第11話 藤川若葉は避けきれない
「藤川さん、昨日は忙しかったのかな? また連絡欲しいな」
翌日、私が他のお客さんの補助をしていると、またしても声をかけられた。
「えっと……、すいません。今は仕事中ですし、私はけ――」
「うん、わかった。待ってるね」
……うん、わかってないね。
話を遮られたまま、どこかに行ってしまって私が結婚していることを伝えられない。
昨日上司に相談するとすぐに対応してくれて、私はあの人の対応をしなくてもいいことになった。
理解のある職場でありがたい。
あの人は私に担当してほしいと言っていたみたいだけど、スケジュールが埋まっていると説得してくれた。
「若葉ちゃん、あの人となんかあった感じ? 彼氏おらんって聞いてたけど、ついに彼氏できたんか?」
対応していたお客さんは五十代くらいのおじさんだ。
なまってきた体を鍛え直したいと来てくれていて気さくな良い人だけど、勘違いされているらしい。
「そういうのはないですよー」
「ああ、なんかすまんな。嫌な話やったかな?」
表情に出ていたみたいで、お客さんはすぐに謝ってくれる。
興味本位というか、付き合っているなら祝福をしてくれるつもりで聞いたようで、申し訳なさそうにしていた。
「……それより、彼氏がいないとかどうとかって話、どこから聞いたんですか?」
「どうやったかなー? 確かジムに通っとる他の人らが話撮ったとかやった気がする。若葉ちゃんは元気で丁寧やし、ここに客の中でも人気やからな」
……知らなかった。
ただ、話を聞くと下心的な意味で人気なわけではなくて、『推し』的な人らしい。
私にはわからないけど、虎徹や颯太、花音ちゃんも『推し』について語る時があるため、憧れとか尊敬みたいなものなのだろうか。
「そうかー、若葉ちゃんは彼氏できてないんやなー。ええ人紹介したろか?」
「……彼氏はいないですけど、旦那はいるんですよねー!」
「嘘!? 若葉ちゃんって結構若いやろ!?」
「最近二十三歳になりました! 大学卒業と同時に結婚したんですよ」
「ほー、それはええ話聞いたわ。ちなみに彼氏とはどうやって出会ったん?」
「幼馴染で、高校から付き合ってて――」
お客さんに根掘り葉掘り聞かれながらも、半分は私から惚気話をしてしまった。お客さんは話すのが好きな人で、私も話すことは好きなため盛り上がっていた。
この日はそれ以上、あの人から声をかけられることはなかった。
……しかし、翌日も来た。
また私に声をかけてきて、「連絡が欲しい」と言ってくる。
私は「個人的な連絡はしません」と断り、お客さんの対応をしていたこともあって話を切り上げた。
「若葉先輩、モテモテですね!」
「遠慮したい……。双葉ちゃんもらってって……」
「何言ってるんですか。私は颯太先輩以上の人しか受け付けないんで、あの人はご遠慮します」
今日担当しているのは双葉ちゃんだ。
私が働くことになって来てくれるようになった。
所属している実業団チームは愛知のため、気楽に来れる距離ということもあってたまにこうしてジムを利用してくれる。
「双葉ちゃんはブレないね」
「そりゃあ、初恋で唯一の恋ですから。元々颯太先輩を奪いたいとか願望はないですけど、他の人っていうのも考えられないんですよね。バスケが恋人みたいな? 若葉先輩も藤川先輩以外考えられないんじゃないですか?」
「うっ、そうだけどさ……」
私の場合、双葉ちゃんみたいに諦めることもできないかもしれない。
虎徹が誰かと付き合ってしまっていたら、一生引きずりながら生きていきそうな気がする。
もちろん迷惑をかけたいわけじゃないから、ひっそりと想い続けているだけだけど。
「……それで、若葉先輩の反応的に、ちょっと困ってる感じですか?」
「……わかる?」
「はい! 若葉先輩って裏表ないじゃないですか?」
「それは双葉ちゃんもだけど……、っていうか、ちゃんと仕事とプライベートは分けてるからね?」
大学までは誰に対しても同じ感じで接していた自覚はある。
双葉ちゃんの言うように、『裏表がない』と何度も言われた。
ただ、来てくれるお客さんに対して同じように接することはできないため、いつもより丁寧にということは心がけていた。
「……まあ、ちょっと誘われてて、結婚してることを言おうとしても話聞いてくれないし、どうしようかなって」
「聞いてくれるまで話すしかないんじゃないですか?」
「それで聞いてくれたら困ってないよ……」
昨日も話そうとしていた時に遮られたし、今日は話そうとする前にどこかに行ってしまった。
伝え方かまずいのだろうか。
「ちょっと深刻な感じですね?」
「そうなんだよ……」
「ストーカー何ですか?」
「まだつけられたとかはないし、流石にそこまではしないとは思うよ」
私もあの人のことを知らないから、あんまり悪くは言えない。
断っても誘われるのは迷惑で業務に影響してしまうから上司には報告したし、虎徹に言ったのも不安とか愚痴とかくらいだ。他のお客さんにむやみやたらに広めるなんてことはしないし、してはいけない。
双葉ちゃんはお客さんと言っても、個人的な付き合いもある友達だからいいとは思っている。
腕を組みながら首を傾げ、双葉ちゃんは「うーん……」と唸っている。
「どうかしたの?」
「いや、さっきの人のことは何も知らないですけど、ちょっとやばい匂いがします?」
「そんなに?」
「はい! もうプンプンです!」
少し言いすぎな気もしなくはないけど……。
「だから、今日は一緒に帰りましょう!家まで送って行きますよ!」
「そんな、悪いよ」
「大丈夫ですよ! ついでに颯太先輩の店にでも行きます!」
「颯太、今日は休みらしいよ?」
「ぐぬぬ……、それなら花音先輩を口説きに行きますよ!」
颯太じゃなくてもいいんだ……。
ただ、少しだけ不安があった私は、双葉ちゃんが一緒に帰ってくれるということに少しだけ安心して、お願いすることにした。
そして仕事が終ると、双葉ちゃんはジムの近くで待っていてくれた。
日本代表候補の選手なのに目立つかと思ったけど、帽子を深く被っていて、服装はその辺にいる大学生みたいなため上手く擬態しているのだろう。
「お待たせー」
「全然大丈夫ですよー! 暇なので人間観察……もとい、誰がどうやって動くのか当てるゲームしてました!」
「え、何それ」
「バスケでマッチアップした時に、どうやって相手が動くのか予想するために見ず知らずの通行人の動く方向を予測するゲームです」
「……意味あるの?」
「わかんないですけど、多分?」
こういうところがある意味で大物なのかもしれない。
「とりあえず、帰りましょっか?」
「そうだ――」
「藤川さん」
私は双葉ちゃんと楽しく話していただけだ。
でも、悪い意味で視線を奪われてしまった。
「な、なんで……?」
あとは二人で帰るだけ。
そんなところに、この人は待ち構えていた。
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