第8話 井上初花の恋は芽が出ない
私の初恋は知らない間に終わっていたらしい。
昼が過ぎて夕方に差し掛かろうとしていた時、部屋で勉強をしていると玄関のチャイムが鳴る。
私はシャーペンを走らせる手を止めてインターホンを確認すると、そこには颯太さんが立っていた。
「ちょっ! ちょっと待っててください!」
だらしない部屋着から、急いで着替える。
白と黒の組み合わせならとりあえず間違いはないと思い、よく組み合わせているセットを選ぶ。
上は白のシャツで、下は黒のロングスカート。中学三年生にもなって少しくらいオシャレをしてみたいと思ったけど、シンプルなものが正義だ。
シンプルなものの中でも、可愛いものを選んでいる。
慌てて愛を少しぶつけながらも、玄関を開けた。
「お、お待たせしました」
「あ、いや、急にごめんね? ……っていうか、すごい音してたけど、大丈夫?」
「お構いなく!」
ぶつけた音が聞こえていたらしい。
痛みを思い出して内心悶えながらも、恥ずかしくて顔から火が噴き出しそうで悶えてもいた。
好きな人に少しくらい可愛く見られたいのに、失敗してしまった。
大学生になった颯太さんはカッコいい。お姉ちゃんは『フツメン』だって言っているけど、そもそも虎徹にいにしか興味ない人が何を言っても説得力がないため、あくまでも参考資料だ。
私は颯太さんのことをカッコいいと思っていた。
緊張してしまって声が震えている。
「もしかして、今から出かけるところだった?」
「出かける予定はないですけど、何でですか?」
「いや、可愛い服着てるなって思って」
「うぇっ!?」
そんなことを言われてしまえば、嬉しさが爆発してしまう。
可愛いなんて、言われ慣れていない。
「お姉ちゃんの方が可愛いですし……」
お姉ちゃんは可愛いけど、私は可愛くないのだ。
可愛くて運動神経が良くて頭も良くて、胸も大きいお姉ちゃんに対して、私はコンプレックスを抱いている。
コンプレックスがあってもお姉ちゃんのことは尊敬していて大好きだ。
ただ、やっぱり比較されることもあるため、私のことを可愛いと言ってくれる……しかも好きな人に言われると嬉しすぎてたまらない。
「んー、まあ若葉は綺麗だけど、初花ちゃんも可愛いと思うよ」
颯太さんには妹がいるから、女の子としてと言うよりも妹的な存在として見ているのだと思う。
溢れ出るお兄ちゃん感があった。
照れてしまうが、隠すようにして話題を逸らす。
「えっと、それで今日は急にどうしたんですか?」
「あー、若葉がマンガ持って来いって言ってたから来たんだけど、若葉いない?」
「お姉ちゃん、ちょっと前に出かけましたよ?」
「はー、マジか」
苦笑いをしながら肩を落としている。
自由なお姉ちゃんに振り回されてるようだ。
そして前言撤回。
お姉ちゃんはアホだから、そこは欠点だ。唯一私がお姉ちゃんに買っているところだと思う。
そんなアホなところも好きだし、今日はこうして颯太さんと話せたことに感謝もする。
そしてこれはチャンスでもあった。
「ちょっと重くて申し訳ないけど、これ渡しておいてもらえるかな?」
「大丈夫ですけど……」
「ごめんね? それだけだから。それじゃあ――」
「あの!」
「うん?」
「よかったら少しだけゆっくりしていきませんか?」
憧れのお兄さん……それが青木颯太さんに抱いている印象だ。
小学六年生になってから、お姉ちゃんが男友達を連れてきた。
同級生の男の子もあんまり仲良くないから、家族以外でちゃんと話す男の人は、颯太さんが初めてかもしれない。
虎徹にいも男の人だけど昔から知っているし、お姉ちゃんが好きな人だし、良いところもあるけど意地悪なところがあるし、家族に近い兄みたいな人だったからノーカウントだ。
私は颯太さんのことが好きだった。
でも憧れの大人なお兄さんというだけで恋愛感情ではなかった。
そもそも小学生の私には、恋愛なんてわからなかった。
同級生の女の子は『誰々が好き』だとか話をするけど、私にはよくわからない。女の子はませているって言うけど、私は当てはまらない。
昔から虎徹にいっていう好きな人がいるお姉ちゃんのことを少しだけ羨ましいと思っていた。……虎徹にいのことをそういう風には見れないけど。
そして本宮花音さん。
お姉ちゃんと仲良くしていて、私のことを可愛がってくれる優しいお姉さんで、私は花音さんのことが好きだった。
……たまに可愛がられすぎている気がして少し怖いけど。
美人で優しくて、たまにお姉ちゃんに対して雑なところもあるけど、すごくいい人だ。
そんな花音さんと颯太さんは付き合っている。
お似合いだと思ったし、付き合っていることを聞いた時は心の底から祝福していた。
好きな人と好きな人が付き合ったなんて、嫌なはずがない。
……でも、少しだけ胸が痛んだ。
なんでだろうって思いながらしばらくして、ようやく私は颯太さんに恋をしていたことに気が付いたのだ。
とりあえず引き留めようと思っていたら、私はとんでもないことを口走っていたみたいだ。
颯太さんが私の部屋にいた。
現状を整理しよう。
引き留めようとして適当に言い訳をしていると、流れで勉強を教えてもらうことになってしまった。
私は中学三年生で受験だからと適当に言い訳をしてしまった。
