第5話 かのんちゃんはだらけたい!

「あー……」


「何してるんだ?」


「だらけてる」


 一緒に暮らし始めて三年が経った。

 大学にはあまり友達はおらず、講義のことでたまに話すくらいの仲の人しかいない。

 休日はバイトをするか、花音と二人で出かけるか、家で時間を潰す毎日だった。


「最近忙しかったよな、お疲れ様」


「ありがとー」


「……にしても、だらけすぎじゃないか?」


 気温も上がり始め、少しずつ暑くなってきた七月。

 暑さに耐え切れなくなり、ついにエアコンをつけ始めた。

 まだ部屋は冷え切っておらず、扇風機の羽が回る音が室内に響いている。


 その扇風機はソファの上でひっくり返っている花音の目の前にどっしりと座っており、髪をなびかせていた。

 普段はここまでだらけることはない花音がこうしていると、相当疲れていることがわかる。


「とにかく疲れたのー」


「教育実習もあったからな」


「あとゼミも……って、それは颯太くんも一緒か」


 大学四年になると、花音は五月から六月にかけて教育実習に行っていた。

 それ以外でも理系はとにかく忙しいようで、ゼミやらなんやら疲弊しきっていた。

 七月になって夏休みが近づき、ようやく落ち着き始めたのがつい最近のことだ。


「俺はそこまで忙しくはないけど……。まあ、やらないといけないことは多いな」


「でしょ? ……って言うか、いつも家事とかは任せちゃってるから、むしろ颯太くんの方が大変じゃない?」


「それはないと思う。花音もたまにご飯作ってくれるし。それに、一緒に住み始めたのって助け合うためだろ?」


「うー……、それはそうだけど、任せっぱなしっていうのもなぁ……そうだ!」


 何かひらめいたように、花音は勢いよく起き上がる。

 ソファに座り直すと、隣をポンポンと叩く。


「ここどうぞ! めちゃくちゃ涼しい特等席だよ!」


「え、いらない」


 暑いには暑いが、そのうち冷えてきて、むしろ寒くなりそうだ。

 ふくれっ面をした花音はぶつくさと文句をたれながら、再びソファの上でひっくり返っていた。


「ちなみに、その体勢だと下着見えそうだからな?」


「今更じゃん。洗濯も任せちゃってるし」


「そうだけど……」


 三年も一緒に住んでいて、付き合い始めてからももうすぐ四年を迎えようとしている。

 流石にここまでくると色々と経験はしているわけで、それもあってか花音はだらしない姿も見せるようになってきた。それは俺も同じで、お互いに気を抜いている時もある。


 ただ、花音は元々の性格からなのかきっちりとしていることも多い。

 だからこそ、むしろ無防備な姿を見れるのは実は嬉しかったりするのだ。


「それよりさ」


「なに?」


「……寒くなってきた」


「言わんこっちゃない」


 エアコンが効いてきて、その上扇風機もついていればむしろ寒くなるのは当たり前だ。

 両腕で自分の体を抱き、寒いことをアピールしている。


 扇風機を切って花音を起き上がらせて隣に座ると、甘えたように腕に張り付いてくる。

 ……ただ、これは決して甘えているわけではなく、暖を取るためにしているだけだった。


「……えへへ」


 そうやって笑う花音を見ていると、俺の気持ちはぐらついていた。


 一緒に住み始めて三年も経っている。

 生活やお互いのことに慣れてはいるが、理性はゴリゴリと削られていくのだ。


 先ほどの洗濯物の話も、家事自体は普通にしている。

 しかし、花音が着ているかどうかで意味は異なるのだ。

 つまり、わずかに視界に入る白い布によって、俺は悶々とさせられていた。


「……はあ」


「どうかしたの?」


「精神統一」


「なにそれ」


 真昼間から悶々としていては、一日身が持たない。

 深呼吸をして気持ちを整え、この場をやり過ごそう。


「あ、それで話がだいぶ変わったんだけどさ」


 気持ちを切り替えようとしている中、花音の話題転換によって強制的に切り替えられた。


「もうすぐ就職のことも考えないといけないから、悩んでたんだ」


「あー……」


 花音はいくつか選択肢がある。


 俺はバイト先の中町食堂で働く前提で大学を決めていて、見聞を広げて進路を確定しようとしていた。

 しかし、三年生の時点で完全に気持ちが固まり、大学卒業後は中町食堂で働くことが決定している。


 ただ、花音の選択肢は四つあった。

 普通に就活をして……というのは少し遅いかもしれないが、一般企業に就職する方法が第一に出てくる。

 そして、教員免許の試験は目の前に迫っており、花音は受ける予定だ。受かったとしても採用試験があるため、就職できるかどうかは別の話だが。

 三つ目の選択肢としては、就職せずに大学院に行くというもの。理工学部数学科の花音にとって、博士課程……大学院卒は大きな経歴となる。これも可能性の一つだ。

 最後に、俺と同じで中町食堂で働き続けるというものだった。


 花音は多くの選択肢の中から一つを選ばなくてはいけないため、だらけながらも悩んでいたようだ。


「俺がどうこう言えることじゃないからな……」


「そうだよねぇ。でも……、いや、また今度話してもいい?」


「別に今でもいいけど……」


「せっかくだから来週ね」


「ああ、そういうこと」


 来週は久しぶり……というのも春休み以来だろうか。

 虎徹と若葉、四人で会う予定なのだ。

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