第9話 藤川若葉の受難
どうやら私は結構モテるらしい。
高校でもたまに告白されていた。
でも、虎徹がずっと好きだったから断ってきた。
それに、私というよりも体を見られているような気がしていた。
同級生の中では胸も大きい方だから、多分男の子は私のそこを見ていたんだと思う。
……まあ、虎徹にそういう目で見られるのは嬉しいから、結局は視線を向けてくる相手次第なんだろうけど。
可愛いかどうかなんて、正直よくわからない。
生まれてからずっと付き合ってきた自分の顔を、可愛いともブサイクとも思っていなかった。
告白されるっていうことは、自信を持っていいのかもしれないけど……。
高校生の時はジロジロと見られる程度で済んでいたけど、大学生になると色々と変わってくるものだった。
「なーなー、若葉ー」
「えーっと、どうしたのかな?」
「今度暇だったらご飯でも行かない? もちろん二人きりで!」
「いやー、ちょっとどうかなーって……。私彼氏いるから、男の人と二人きりとかはねぇ?」
「いやいや! 普通に友達としてだから! それとも何? 彼氏って束縛強い系?」
「そうじゃないけど……」
「それならいいじゃん! ねえ、行こ?」
正直名前もうろ覚えな同じ学部の男子にそうやって誘われた。
友達になった覚えはないけど、言ってしまえば角が立つから言わないでおく。
行くつもりはないけど、虎徹に言えば『行ってもいい』って言いそうだ。
虎徹は私が思っている以上に私のことが好きみたいで、あんまり表には出さないけど嫉妬されると思う。
それでも止めてもらえない方が私自身嫌だから、そんな試すようなことはしない。
ちょっとだけ遠回しだけど、相手を傷つけないように断っている。それでも相手は食い下がってきた。
「お願い! 一回だけでいいから!」
「一回でもちょっとどうかなぁ……」
「ご飯だけだから!」
そう言って彼は私に手を伸ばす。
体に軽く触れるくらい、高校生までなら体育祭のフォークダンスとかでもあった。
ただ、今みたいにあからさまに下心を見せられると……気持ち悪い。
「やめ……っ!」
抵抗の声を上げながら、怖くて目をつむる。
目をつむったら状況が把握できなくなるから、選択肢としては愚の骨頂。
わかっていても怖さがどうしても勝ってしまった。
……でも、彼の手が私に触れることはなかった。
恐る恐る目を開ける。
彼は手を宙で遊ばせたまま固まっていた。
「あっ……、ちょっと用事思い出した!」
そんなテンプレみたいな捨て台詞を吐いて、彼はどこかに行ってしまった。
彼の顔には恐怖の色があって、見るだけで固まってしまうほど怖いことなんて、心当たりは一つしかなかった。
「虎徹ぅー……」
振り返ると思った通り虎徹がいた。
睨みを利かせていた……いや、これが平常運転の顔だけど、虎徹は無言で守ってくれたのだ。
「……遅くなって悪い」
「本当だよ! 私が他の人に手を出されたらどうしてたのさ!」
「……それは困るな」
苦笑いしている顔は少し可愛い。
普段の怖い目つきも私にとってはカッコいいし、こんな可愛い顔もできるのが虎徹だ。
カッコよく感じるのも、可愛い顔を見れるのも、私の特権だと思う。
……颯太と花音ちゃんは例外として。
「教授に捕まってたからな」
「しょうがないなー」
「今度、若葉の言ってた単行本集めるから」
「本当? やった!」
昔はマンガもアニメのあんまり興味はなかった。
一緒にいても、お互いに別のことをしていたくらいだ。
ただ、付き合い始めてから虎徹のことをもっと知りたくて、気が付けば私は虎徹色に染まっていた。
……いや、虎徹色に染まりたかった。
就職して、虎徹とは離れ離れになった。
家ではいつも一緒だけど、今までは昼も一緒にいるし、なんなら部屋の窓の外を見れば虎徹がいた。
大学生まではそんな毎日で、極稀に日中は一緒にいない時もあったけど、毎日どこかで顔を合わせていた。
