第129話 青木颯太は進みたい
「いらっしゃいませー」
「おう、颯太くん。今日もお疲れ様」
「ありがとうございます」
今日は土曜日で休日だ。俺はバイトに励んでいた。
たまに仕事帰りに寄ってくれている常連のおっちゃんは、休日にも関わらず飲みに来たらしい。
おっちゃんを席に案内して注文を取ると、厨房に戻る。
「いつもので」
厨房を担当している店長の旦那さんに伝えると、寡黙な旦那さんは静かに頷いた。
「颯太、ビールだけ持っていったら休憩入ってー。今空いてるし、早いうちにお願い」
「了解です」
店長の香苗さんはそう言って休憩室の方に入っていった。
ビールをおっちゃんに持っていくと、俺も休憩室に入る。
香苗さんはまかないを食べながらのんびりとしていた。
「お疲れー」
「お疲れ様です」
俺も夜ご飯としてまかないを頼んであるが、休憩自体が急だったこともあって先ほど頼んだばかりだ。簡単なものを頼んだため、もうしばらくしたらできるだろう。
まかないを待つ間、俺は暇なため何をしようか考えていると香苗さんが声をかけてきた。
「颯太、勉強の方の調子はどうなの?」
「まあまあですね」
受験もあるためシフトに入る頻度は減っている。
それに加えて、あまり勉強ができないことを知っているため、心配してくれているのだろう。
「息抜きは大切だからなー。たまには遊べよー?」
「……それは友達にも言われました。メリハリはつけるように気をつけてます」
「そうかそうかー」
俺が苦笑いしていると、香苗さんは愉快そうに笑っている。
「まあ、どうするんだろって思ってたからなー。勉強するようになってご両親も安心してるだろ?」
「そうですね」
心配はされているだろうが、以前に比べると安心はしていると思っている。
勉強をしていなかった時は割と諦め気味なところはあったが、進学の意思があることを伝えて勉強をしていると、親からの見る目が変わった実感はあった。
ただ、結局のところ俺自身悩む部分はある。
それでも家族だからこそ、気恥ずかしいのだ。
俺はちょうどいいと考えて、思い切って香苗さんに尋ねた。
「香苗さんは、進路とかどうやって決めましたか?」
「私かー。私は学力に合う大学で興味がある分野にしたかな?」
どうも香苗さんもこれと決めて選んだわけでもないらしい。
今まで話を聞いた人の中で花音が唯一、就職先を考えた上で決めている。後藤や香苗さんも、元々就職を考えていたわけではないようだ。
「あ、でも今の仕事には活きてるかなー?」
「そうなんですか?」
「うん。経済学部だったからね。実際に店を経営する上では少し違うけど、ちょっとは活きてるとは思うよ」
「なるほど。……あれ? じゃあこの店継いだのって、希望通りの進路じゃなかったってことですか?」
「んー……、そもそも特に希望とかなかったけどね」
香苗さんは思い出すように頭を悩ませながら話をする。
「私が元々この店の常連だった話ってしたっけ?」
「いえ、聞いたことないですね」
「そうだったかぁ……。大学生の頃によくここにご飯を食べに来てたんだよね。それで……まあ、旦那との馴れ初めの話になるけど、私がこの店に通っているうちに付き合うようになって、この店で働くことを意識した感じ」
「なるほど」
香苗さんの実家はこのあたりだったということは聞いたことがあった。
うちの母親と香苗さんは友達で、母は数駅離れたところが実家……つまり俺の祖父母の家だ。
さらに数駅離れた高校に二人は通っており、そこで仲良くなったと聞いたことがある。
「両親公認の付き合いで私もバイトとして働き始めたんだよ。さっきも言ったけど、たまたま経済学部だったから経営のこととか少し話したりしてて、卒業してからは本格的に店を継ぐ方向になったんだよねー」
「他の仕事に就きたかったとか思ったりしますか?」
「うーん……、それもさっき言ったけどやりたい仕事があったわけじゃないからね。働き始めてからは全くなかったわけじゃないけど、後悔はしてないかな? 他の仕事のことを考えるのは、旦那と喧嘩したときくらいだし」
笑いながら香苗さんはそう言った。
流れもあった進路でも後悔していないならそれは良いことなのだろう。
「話が読めてきた。颯太は就職とか考えて進路に悩んでる感じか」
「そうですね。……今はやりたいこともないので、適当に決めて後悔したくなくて」
「考え方によるけど、後悔なんてしてなんぼだよ。取り返しのつく後悔なら私はしていいと思うんだよね」
「取り返しがつく……ですか?」
「そうそう。進路とかなら就職してからでも遅くないからさ。知り合いの旦那だったかな、その人の結婚前の話だけど一回仕事辞めて消防士になったって人もいたし。もちろん全部やり直せるわけじゃないけど、可能性はあるんだよ」
場合によるにしても、就職してからでも可能性はある。
それはわかっているが、やはり一度仕事を始めてから新しい挑戦というのは難しい部分もあるのだ。
結局俺は頭を悩ませたままだった。
「んー……、そもそも高校生の時点で決めてる人って少なくない?」
「それはそうですけど……」
「芸能人とかになりたい人は小さい頃から決めてるにしても、大体の人なんて大学に行って視野を広げてから考えてるじゃんか?」
視野を広げる。
……確かにそれは香苗さんの言う通りだ。
俺は視野が狭いと言うか、社会の仕組みはよくわかっていない。
俺が知っている仕事なんてほんの一握りで知らないことの方が圧倒的に多い。
「別視点で考えるなら、就職のために大学を選ぶんじゃなくて、視野を広げるために大学に通えば? 仮に今から就職ってなっても決まらないでしょ? それができるようなところを探すって言うか、ある意味では猶予期間だねー」
ただ大卒の資格のために大学に行くことには悩みがあった。
目標がないのなら、就職をすればいいのではないかと。
しかし、社会のことをもっと知るために大学に行くのはありなのかもしれない。
「てかまあ、これから先のことは私も悩んでるんだよ。先代から私たちに引き継ぐのはそんな感じだったけど、次の代はなぁ……。うちには子供いないわけだし」
「そう、ですね……」
重い話になり、俺は言葉を濁す。
子供がいないのはできないからと聞いていたため、どんな顔をすればいいのかわからないのだ。
しかし話を振ったのは香苗さん。軽い調子で笑っている。
「私も四十代中盤だし、今さらだよ。……それとも颯太が継ぐか?」
「えっ!?」
「冗談だよ、冗談。まだ先だけど、信頼できる従業員に任せるか店を畳むかって旦那とは話してるよ」
大人は大人で悩むこともあるのだろう。
香苗さんは笑っているが、簡単に決めたということでもない。今後の話をしている時の目は真剣そのものだった。
ちょうど話の区切りがつくと、旦那さんがノックして休憩室に入ってくる。できたまかないを持ってきてくれたのだ。
「よし、私はそろそろ戻るとするよ。颯太はもうちょい時間あるし、ゆっくり休みなー」
「……はい」
香苗さんは店の方に戻っていく。
俺は一口、二口と、この店の料理を噛み締めていた。
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