第166話 城ヶ崎美咲は教えたい

「疲れたぁ……」


「若葉さん。泣き言言ってないで手を動かす」


「はぁい……」


 若葉が美咲先輩にみっちりとしごかれている。

 そんな様子を横目に愉快そうにしていると、今度は俺の方に標的が変わった。


「颯太くん? ずいぶん余裕だね。……笑ってるってことはもう終わったのかな?」


「もうすぐですっ!」


「……まだまだ残ってるじゃない。それでも余裕そうなら、追加でもしようかな」


「ご勘弁を!」


 俺は悲痛の叫びを上げる。

 花音と虎徹はそんな俺たちに見向きもせず、机に向かってペンを動かしていた。




 年末前の今日、俺たち四人は俺の家に集まり、美咲先輩に勉強を教えてもらっていた。


 冬休みの間、美咲先輩は実家に帰省している。ご飯でも食べに行きたいところだったが、受験直前に余裕もなければ、花音と付き合っている手前二人きりでは行きづらい。

 それを汲み取ってくれた美咲先輩は、「せっかくだから」と四人に勉強を教えるという提案をしてくれた。

 他の三人に話すと、みんなノリノリで美咲先輩に来てもらうことになったのだが……、


 俺は去年の地獄を忘れていた。


「美咲先輩、そろそろ休憩にでも……」


「まだ再開してから十分も経ってないけど?」


「うぐっ!」


 強い語尾がまるで『やる気あるの?』と主張しているようだった。

 俺は「すいません……」と言うだけで、すぐに勉強に戻った。


 そんな時だった。


「ただいまー」


「双葉参上です!」


 凪沙が双葉を連れて帰ってきた。


「さきさき先輩ー! 久しぶりー!」


「久しぶりって双葉……、一昨日あったばかりでしょ?」


「あれ、そうだっけ?」


「あほがここまで進行しているとは、もう末期ね」


「ひっどい! さきさき先輩の鬼畜!」


 二人はそんなやり取りし、凪沙はそんな二人を横目に早々と部屋に戻っていった。

 普段は愛想のいい凪沙も、めんどくさいと思ったときには冷たい目をする。今の二人……と言うよりも双葉を見る目はそんな目をしていた。


「それより、ここに来たってことは勉強するつもりで来たんでしょ?」


「まあ、それはそうだけど……」


「それなら早く準備する」


「でもー、全国終わってから練習きつくて、くたくたで……」


 女子バスケ部は全国大会でベスト4と好成績を残した。

 あと一歩で全国優勝も見えていたからこそ、部員の士気は上がっており、『来年こそは』と気合が入っているらしいことは凪沙から聞いていた。


 ただ一つ、突っ込みたいところがある。

 そんな気持ちを美咲先輩が代弁する。


「どんな練習かは知らないけど、双葉ってそんな弱音を吐く子だった?」


「えっと……」


「双葉、練習きついんだね。元生徒会長として女子バスケ部の顧問に進言しておくよ」


「き、きつくない! 大丈夫だから!」


「そう? それなら勉強しなさい」


「はぁい……」


 言いくるめられた双葉はカバンから勉強道具を取り出すと、ペンを動かし始める。


 こんな二人のやり取りを目の当たりにして、俺はやはり違和感があった。

 そして、その違和感を口にしたのは若葉だ。


「美咲先輩と双葉ちゃんって、そんなに仲良かったっけ?」


 俺も以前の文化祭で会った時に気になっていたことだった。

 そして違和感の原因はもう一つある。


「……それに、双葉ちゃんのタメ口ってなんか新鮮」


 双葉がタメ口を使うのは、俺の知る限り唯一凪沙だけだった。

 年下だからと言う理由で、俺たちは双葉の一つ年上だからこそ敬語を聞く機会が多かったのだ。

 しかし、美咲先輩は俺たちよりもさらに年上のはずだ。


 そして、美咲先輩が呼び捨てで名前を呼ぶのは、妹である夏海ちゃんを除けば双葉だけなのだ。


「ああ、双葉とは個人的に仲良くなってね」


「そうなんですよ! あ、さきさき先輩。もっと仲を深めるためにさきさきって呼ぼっか?」


