第182話 かのんちゃんはまだ足りない

「今日はありがとね。楽しかったよ」


「それならよかったよ。最後の方は普通に話せてたしな」


「うん。お父さんもお母さんもいい人で、話しやすかったおかげかな? 改めてありがとうって伝えておいて」


「了解」


 花音と二人、いつもと同じ道を歩いていた。


 俺の家でご飯を食べてしばらく話をした後、俺は再び花音を家まで送っている。

 そんな何気のないような時間も、高校生活でできるのはこれが本当に最後だ。

 貴重な時間を噛みしめながら、俺は花音と隣を歩いていた。


「もっとちゃんとお話しできたらよかったのになぁ……。緊張して最初は全然話せなかったし」


「大丈夫だろ。これからも何回も話す機会もあるだろうし」


「……うん、そうだね」


 俺の言葉に花音はわずかに表情を綻ばせた。

 意識して狙っているわけでもないが、花音は次があるということがどうも嬉しいらしい。

 それは俺も一緒だが、花音は特に過敏に反応している。


 ……俺たちはこれからも一緒にいる。だから、どれだけ後悔したとしても、何度でもやり直せるのだ。


「ねえ、颯太くん」


「どうした?」


「今までありがとう。……そして、これからもよろしく」


「こちらこそありがとう。よろしく。……って、改まってどうしたんだ?」


「うーんとね……、私、颯太くんにはすごく感謝しているから」


「俺の方こそ、花音には感謝しているよ。父さんと母さんも言ってたけど、花音のおかげで俺は学校が楽しかったから」


 もちろん、虎徹や若葉のおかげというのもある。

 しかし、さらに学校が楽しかったのは花音のおかげだった。


「お互いってことだね」


 花音は笑いながらそう言うと、言葉を続ける。


「でもね、私は颯太くんがいなかったら、今でもずっと過去を引きずってたと思う」


「それって……」


「中学時代のこと。あとは、お父さんとのことも今とはまた違ったと思うんだ」


 最初の花音は今とは違った。

 笑顔の中にもどこか影があった。

 しかし、徐々に本当の笑顔を見せてくれるようになり、今の花音となっている。


 俺がいなくても変わっていたかもしれない……という気持ちもなくはないが、確かに俺が関わったからこそ変われたこともあるのだろう。


 それでも……、


「花音が悩んだから、変われたんだと思う」


 俺はあくまでも補助をしたに過ぎない。

 むしろおせっかいだったこともあった。

 花音が自分自身で乗り越えたなのだ。


「そう……かな?」


「俺はそう思っている」


「……そっか」


 花音は嬉しそうに頬を緩めていた。

 人に助けられたのではなく、花音は自分自身が乗り越えたのだと実感しているようだった。


「でもね、他にも感謝していることはあるんだよ」


「他……?」


「うん。私って自分でめんどくさいと思ってるんだけどさ、颯太くんはそれでも一緒にいてくれた」


 俺はその言葉に反応はしない。

 ここで反応してしまえば、認めてしまったことになるのだ。


 しかし――、


「……めんどいやつだって思ったでしょ?」


「そ、そんなことないぞ?」


「だって黙ったじゃん」


 ――沈黙は肯定なのだ。


「そこツッコまなくても……」


「だってー……」


 否定をしてほしかったのだろう。

 なんとなく気持ちがわからなくもないが、この時俺は嘘がつけなかった。


 ……だから、本当のことを言う。


「めんどくさいところも可愛いと思うよ」


 照れくさくなり、そっぽを向きながらそう言った。

 様子を確認するために花音の方をチラッと見ると、満足そうに頬が緩んでいた。


「ま、まあそれならいいや。……それで話を戻すけどさ、颯太くんは一緒にいてくれて、私を受け入れてくれた。だから、私は私でよかったんだなって思ったんだ」


 花音が花音でいること……それは素でいることを指しているのだろう。


「俺は花音のことが好きだ」


 つい、口から言葉が零れていた。


「素直になれない時もあって、でも素直になると甘えてきて……天邪鬼で寂しがり屋な花音が好きだ。花音は自分のことを性格が悪いって言うけど、本当は性格も良くて……それでもちょっとだけ悪い部分もある花音のことが好きだ。……花音の全部が好きだ」


 周りから見れば、甘くて照れ臭く……むずがゆくもなるセリフだ。

 しかし俺はこの時ばかりは平然としていられた。


 どうしても、花音に伝えたいことだったから。


 花音は呆気に取られている。

 やがて言葉をゆっくりと飲み込むと、二度、三度と頷く。


「……ありがとう。私も、颯太くんのことが好きだよ」


 そう言葉を交わし合うと、俺たちは小指が触れる。

 どちらから求めたということもない。ただ、自然と手が触れ合い、指と指を絡め合う。

 そして、同じ方向へ歩みを止めずにいた。




 どうも感傷に浸ってしまい、お互いに口数は少なかった。

 いつもと変わらないはずなのに、高校生活がこれで終わるということに寂しさを感じるのは仕方ないだろう。


 そして、こうしている間に、いつの間にか花音の家の前まで来ていた。


「……これで、バイバイかな?」


「まあ、もう着いたしな」


 送り届けたとなれば、あとは俺は帰るだけだ。

 ……しかし、お互いに考えていることは同じなのだろう。

 俺は帰路に着かなければ、花音は家に入る様子はなかった。


「……ねえ、送ってもらったお礼もしたいし、お茶でも飲んでいかない?」


「……そうだな、せっかくだしお茶だけでもいただいていこうかな」


 いつもの口実だ。

 普通に誘えばいいものを、花音は回りくどく言ってくる。

 そして俺はそんな花音の気持ちを汲み取っているのだ。


 これが恒例となっていて、気が付けば暗黙の了解にもなっていた。

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