第10話 若葉ちゃんは悩ましい
「あー、もー! 疲れた!」
私が家に帰ると、ちょうどトイレから出てきた虎徹に抱き着いた。
……しかし、華麗に避けられる。
「ちょっと! 酷くない!? 愛する奥さんからの抱擁だよ!?」
「はいはい愛してる愛してる」
「適当過ぎない?」
「いつも言ってるが、俺の身が持たないんだよ。
「むー……」
少ししょげてみる。
前まで拒否されるのが嫌だったけど、実は最近ではむしろ虎徹なりの愛情表現なのかもしれないと思い始めていた。
……そう思っていたら、突然虎徹に抱きしめられた。
「うぇっ!?」
「……なんかあった?」
「え、何のこと? 別に本気で怒ったわけじゃないけど……」
「いや、仕事で嫌なことでもあったかなと。いつもとちょっと様子が違うと思って」
どこから読み取れたのだろうか。
私は表に出したつもりはなかったけど、にじみ出ていたのかもしれない。
「……とりあえず、飯作ってあるけど食べるか? 話は食べながら聞くから」
「……食べる」
そう言えば、虎徹は仕事が休みだった。
基本は土日が休みで忙しい時は出勤するくらい。
スポーツジムで働く私はシフト制だから、休みは合わなかったりするけども、こうやって出迎えて? もらったり、出迎えたりできるのはちょっと嬉しい。
朝までは家に帰ると虎徹がいることが楽しみだったけど、色々あって抜け落ちてしまっていた。
ちゃんと手洗いうがいをしてからリビングに行くと、チャーハンと回鍋肉と中華スープが並んでいる。
ザ・男飯って感じだけど、私が作るのも似たり寄ったりだし、虎徹のご飯は美味しい。
回鍋肉は野菜多めに作ってくれるから、栄養も摂れるし。
虎徹の作ったご飯に舌鼓を打ちながら、少し厄介なお客さんに食事に誘われたことを話す。
表情は変わらないけど、時折相槌を打ってくれるため、ちゃんと聞いてくれているのはわかる。虎徹は難しい顔をしていた。
「仕事中なら周りに人がいるからいいんだがな……」
「と言うと?」
「今は仕事中だけでも、エスカレートしたら仕事の前後にも待ち伏せされることがあるかもしれないからな」
「あー……」
考えていなかったわけではない。
それでも考えないようにはしていた。
だって、怖いから。
「職場まで送って行ったり、迎えに行けたらいいんだが、時間がどうしてもなぁ……」
「行きは虎徹のが早いし、帰りも虎徹の方が遅いもんね」
実家を出て近くのマンションで生活しているけど、虎徹は電車に乗って一時間以上かけて通勤している。私は徒歩で通える範囲だ。
私は早番と遅番があるけど、どちらも虎徹とは時間が合わない。
行きは早番でも虎徹の方が早めに家を出るし、遅番だとさらに私の出勤時間が遅いため合うはずもない。
帰りも早番の時は私が家に帰ってご飯を作るくらい余裕があり、遅番の時でも仕事が終わるのはほとんど同じ。虎徹が帰ってくる時間を考えると、時間を合わせて一緒に帰ってくるのは無理がある。
虎徹は通勤時間がかかって残業が多い職場のため、どっちにしても難しい。
唯一時間が合うとすれば、私が遅番な上に大幅に残業をした時だ。
普段は営業時間が決まっているスポーツジムのため、残業が多くはない。後片付けなんかはすることが決まっているため、営業時間終了から三十分程度が勤務時間に決まっている。
可能性があるのは、翌日にジムでイベントがある時くらいだ。
働き始めて半年しても、虎徹と一緒に帰って来たのは一、二回しかないけど。
「とりあえず、職場に相談するしかないんじゃないか?」
「今日相談したよー。前までは話しかけてくるくらいだったから下心っぽくても勘違いかもしれないって思って言わなかったんだけど、今日は連絡先を渡されたしご飯にも誘われたから流石にって思って」
連絡先を渡されたことは話していなかったからか、虎徹の表情は少し険しくなった。
心配してくれて嬉しいことと、嫉妬してくれるのがちょっと嬉しかった。……心配してくれているのに、そんなことを考えるのはちょっと悪いなとは思う。
「俺も休みの日はできるだけ迎えに行くよ。ご飯は作っておいて、温め直す」
「いいの?」
「そりゃあ、俺だって心配だ。……アニメとかだと深刻な問題に発展しかねないし」
「現実とアニメは違うよ?」
「ああ、違う。違うからこそ、誰が何をしでかすかなんてわからないんだよ。真面目だと思っていたやつがちょっとした拍子で悪いことに手を染めるし、チキンだと思ってたやつが告白の時にプロポーズすることだってあるんだ」
「……前者はわからないけど、後者は颯太のことだよね? ディスってたってチクっとこ」
「誰も颯太のことなんて言ってないからな?」
知らぬところで颯太に風評被害はあったものの、おかげで笑えて気持ちが少し軽くなった。
心の中で颯太に感謝しておく。今頃くしゃみでもしている頃だろうか。
虎徹のおかげで少しだけ安心した私は、ご飯を食べ進める。
断っても誘ってくるから厄介な客だと思ったけど、もしかしたら好意を持ってくれて、少ししつこいだけなのかもしれない。
いつかは諦めてくれると、私は楽観的に考えていた。
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