一日会わなかったのは中学生の頃の一時期と、高校生の頃に告白をしてフラれた時、あとは風邪とかインフルエンザになった時とか親の実家に帰省した時みたいにどうしても会えない時くらいだ。
それくらいいつも一緒にいた。
井上若葉改め、藤川若葉になった私は、そんな寂しさを夜になったらぶつけようと働いている。
めんどくさいことはあっても、運動が好きな私にとっては結構向いている仕事なのかもしれない。
スポーツジムは色々な人がいて、主に女の人の補助をしているけど男の人もいるにはいる。
変な人はいなかったから、これはこれで充実していた。
……そう思っていた。
「藤川さんって、可愛いよね」
「えっと、ありがとうございます」
お客さんとしてきた人を無下に扱うわけにはいかない。
褒められてもまったく嬉しくなかったけど、私は適当に愛想笑いを浮かべていた。
「他のトレーナーさんに聞いたんだけど、彼氏とかもいないんでしょ?」
何のことかと思ったけど、そういえば前に職場の歓迎会の時に酔った勢いで『彼氏はいません! でも旦那がいます!』なんてふざけて言っていた。
結婚してそんなに経っていなかったこともあるから、ちょっとだけ自慢したかったのだ。
だから答えた他のトレーナーさんも、一部分だけを切り取って言ってしまったのだろう。
「もったいないなぁ。それなら僕が藤川さんの彼氏に立候補したいくらだよ」
下卑た笑みを浮かべならそう言われて、正直気持ち悪いと思ってしまった。
そんなことを表面に出せるはずもないから、愛想笑いで結婚をしていることを伝えようと決める。
「またまた、お世辞が上手いんですね。でも、彼氏はいないですけど――」
「今度よかったら食事でもどうですか?」
「……そういうのはお断りしているので。それに――」
「仕事とプライベートは別ってことで、ダメかな?」
……色々と前言撤回。
多分、私に彼氏がいないことを伝えたトレーナーさんはちゃんと事実を伝えようとしたと思う。
この人はただ、人の話を聞かない人だ。
何を言っても聞いてくれない気がして、私は早々に諦めた。
「ダメですよー。プライベートでひいきみたいな事したら、仕事辞めさせられるんですよー」
嘘だけど。
「他のトレーナーさんで、お客さんと結婚した人もいるみたいだよ? 大丈夫なんじゃないかな?」
目ざといなぁ。
確かに他のトレーナーさんでそういう人はいるけど、正確に言うとお客さんと結婚したわけじゃなくて、当時は付き合っていた人が運動したいからとジムに通うようになったらしい。
そんな個人的な事情を事細かに話すわけにもいかないため、この説明も諦めた。
目に余る行動……例えばとっかえひっかえしたりと業務に影響がなければ、恋愛は自由なのが職場のルールだ。
仮にこの人とプライベートで食事に行くとしても問題はない。
もちろん結婚してこれからって時に、浮気を疑われるような行動はしたくないし、そもそもするつもりもなかった。
微塵としてこの人に興味はない。
「あー……! そろそろ終わりの時間ですし、私もまだ仕事があるので……」
「それならこれ僕の連絡先だから、また藤川さんからの連絡待ってるね」
そう言ってポケットに入れてあったらしい紙きれを渡される。
これがあるってことは、元々渡すために用意したものだと思うと、結構本気で怖かった。
「……ご遠慮します」
「遠慮せずにどうぞ」
無理やり目の前に押し付けてくるものだから、突き返したいけどこの人の手に触れることすら嫌だ。
私はできるだけ手には触れないようにして、紙きれを受け取る。
イライラ棒? ビリビリ棒? スタートからゴールまで、周りに触れたらアウトのゲームをしている気分だった。
……ゲームだとしたら駄作すぎるけど。
「じゃあ、また今度ね」
「……はあ」
肯定ではなく、ため息にも近い感嘆の声が漏れる。
この人の相手はしたくない。
上司に報告しておこう。
対応はよくて、理解のある職場だから、それだけが救いだった。
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