悪く薄汚い笑みを浮かべてにじり寄ろうとしてくる。


 双葉ちゃんは私を守るように間に入ってくれる。

 でも、私自身よりも双葉ちゃんが怪我をする方が問題のため、いざとなった時は私が前に出ないといけない。

 一緒に帰ることをお願いしたのも、複数人でいると安心するからというだけだ。


「待ち伏せは流石にダメですよ?」


「会いに来ただけだから、問題ないよ」


「問題しかありません。それに――」


「いいじゃん。僕、藤川さんのことが好きなんだ」


 ついに言われてしまった。

 心のどこかで、他の人と同じで気に入ってくれているだけだと思っていて、好きだったとしてもストーカーみたいな行為をされるとは思わなかった。


 ……そう思いたかったのだ。


「ごめんなさい。お気持ちには答えられません。私はけ――」


「な、何で!?」


 やっぱり話は聞いてくれない。


「彼氏いないって言ってたよね? だから別にスタッフとか客とか関係ないんだよ? 絶対幸せにするからさ!」


「だから、私はそもそも――」


「試しにちょっとだけでもいいから! ね?」


 ダメだ。毎度毎度遮られて、まるでコントをしているみたいで笑えてしまう。

 全然笑えない、つまらない空気が逆に笑えてしまいそうだ。


「……井上先輩!」


 突然、双葉ちゃんは私を呼んだ。

 呼ばれ慣れていなくて驚き、双葉ちゃんも呼び慣れていない呼び方でたどたどしかった。


「ちょっと急いでるんで、私たちは失礼しますね! ほら、井上先輩……じゃなかった、藤川先輩ですね、帰りましょう!」


 わざとらしく言い直す。

 そのことで意図が伝わった。

 ……私たちの付き合いはそう深くはなかったけど、結構気が合うと思っていた。名前も似ているから、初花とは別のもう一人の妹と言っても差し支えないと思うくらい、双葉ちゃんの考えることが手に取るようにわかった。


 こうすることでこの人は疑問を抱き、私たちの説明を遮らずに聞いてくれる……と考えたのだ。


「藤川先輩は旦那さんがいるので、付き合うのはもちろん、いくら友達でも男の人と二人でご飯とかはできないんですよ」


 震えるわたしの手を握ってくれて、双葉ちゃんが代わりにハッキリと事実を突きつける。

 ……まあ男の人でも颯太となら、ご飯くらいなら全然行くけど。


 双葉ちゃんのおかげで少し安心した。

 だからここからは私がしっかりと向き合って話さなくてはいけない。


「う、嘘だよね?」


「……嘘じゃないですよ」


「何で、彼氏はいないって言ってたのに……」


「その噂が独り歩きをしていたので、訂正しようとしましたよ? でも話を聞いてくれなかったじゃないですか」


「嘘だ! 僕が藤川さんを幸せにするんだ!」


 そう言って、錯乱している。

 幸い武器は持っていなかったようだが、錯乱したこの人は拳を振り上げた。

 ……でも、腕が振り下ろされることはなかった。

 そのまま腕を掴まれると後ろに引っ張られ、地面にひっくり返っていた。


「あー、俺で悪いな」


「颯太……?」


「虎徹から聞いた。代理ってことで」


 そう言えば、颯太が休みということは虎徹から聞いたのだ。

 久しぶりに四人で遊びたいという話をした時に、虎徹は颯太の予定を知っていた。

 普段は頻繁に連絡を取り合っているわけじゃないのに。


「な、なんだよお前!」


「藤川夫妻の親友です。あなたはどちら様ですか?」


「なっ、なっ……!」


 変な声を上げながらおもむろに立ち上がると、どこかに去っていってしまう。


「警察に通報したかったんだけどなぁ」


「また休みの時に警察には行ってくるよ。実害ないと取り合ってくれないって聞くけど」


「ストーカーされて、未遂とはいえ暴力もしようとしたんだから、取り合ってくれないと困るな……」


 颯太はため息を吐きながら言う。


「先輩……、ヒーローは遅れて登場ってことですか?」


「いや、なんていうか……、これだよ」


 そう言って颯太は携帯の画面を見せる。

 そこには先ほどの一部始終が写されていた。


「証拠がないことには始まらないからな。それに、本当は若葉が帰る時に後ろからついていって、周りに怪しい人がいないか見るだけのつもりだったんだ」


「それ、先輩の方が怪しいですし、なんならストーカーっぽいですよ?」


「慣れてないから許してくれ……」


 慣れていたとしたらそれはそれでおかしいけど……。


 とりあえずのところ、無事に終わったことに一安心する。


 それから颯太に送ってもらって、私は家に帰った。

 双葉ちゃんは……颯太と一緒に、花音ちゃんが待つ中町食堂に足を運ぶことになった。

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