迷惑じゃないだろうかと不安になってしまう。
「なんか、ごめんなさい」
「ん? 別にどうってことないよ」
「でも、お姉ちゃんに用事があっただけなのに、勉強を見てもらうなんて……」
「大丈夫大丈夫。ただ、もう大学二年生で中学の勉強なんて半分くらい忘れてるから、あんまり期待はしないで」
「は、はい」
好きな人と一緒にいられる。
でも、颯太さんが花音さんと同棲を始めたことも知っているため、やや複雑な心境はある。
私が好きな二人が幸せなことが嬉しくもあり、恋愛的に好きな颯太さんに彼女がいることが少し切ないのだ。
複雑な気持ちを抱えながらも勉強を教えてもらう。
やっぱり大学生なだけあって大人っぽくて、隣にいると緊張してする。
ために子供っぽく笑うところも、ギャップがあって好きだ。
「……颯太さんは、花音さんのどういうところが好きなんですか?」
「うえっ?」
動揺したような変な声に、私は思わずクスクスと笑う。
「恋とかわからないので、参考までに知りたいなって」
「そ、そうなんだ……。同級生の男の子とかで気になることかいないの?」
「なんか子供っぽく思えちゃって。私もまだ子供ですけど、年上の人がタイプかもしれません」
「初花ちゃんは大人びてるんだね」
ちょっとしたアピールのつもりもあったけど、伝わってはいないらしい。
伝わったら伝わったで困るけど。
「好きなところか……、これって言われると悩むから、全部って言うのはダメ?」
「ダメです」
笑顔で即答すると、颯太さんは苦笑いをしていた。
「具体的に教えてほしいです。性格とかだけじゃなくて、どういうところがとか」
「難しいな……。まあ、正直言うと、今はこれっていうところが特に思い浮かばない?」
「え? どういうことですか?」
「最初は一緒にいて落ち着くとか、楽しいとか、そういうことも思ってたけど、結局はそれっぽい理由を並べてるだけなのかなって」
「……それって、好きじゃないってことですか?」
「違う違う。他にも好きなところがあるから、さっきも言ったように全部が好き……は言いすぎだけど、多くて答えられないんだ」
言っていることがあんまりわからない。
私は難しい顔でもしていたのか、颯太さんは気が付いて言葉を続ける。
「強いて言えば笑顔が好きっていうのかな? 笑顔が見たいから作って欲しいわけじゃなくて、笑顔が見たいから笑顔にしてあげたいとか思うな。だから好きなところはたくさんあるけど、それが一緒にいる理由じゃなくて、自然に見せる笑顔を見たいから幸せにしてあげたいって思うのが一緒にいたい理由かな?」
「……難しいですね」
「ちょっと言葉がまとまらなかったけど、要するに好きなところがあるから一緒にいたいんじゃなくて、その人だから好きなんだよ。例えるなら若葉と虎徹みたいな感じって言えばわかりやすいかな?」
「……なるほどです」
わかりやすいたとえだけど、私には理解ができないことだった。
虎徹にいはいい人だと思うけど、気難しいから私なら付き合いたいとは思わない。
それでもお姉ちゃんは虎徹にいのことが好きで、好きなところは『虎徹が虎徹だから』らしい。
やっぱり私には難しい。
好きなところがあって一緒にいたいと思うのが普通だと思っていたから、好きな人が好きな人だから何てわからなかった。
多分、颯太さんたちが特殊なだけだと思うけど、それはある意味、本当に好きだからそう思っているのだとわかった。
私は一生、そんな風に誰かを想える気がしなかった。
そして、そんな風に想える相手がいる颯太さんから、私が想われることは一生ないことを悟ってしまった。
しばらくすると、お姉ちゃんが帰ってくる。
どうやら時間を間違えていたらしい。
十五時の約束を五時と勘違いしていたようだ。
渡すものを渡して、颯太さんが帰る時、私はコンビニに行くことを理由に一緒に家を出た。
「今日は勉強を教えていただいて、ありがとうございます」
「力になれたならよかった。……って言っても半分くらい雑談だけどね」
「恋の勉強ですよ」
冗談めかしてそう言うと、颯太さんが笑ってくれた。
……これがさっき颯太さんが言っていたことなのかもしれない。もしかしたら一生想える気がしないというわけではないかもしれない。
あっという間にコンビニまでついてしまい、ここで颯太さんとはお別れだ。
「受験頑張ってね。一年あるけど、あっという間だから」
「ありがとうございます。頑張ります!」
そう言えば颯太さんは高校生の頃、頭は良くなかったとお姉ちゃんから聞いていた。
相当勉強したらしいため、自分の経験を語っているのだろう。
「颯太さんも、大学頑張ってください」
「ありがとう。頑張るよ」
「それと、花音さんとのことも。お幸せになってください」
「……うん。ありがとう」
私の恋は終わってしまった。
実る前に終わってしまい、芽が出るどころか種が植えられただけで育つこともない、
ようやく芽が出ようとした時には、颯太さんの方は花が開いていて追いつけなかった。
少しだけほろ苦い経験だ。
でも、私にとって、多分忘れられない片思いだろう。
切ない、青春の一ページだ。
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