「それは別にいいけど……、勉強は?」


「私が話題になってる話してたら、集中できるわけないじゃん!」


 言いたいことはわからなくもない。

 だからなのか、美咲先輩は呆れ気味でため息を吐いていた。


「別に大した話はないけどね。……ただ、お互いにずいぶん前から颯太くんのことが好きで、お互いにそのことを知っていただけだよ」


「……え?」


 空気が凍った音がした。

 そんな気がしただけだが、少なくとも若葉は驚いている。


 俺はこの中の誰にも、美咲先輩に告白されたことを話していなかったからだ。


「ちょっと待って。待ってください。美咲先輩って颯太のことが好きなんですか?」


「……もしかして知らなかった?」


「知らないですよ! ……えっ? 虎徹とかのんちゃんは知ってたの?」


「私は知らなかったよ」


「俺は知らなかったけど、薄々そんな気はしてた」


「え、えー……」


 虎徹は勘がいいため、気付いていてもおかしくないとは思っていたが案の定だった。

 ただ、こんな形で花音に知られてしまったことに俺は動揺してしまっている。


 しかし、花音は驚きはしているものの、怒っているということはない。


「てっきり告白したことは颯太くんの方から知られていると思ったんだけどね。……それなら今付き合っている本宮さんには悪いことを言っちゃったかな?」


「いえ……。告白って、いつ頃の話ですか?」


「卒業式のことだから、もう一年近くも前かな」


「ああ……、それなら大丈夫です」


 花音はそう言って、安心したように息を吐いている。


「私と付き合ってからならちょっと嫌ですけど、かなり前のことなので今更って感じですし、逆に掘り返すのもどうかと思いますから」


「ずいぶんと心が広いね」


「そうですか?」


 何とも言えないが、怒る人は怒るだろう。

 俺が三人に言わなかったのは、勝手に人の好意を言いふらすことをしたくなかったからだ。しかし、花音には伝えても良かったのかもしれないとも考えていた。

 ただ、花音の言うように今更掘り返すつもりがなく、それ故に話すことはしなかった。


「……おにいってそんなにモテてたんだ」


「凪沙っ!?」


「いや、着替えて戻ってきたらすごい話になってて、邪魔しちゃ悪いと思って部屋の外で聞いちゃってた」


 凪沙は苦笑いをしながらキッチンに向かう。

 そして自分と双葉の分の飲み物を用意すると、ソファに腰掛けた。


「続きをどうぞ」


 先ほどまでの状況と今の状況ではかなり意味合いが異なってくる。

 友達同士で恋バナをして恥ずかしい思いをするだけならまだしも、家族である妹に自分の恋愛事情を聴かれることは恥ずかしいのだ。


 優雅に飲み物を飲む凪沙を前にして、俺は押し黙っていた。


 しかし、全員がそういうわけにはいかない。


「じゃあ、話を戻すけど……、颯太くんはこの場の三人に好かれてるってことだね」


「ちょっ、花音!?」


「どうしたの?」


「凪沙いるんだけど! なんでそのまま続けるんだ!?」


「別にいいじゃん。颯太くんが恥ずかしいだけだから」


 花音はそう言って、双葉や美咲先輩と話し始める。

 勉強の話はどこにいったのやら、三人は話に夢中になっている。


 ……花音は怒っていなかった。しかし、ちょっとだけ拗ねているのだ。

 だから俺が恥ずかしがっていても、構うことなく仕返しをしてきていた。


「うわぁ……、カオス」


 虎徹はそんなことを言うと、話には興味がないようで勉強に意識を戻した。


 恥ずかしさに悶えている俺。

 俺の話をする花音、双葉、美咲先輩。

 そんな三人の話を聞いている凪沙。

 美咲先輩が俺のことを好きということを知り、驚きながら狼狽えている若葉。

 素知らぬ顔で勉強を続ける虎徹。


 確かにこの状況はカオスだった。

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