第173話 本宮花音は決めかねる
「みんな、準備はいい?」
若葉がそう言うと、俺たちは静かに息を飲んだ。
四人とも携帯を片手に身構えている。
俺たちは無事二次試験を終え、合格発表の日を迎えた。
俺と花音、虎徹と若葉はそれぞれ別の大学ではあるが、同じ日の発表だ。
俺たち四人は虎徹の家に集まり、結果を確認するために緊張を走らせていた。
若葉は深く息を吸って……吐く。
吸って、吸って、吸って、吐く。
いつも明るく緊張知らのようにも思える若葉も、この状況では緊張しているようだ。
しかし、いつものような明るい声を俺たち三人に向けた。
「いくよー? ……せーのっ!」
その声で、俺たちは一斉にサイトの更新ボタンをタップした。
「……っし!」
「お、おぉ……」
「……やった」
「やったー!」
全員が喜びの表情をしている。
つまり、全員が大学に合格をしたということだった。
「よかったー! これで全員安心だね」
「……だな」
虎徹と若葉は二人で喜んでいる。
花音に関しては発表がまだの国公立大学である名護大学の発表も残っているが、一段落は着いたと言ってもいいだろう。
「とりあえず、学校に行って先生に報告しないとな」
「そうだねー! 今から行こっか?」
「ま、そのために集まったからな」
受験の結果の報告をしに、俺たちは学校に向かう。
このことを考えて、俺たちはあらかじめ制服で集まっていたのだ。
「……花音、どうかした?」
「えっと……、何のこと?」
「合格したのに、難しい顔をしていたからな」
合格の報告だけ学校にしに行った後、虎徹と若葉とは分かれていた。
花音を送るために二人で歩いているのだが、俺はその時に花音に問いかけていた。
喜んでもいい本命の合格なのに、花音は喜びながらもやや考え込んでいた様子だった。
「はぁ……、颯太くんにはお見通しだね」
「彼氏だからな」
「そういう問題かなぁ……」
花音は苦笑いしながらも、考え込んだ様子は少しだけ明るくなる。
そして微笑むような小さな笑いの後、やはり悩みはあるようでため息をついていた。
「……ねえ、お茶でも飲んでいかない?」
「……そうだな」
俺は花音の提案に頷いた。
花音の家に入ると、ひとまずお茶を飲んで一服する。
俺も相当緊張をしていたようで、ほんのりと香る紅茶の匂いを嗅ぎながら一口含むと、強張った体が脱力するのを感じた。
「……それで、何があったんだ?」
一息ついてから、俺は話を切り出した。
難しそうな表情の花音は、「先に相談していなくてごめんなさい」と前置きをすると、言葉を続けた。
「私、颯太くんと同じ経営学部にも願書出したんだ」
その言葉に俺は驚きつつ、少しだけ嬉しかった。
それでいて、花音が言うように先に相談されなかったことに悲しさもある。
「色々聞きたいけど……、なんで受験しようと思ったんだ?」
「颯太くんと一緒にいたいから」
俺の疑問はたった一言だけで納得してしまいそうになるほど、花音の答えはハッキリとしていた。
「色々考えててさ、同じ大学なら一緒に入れる時間は多いけど、理系だとやっぱり忙しいって聞くからさ。……その人によりけりだとは思うけど」
確かに理系は忙しいと聞く。
花音の言うように人それぞれだとは思うが、忙しい場合が多いのが現実だ。
ただ……、
「だからって、急に全く違う方向に向かうけど、それはいいのか? 教師になりたいって言ってなかった?」
「そもそも理系にしたのって、理系科目の教員免許を取りたかったからだけど、元々はお父さんを納得させるために一番興味があることを選んだだけだから、今になってみると無理して取る必要があるのかわからないんだ。もちろん興味はあるけど、今の私にとっては颯太くんとの時間が大切なの」
そう言ってくれのは素直に嬉しい。
俺のことを大切に想ってくれていることを実感できるから。
しかし、素直に頷けない気持ちもあった。
「俺に合わせなくても、俺は花音と一緒にいるつもりだよ。大学の講義だって、学部が違っても同じのを受ければいいことだし、花音が忙しくても俺ができる限り時間は合わせようと思ってる」
お互いにお互いの時間は大切だ。ただ、花音が俺に時間を使ってくれるのなら、俺も花音に時間を使いたい。
同じくらいの気持ちを返せるのかはわからなければ、俺の気持ちと同等の気持ちを返してほしいわけでもない。
俺はこれからも一緒にいることを考えると、お互いに一歩ずつは歩み寄って合わせるべきだと考えていた。
……少なくとも、俺はそうしたかった。
俺の言葉に花音は嬉しそうに「……ありがと」とつぶやく。
「でも、もう一つ理由はあるんだ」
「理由?」
「うん。颯太くんってさ、経営学部に進学するのは今のバイト先……中町食堂のためって言ってたじゃん?」
「そうだな」
いずれは中町食堂を継ぎたい。店長の考えや俺の今後の行動次第ではあるが、少なくとも今の俺は追う考えていた。
それは花音にも話してあった。
「それで、颯太くんが継ぐなら私も力になりたい。……一緒に働きたい。そう思ったんだ」
