第190話 春風双葉はまだ……。

 一回、二回と、ボールが地面を叩きつける心地の良い音が響く。

 体育館とはまた違うバッシュがこするスキール音も同時に心を震わせている。


「……双葉、本気すぎ」


「本気じゃないと意味ないじゃないですか!」


「そうだけど、アップから本気はやめてくれよ」


 息を切らし、両膝に手をついている。

 準備運動もそこそこに軽くパスから始めていたが、双葉はいきなりドリブルをし始めるとゴールを狙った。

 咄嗟にディフェンスをすると、そこから徐々に1ON1の流れになっていた。

 しかし、まだアップも途中なのだ。


「もうちょっと体動かしてからにしない?」


「……はーい」


 不貞腐れたような返事に、俺は苦笑いをしていた。




 喫茶店を出た俺たちは、一度お互いに家に戻った。

 俺も双葉も、運動をするには適していない服装をしている。そのために着替えと靴を履き替えようということだ。


 改めて公園に向かうと、双葉が少し遅れてやってくる。

 ジャージを着てボールを片手にしている双葉は、放課後の小学生だと言われても信じてしまうほど目が輝いていた。

 そして集合した俺たちはアップを始め、一度休憩をはさんでいた。


「やっぱり先輩とはバスケで語るのが一番ですね」


「おー」


 受験期間中も運動をしていなかったわけではないが、どうも体が鈍っているらしい。

 重い体を伸ばしながら、適当に相槌を打っていた。


 双葉の場合、バスケで語るというのは言葉通りだ。

 ボールを受け取っても、対峙して戦っていても双葉の気持ちが伝わってくる。そんな気がしていた。


 しばらく休憩をはさむと、少しずつ元気を取り戻していく。

 双葉は「よしっ!」と気合を入れると、勢いよく立ち上がった。


「そろそろ始めましょっか?」


「……そうだな」


 釣られて立ち上がり、肩回りを動かす。

 双葉もジャンプをしたり、足を動かしたりして、体の状態を確認していた。


 双葉にボールを渡され、俺はそのまま返す。

 勝負開始の合図だ。

 まるで寝起きを奇襲するように、双葉はいきなり早い攻撃で攻めてくる。

 俺はそれを許さず、すかさず双葉とゴールリングの間に割って入った。

 ……しかし、双葉はディフェンスを許してはくれない。


「私の勝ちですね」


「まだ一回だろ」


「そうですね。まだ何回も続きます。……でも、今のは私が勝ったのは勝ったんです」


 負けず嫌いの双葉は、一回一回の勝負に全力を注いでいる。

 全力で挑まないという選択肢がないのだろう。


 俺もそんな双葉の気持ちに、答えるしかなかった。




「めちゃくちゃ上手くなってないか?」


「そうですかね? でも、先輩にも結構やられてますよ」


「一応は体動かしてるからな。去年よりは上手くなってる……と思う」


 結局、俺の体力が尽きるまで続け、ほぼ半々くらいの対戦成績で終わった。

 正確には体力の限界が近くなってきた最後の方は防戦一方だったため、若干負けていたかもしれない。細かく何本のシュートが入ったのかは数えていないため、実際のところはわからなかった。


「やっぱり、バスケって最高ですね」


「それには同意するな」


「先輩は大学でまたバスケをしようって思ったりしないんですか?」


「大学でバスケって、本気も本気でやってる連中ばっかりだぞ?」


「あ、いや、部活とかじゃなくてもサークルとかです」


 サークルで部活……考えたこともなかった。

 こうして双葉や凪沙とバスケをして、最近では花音とすることもあり、そういうバスケで満足をしていた。

 だが、実際に試合ができるというわけでもないため、同じ趣味のバスケでも全然違った意味があることだろう。


「サークルとか部活とか、そういうのじゃなくても、先輩にはバスケを続けてほしいって思ってます」


 双葉は俺の目を真っすぐ見ながらそう言った。


「私は先輩にバスケを教えてもらって、先輩がいたから私がいます。わがままかもしれないですけど、先輩がいてくれるから、私は頑張れるんです」


 何度も伝えてくれる言葉だが、改めて実感する。

 気恥ずかしくて本気で捉えようともしなかった言葉を、本気なのだと認識してしまった。

 嬉しさと恥ずかしさ、心地のよさが溢れ出して止まらない。


「私は先輩を愛してます。それが恋愛感情……ではありましたけど、今は先輩として、恩人として。先輩が大好きで、普通の先輩も好きですけど、やっぱりバスケをしている先輩が好きなんです」


 必死に心の中の感情を吐き出すように、一つ一つ言葉を紡ぐ。


 十分に気持ちは伝わっている、

 それでもまだ伝えきれていないのか、どこかもどかしそうに言葉を並べていた。

 その感情が高ぶるあまり、言葉が涙として溢れている。


「双葉……」


「……っ! ごめんなさい。先輩を困らせたいわけじゃないんです、いや、困るのはわかっていても、困らせたいわけじゃなくて……」


 自分でもわけがわからなくなっているのだろう。

 矛盾していることを言いながらも、何とか必死に言葉を続けようとする。


 ただ、言いたいことはわかっていた。


「大丈夫。双葉の気持ちは伝わったよ。ありがとう。……それに、俺はバスケを辞めるつもりはないから。少なくとも、こうやって公園でボールを片手にシュート練習をしたり、暇が合ったら双葉とか凪沙とかと練習したり、そういうのでも続けたいと思ってる」


 俺がバスケをするかどうかなんて、些細なことだ。

 それに、少しでもできたらということは考えているし、何故そこまで必死になっているのかということは見当もつかない。


 しかし、双葉にとって大切なのだということはわかり、俺はその気持ちを受け止めていた。


 そして。双葉の一言に伝えたいことのすべてが詰まっていた。


「先輩。今までありがとうございました。……それと、これからもよろしくお願いします。花音先輩とお幸せに」


「改まって、どうした……?」


「これで、先輩のことが恋愛対象として好きな私とはさよなら……なので」


 そう言って俯くと、決心したように双葉は俺の目を見てきた。



 過去のことのように、双葉はそう言った。


 双葉にとって俺との繋がりはバスケで、その繋がりを消したくないからこそ必死だった……のだろう。

 俺がバスケを続けるということを言ったため、長くにわたって成熟しなかった恋の実を飲み込むことができたのだ。


「双葉。ありがとう」


 俺たちの延長戦は、これでようやく決着が着いたのだった。

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