第106話 春風双葉は見てほしい!

「おにいー。アイス食べるー? ……って勉強してないじゃん!」


 午前中だけ部活で練習だった凪沙。

 凪沙は帰宅すると、問答無用で俺の部屋に入ってくる。


 そしてベッドで横になってマンガを読んでいる俺を見るなり、冷たい視線を投げかけてくる。


「い、いや、さっきまでしてたよ」


「えー……、それってしてない人の言い訳じゃん」


「本当にしてたんだって!」


 否定すれば否定するほど怪しくはなるが、本当についさっきまで勉強をしていたのだ。


 今日は朝起きてから勉強をし、少し早めに昼食を摂った後も勉強をしていた。

 一時間に一回くらいと、こまめに十分じゅっぷん程度の休憩は取っているが、ご飯を食べる時以外はそれ以上の時間、机から離れていなかった。


 しかし、いつまでも集中力というものは続かない。

 午前中から根を詰めていて、集中が切れ始めていると感じていた。

 そのため、凪沙が帰ってくるほんの五分ほど前に、休憩を始めたばかりだったのだ。


 ただ、真実を知らない凪沙は、疑うような視線をぶつけてくる。


「ふーん……、まあ、おにいが受験に失敗しても私は構わないけど」


「おい、去年は俺も応援してたのに酷くないか?」


「だって、二浪したら一緒に通えるじゃん?」


 ――ツンデレなのか?


 兄妹仲は良いため、少し楽しそうと思ってしまった。

 小学生の時はまだしも、中学の時は一年しか同じ学校に通えておらず、高校でも一年しか被らない。


 しかしそれは避けたいところだ。

 親に迷惑をかけることにもなってしまう。

 目標があったり上を目指して浪人するならいいかもしれないが、現状はとりあえず大学と考えている状態のため、そんな曖昧な状態で浪人するのは気が引ける。


「流石に勘弁。……ちょっと早いけど、勉強戻るかぁ」


「あれ、アイスは?」


「食べたくなったら取りに行くよ」


 俺はそう言って机に戻ろうとする。


 しかし、そう簡単にはいかなかった。


「先輩、勉強に戻っちゃうんですかー?」


「……なんでいる?」


「凪沙ちゃんと遊びにきました! ついでに先輩とも遊んであげようかなって」


 凪沙の後ろから双葉がひょっこりと顔をのぞかせる。


「遊ばなくていい。俺は勉強に戻るからな」


「えー、冷たいですよー。最近全然構ってくれな……先輩に構ってあげれてないので、構ってあげようとしたのにー」


「今構ってくれないって言っただろ?」


「言ってないですよ? 間違えたので言い直しましたから」


 ある意味清々しいくらいだ。


 しかし、勉強は午前中で結構進めることができた。

 この夏休みは想像以上に順調に進められている。

 まだやりたいところではあるが、切羽詰まっているわけでもない。


「おにいー、遊ばない?」


「……はあ、遊ぶか」


 俺は少し悩んだものの、重い腰を上げる。


 この二人の遊びが俺にとっては遊びではないということに、この時は気が付かなかった。

 油断をしていたのだ。




「ほらほら、おにい。もうおしまい?」


「もうおしまいだ……」


 真夏の炎天下の中、俺はボールを追いかけている。

 しかし力尽きたため、そのまま地面にへたり込んだ。


「体力ないですねー」


「二人とも体力ありすぎなだけだろ……」


「普通の女子高生だよ? おにいがないだけだよ」


「帰宅部なめんな……」


 クーラーの効いた部屋で涼んでいた俺は、この暑さに耐えられるはずもない。

 顔から汗が噴き出している。


 ただ、暑いのは双葉も凪沙も同じだ。

 多少息を荒げながらも平気そうな顔をしているが、顔から汗が滝のように流れている。

 水溜まりでもできるのではないかと思うほどに、その汗は地面に滴り落ちていた。

 やはり普段から動いているだけあって体力自体はあるのだが、暑さには敵わないようだ。


 普通なら痛みそうな髪もいつもは整えられており、艶があって綺麗だ。

 そんな髪から汗が滴り落ちるほど濡れている。

 普段はあまり見ない光景だ。


 凪沙はともかく、そんな双葉の様子に、俺は少しばかりドキッとしてしまう。


「何見てるんですか?」


「な、何も」


 俺は動揺してしまったが、双葉は気付いていない様子だ。

 首を傾げている双葉は、例えるなら小動物のようだった。


「ってか、さっきまで部活してたんだろ? よく元気あるな」


「いやいや、ちゃんとご飯食べましたから」


「お、おう? 関係あるのか?」


「ご飯食べたら体力ってある程度回復するじゃないですか?」


 俺にはわからない感覚だった。凪沙も双葉の言葉を聞いて頷いている。


 どうやら二人は、俺の知らないうちに、違う世界に住むようになったらしい。


「じゃあ先輩。休憩してていいので、最近覚えた新しい技見てくれませんか?」


「まあ、それくらいなら」


 見るくらいならできる。

 ただ、中学でバスケを辞めた俺の技術は中学生レベル……どころか練習をしていないため当時よりも衰えているだろう。


 そう思いながらも、双葉はドリブルを始めたため、俺は集中して見る。

 最初はゆっくりとドリブルをしていたが、一気に加速してそのままシュートの体勢に入った。


「……どうです?」


「えっと、いつもやってなかった?」


「違いますよー! 左右に振ってるんです」


 相手役がいないといまいちわからない程度のものだ。

 それほどまでにわからないくらいの小さなフェイントだったため、フェイントをかけたことにすら気付かない。


「それ、引っかかるやついるの?」


「たまーに引っかかるんですけど、なかなかうまくいかないんですよね……」


「その相手って、上手い人だったりする?」


「んー……、全員は覚えてないですけど、上手い人も引っかかってましたね」


「微妙な動き過ぎて、上手い人ほど引っかかるって感じじゃないか?」


 ちょっとした動き……例えば視線でフェイントをかけるなら、ある程度精通している人でなければ気付けない。

 例えば素人なら、そんな細かな動きが理解できないのだ。


「相手によって変えるしかないな。それが上級者にしか使わないか。大げさにやった方がわかりやすいし」


「なるほどです」


 双葉は納得したようで、何度か似たような動きを試している。

 大きくやった場合と小さくやった場合。

 結局はどちらにしても、上手くいくかは状況次第だ。


「じゃあ次なんですけど、凪沙ちゃんと1on1するのでアドバイスください!」


「はいはい」


 そう言って二人は一対一で勝負を始めた。


 俺の知識でしか話せないが、体格に恵まれなかった俺は知識を豊富に詰め込んでいたため、全国区の双葉たちにも多少のアドバイスをすることはできた。

 ……それを勉強に活かせというツッコミはなしだ。


 ただ、見ているだけでは俺もむずがゆくなってきたため、体力が回復した頃を見計らって、俺も二人に混ざる。


 この日は疲れて勉強が進まなかったが、前日までに予定以上に進められていたため問題ないだろう。

 そして、たまにはこうやって体を動かすのも、やはり良い気分転換になる。


 一日の運動とはいえ多少なりとも体力が付いたのか、翌日以降の勉強ははかどった俺だった。

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