これからのことはわからない。
まだ学生で、一緒にいる保証はない。
ただ、告白する時に、これからもずっと一緒にいることを……結婚するということを誓った。
その考えは今でも変わっていないため、『これからのことはわからない』という理由で花音の考えに口をはさむのは、花音に対して失礼すぎる。
そのすべてを考えてみると、花音の考えは納得のいく理由だった。
「……こんなこと言ってるけど、悩んでるところもあるんだよ。経営は安定してても急にダメになる時だってあるから、私が安定した仕事で支えるものも一つの手だと思っている。それに無理して取る理由はないって言ったけど、教員も全く興味がないわけじゃないって思ってるんだ。どっちにすればいいのかわからなくて、言っていいのかわからなかったから颯太くんには相談できなかった」
花音自身、様々な迷いがあった。
言ってしまえば花音自身の人生だ。いくら恋人とはいえ、進学の選択権は俺にはない。
巻き込まないためにも、花音は黙っていたのかもしれない。
……それなら、俺に出来ることは花音の考えを整理することや、少しでも話を聞くことだけだった。
「経営学部なら俺と一緒にいれるし、でも選択肢は狭くなる。理工学部なら時間は減って忙しくなるけど、選択肢は増えるよね」
「……そうだね」
「俺は花音じゃないから、決めることはできない。でも相談に乗ることはできる」
「……うん」
「俺は花音が決めた選択なら応援したいし、俺も花音のために出来る限りのことをするよ。……だから、花音が選んだ道なら、俺はそれでいいと思う」
今まで俺は花音に救われてきた。
勉強だって好きじゃなくて、全然できなかった。
俺は花音がいてくれたから勉強を頑張れて、希望の進路に受かることができたのだ。
「そもそも、受からないとだけどな」
「まあ、それはそうだよね」
城明大学の理工学部か経営学部かと悩んでいるが、実際には名護大学の教育学部も受験している。
名護大学は結果待ちで、城明大学の経営学部は受験を控えている状態だ。
名護大学は受験したはいいものの、進学する意思はないらしい。悩むにしても、経営学部に受けるかどうかが問題ではあるのだ。
「でもね、それならそれで悩んじゃうこともあるの」
「何?」
「どこに行くかわからないってことは、入学金が無駄になるかもしれないってこと。颯太くんと一緒の大学に行きたいから名護大には行くつもりはないけど、お父さんが念のために入学金は払っておくって言うんだ」
入学金は行くかどうかは別として、期限までに支払わなければ辞退したとみなされる。
要は入学の権利を確保するための予約のようなもので、名護大学に入学金を払えば、城明大学に決めたとしても入学金は返ってこない。
それに、入学金の支払期限少なくとも経営学部の発表の次の週にはなるため、花音の考えもまとまっていない可能性もある。
そう言っているうちに四月が近づいてくるが、幸成さんは最悪直前にでも選べるようにと思っているのかもしれない。
花音の話を聞いて、俺は一つのことに気が付いた。
「……そういうことだったんだ」
「……何のこと?」
「ちょっとね。少し前に幸成さんから連絡が来て」
「お父さんから?」
「うん、花音のことを心配しててさ、お金のことは気にするなって言ってくれってさ。花音は気にするだろうし、幸成さん自身が言っても遠慮しそうだからって」
幸成さんは自分と花音との微妙な距離がわかっていて、むしろ花音と近いのは俺だと言っている。
だからなのか、『花音が悩んでいる。相談されたなら聞いてやってくれ』と頼まれていた。
それだけ俺のことを信頼してくれているのだろう。
それに、『私よりも、青木君に対しての方が花音は素直だからな』とも言っていた。
「ああ、あと『本来なら滑り止めで何校かの入学金を払うことは覚悟しているんだ。同じ城明なら入学金はスライドできるから二校分の入学金で済む』ってことらしい」
「お父さん……」
別学部でも同じ学校であれば、どちらの学部に進学するにしても入学金は一校分だけだ。それに加えて名護大学の一校が増えるだけだった。
「多分俺に言ってきたのは、俺たちの問題でもあるって思ってるからじゃないかなって考えてる」
「どういうこと?」
「幸成さんから『二人で悩め』って言われたんだ。花音の進路だけど、俺の今後も関わってくるからってことかなって。……わからないけど」
これからも一緒にいるのなら、俺の今後にも少なからず関わってくる。
幸成さんはそんなことも考えていて、花音に……俺たちに余裕を持たせるために言ってくれたのだろう。
最終的には花音が決めることだと思っている。
どのような判断をするのかは花音次第だ。
「……ありがとね」
話をしたことで、花音の表情は少しばかり晴れやかになっているような気がした。
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