第183話 かのんちゃんは求めたい

 俺は花音の家に入ると、いつもはすぐに自室に荷物を下ろしに行く花音は動こうとはしなかった。

 何かを考えているようだ。


 数秒間動きを止めた後、結審するように頷くと口を開いた。


「颯太くん、私の部屋で待ってて」


「えっ……?」


 そんなこと、言われるとは思っていなかった。

 恥ずかしいからという理由だが、俺は今まで花音の部屋に入ったことがない。


 今日という今日に、花音は部屋に入るように言ったのだ。

 驚きのあまり、思考が停止していた。


「……恥ずかしいから何も触らないでね? 部屋に入って適当に座ってて」


 そう言うと、花音はキッチンに向かっていった。


 花音はいつもはまず部屋で荷物を下ろし、場合によっては着替える。

 今日は違う。


 多分……だが、一緒に部屋に入って、俺の反応を見るのが恥ずかしいのだろう。


 俺は意を決し、花音の部屋にのドアノブに手をかける。

 部屋に入ると……ある意味想像通りで、イメージとは違う部屋が広がっていた。


 部屋自体は整頓されている。

 そして勉強机やテーブルにベッド、棚や本棚や本棚や……本棚があった。

 本棚の中にはマンガやラノベ、アニメのブルーレイディスクや同人誌が並べられている。

 種類が豊富で興味はそそられるが、俺は言われた通りにテーブルの近くに腰を下ろした。


 ――本棚端に隠すようにあった、やや肌色の多い本は見なかったことにしよう。


「……お待たせ」


 しばらく待っていると、花音は自分の荷物と飲み物を持ってきてくれる。

 俺の前のその隣に二つカップを置き、荷物を下ろす。


 そして、花音の動きは止まった。

 無言でそのまま部屋を出ていくと、どこからかタオルケットを持ってきて本棚にかける。

 これで、やや肌色の多い本を隠したのだが、既に俺は存在に気付いてしまっている。これ以上は何も言わないでおこう。


 そう思ったのだが、こういう時にツッコんでくるのが花音だ。


「……見た?」


「えっと、何が?」


「その……言わせないでよ。颯太くんのえっち」


 完全な冤罪をかけられてしまった。

 花音が勝手に自爆をしているだけなのだ。


 しかし、冤罪ではない部分も少しだけあった。

 花音が恥ずかしそうに頬を赤らめている表情は、男としてそそられるものがある。

 俺は少しだけ変な気持ちになっていた。


 誤魔化すようにして目を逸らすが、花音は何も言ってこない。

 不思議に思い、俺は花音の様子を窺った。

 花音は恥ずかしがっているのか、……いや、また違った理由だろうか、頬を赤くしている。


「ええと……花音?」


「颯太くんは……私に幻滅した?」


 もしかしなくとも、肌色の多い本のことを言っているのだろう。

 しかし、俺は首を横に振っていた。


「いや、花音は花音だから。趣味趣向で嫌いになったりしないよ」


 第一、元々知っていた部分もある。

 花音はオタク趣味があって……ムッツリだ。

 受験期間なんかは、普通のカップルが盛り上がっている時期と言われる二、三ヶ月の時期だったのだ。

 俺も溢れる気持ちを抑えていたが、花音は抑えながらもほぼほぼ前面に出ていた。


 そんな意外な一面程度で済むことで、俺は幻滅したりはしない。

 極端な話にはなるが、幻滅すると言うならば法に触れることをした時くらいだろう。


 花音は俺の言葉に「ふぅん……」と言いながら嬉しそうな表情を浮かべている。


「そんなに私のこと好きなんだ」


「ああ、好きだよ」


「ふぅん、そっかそっか……」


 花音は口角を上げながら、チラチラと視線を向けてくる。

 素直に口には出さないが、言いたいことはわかっている。


 俺のシャツを掴みながら、花音は上目遣いで俺を見ている。


「……もっと言って?」


 甘えるようなその声に、俺は応じないわけにはいかなかった。

 俺は顔が熱くなっているのを抑えて、花音が満足のいくまで言葉を紡ぐ。


「……好きだよ」


「もっと」


「花音、好きだ」


「もっと、いっぱいちょうだい」


「……大好きだ」


 自分で言っていてもわかるほど、甘すぎる言葉だ。

 しかし、求めてくる花音に応じたい。


「……そんなに私のことが好きなの?」


 自分から求めてきた花音がニマニマとしながら俺にそう言う。

 その言葉に、俺は言い淀むことなく即答した。


「ああ、好きだ」


 そう言うと、花音は満足した様子だった。

 そして、何度か頷くと、今度は無茶ぶりをしてきた。


「それなら、証拠見せてよ」


「……証拠?」


 突然のことに、俺は頭を悩ませる。

 証拠……と言われて何をすればいいのかわからない。


 好きだという証拠なんて、どう表現すればいいのかわからないのだ。


 ……いや、もしかしたら花音はを求めているのかもしれない。


 そうわかっていても、俺は勇気を出せずに逃げてしまった。


「……これが証拠?」


「う、うん。俺の精一杯」


「ふーん……」


 俺は花音を抱きしめていた。

 ちょうど花音を包み込みながら、花音の顔が俺の胸辺りに来るように抱きしめる。

 できる限り力強く……それでいて、苦しくないように。


 しばらく抱きしめたまま、離れるタイミングがわからない俺は恐る恐る花音から離れた。


「まあ、気持ちは伝わったかな?」


「そ、そっか……」


 花音の言葉に胸を撫で下ろす。

 しかし、言葉とは裏腹に花音はやや不満げな様子で眉をひそめていた。


 ――やっぱりか。


 花音が求めていることはわかっている。

 それでも、俺はどうも勇気が出ないままだった。


 すると、不意に花音の顔が俺に近づいた。


 そして柔らかいものが唇に触れる。


「……私はこれくらい、颯太くんのことが大好きだよ」


 そう言って俺の目を真っすぐに見る花音は微笑んでいた。

 思わず俺は、口元を抑える。


 唇から伝わった花音の熱が伝線したのかもしれない。

 俺の体は熱くなっていた。


「もっと伝えてね? これからもずっと」


 そう言う花音に、俺は引き込まれてしまっていた。


 俺が頷くと、花音は静かに目を閉じ、顎を上げる。


 言われなくてもわかっている。

 俺はそっと、花音に唇を寄せた。


 多分俺は、これからも花音に勝てないのかもしれない。

 しかし、俺にとってはそんな自分たちの関係が心地よかった。

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