第76話 本宮花音は譲れない
「転校なんて……。何で……?」
今までそんな素振りはなかった。
そうでなくとも、こんな中途半端な時期にということが納得いかない。
しかし、納得できなくても、事実は事実なのだ。
「まだ確定じゃないんだけど、お父さんが転勤になるかもしれないからって。……海外に」
「……だから『離れていく』っていうこと、か」
進路によって県外に行くということでも会いにくくなる。
隣の県とかであればまだ気軽には会えるが、少し離れるだけでもやはり時間も距離もお金も限られてくるのだ。
他県でもそう感じるのであれば、他国になればもっと会えなくなってしまう。
しかも、親と一緒に行くとなれば、丸一年日本に帰ってこないことだってあるのだから。
「そうだよ。……進級した日にさ、一応お父さんには連絡したんだよね。『三年生になりました』って」
それすらも自分から報告するものなのかという疑問も抱く。
親なら把握しておくべきなのだろうと、子供の俺は思ってしまう。
そして何より、そんな報告をするほど、花音たちの家庭は冷めきっているのだと痛感した。
連絡を取っているだけマシなのかもしれないが、そう思えてしまうほど、俺にとっては異常な関係だった。
「それでね、返ってきたのはさ……、『転勤になるから、荷物まとめとけ』って言葉だけ」
その言葉だけ。つまり『おめでとう』の一言すらなかったのだろう。
「後で詳しくメールが送られてきたんだ。時期は夏休みくらいでまだ先だけど、時間があるようで時間がなくて」
夏休みとなれば、だいたい三カ月くらいだ。三年生に慣れてきたと思った頃に、その時期がやってくる。
それだけ短いのだ。
「気持ちを整理する時間が欲しかった。これ以上一緒にいて、離れるのがツラくなるのが嫌だった。今のうちにみんながいない時間に慣れたかった。でも、どうしようもない話だから、みんなに言いたくはなかった。……それもこれも私の自分勝手な気持ちでさ、みんなを振り回しちゃったんだよね」
花音の言うことを整理すると、『離れるのがツラいけど離れないといけないから、転校するまでの時間で気持ちの整理をしながら離れた状態に慣れたかった』ということだ。そしてそれを言わなかったのは『花音のわがまま』だった。
花音が今までどう思っていたのかなんて、俺にわかるはずもなかった。
そして俺はまだ子供で、これがどうにかできる問題なのかということもわからない。
しかし、花音の話を聞いて……今日だけではなく今までの話を思い返して、まだ諦めるのは早いということを感じていた。
「……まず聞きたいんだけど、その転校って確定してるわけじゃないんだよね?」
「うん……、まだだけど」
「じゃあ、家とかも退去するのが決まってるわけじゃないんだ? 手続きとかの話ね」
「う、うん。わからないけど、確定してないからまだだと思う」
若干の不安要素はあるが、流石に次の家を決める前に退去を決めることはないだろう。
それは子供の俺でもわかる話だ。
父親の転勤が決まっていた場合、とりあえず話を通してある可能性はあってもおかしくない。
ただ、花音
「花音のお父さんって帰ってこないって言ってたけど、別のところに住んでいるんだっけ?」
「うん。別の部屋を借りて住んでるみたい。一応たまに……って言っても一年に一回もあるかどうかだけど、顔を見に帰って来ることはあるかな。……どっちかと言えば生存確認に近いけど」
「それは……うん、なんとも言えないけど。もし花音がお父さんの転勤に着いていくといて、一緒に住むってことなのかな?」
「ううん……どうだろう。私は文句言える立場じゃないからどっちにしても受け入れるしかないけど、お父さんの方が嫌がりそう」
それはそれで寂しい話だが、もし花音が『桐ケ崎高校にいたい』と思っているのなら、好都合でもあった。
「それなら、着いていかないって選択肢はないの?」
単純明快な話だ。
今までも実質一人暮らしをしていた花音が、いくら父親の転勤とはいえ着いていく必要性はない。
一緒に住まないのなら尚更、父親が花音を連れて行く理由がないのだ。
「……でも、お父さんにお金を出してもらってるから、そんなこと言えない」
それも間違いなく事実だ。
花音の言うように、自分だけで生活はできない以上、言うことに従うしかない。
ただ、それはお互いどう考えているのか、分かった上での話。
「お父さんがどう考えてるのか、花音は知ってる? 俺はもちろんわからないけどさ、一回話してみてもいいんじゃないかな?」
あまりにも無責任。それはわかっているが、あくまでも他人である俺が言えるのはそれだけだった。
言いたいことが言えずに伝わらない。それが花音だ。まだチャンスはある。
そして子供は子供なりに、足掻くしかなかった。
「花音はどうしたい?」
俺はそう言って花音の目を真っすぐに見つめる。
真っすぐと……その胡桃色の目から、目線を逸らさなかった。
「わ、私は……」
心の中で葛藤しているような、どこかはっきりとできない花音。
言いたいことをはっきりと言えない。花音は俺たちに対してもそうだった。
どこか遠慮してしまう。それは親に対しても……いや、親だからこそ言いづらいのかもしれない。
「うん、ゆっくりでいいよ」
花音が言いたいことを言うまで、……口を開き、言葉を紡ぐのをただ待っていた。
「私、みんなと一緒にいたい。離れたくない。もっと一緒にいたいし、高校でも、卒業しても一緒にいたい!」
「じゃあ、それを伝えよう」
そうだ。子供なら子供なりに足掻くには、伝えるしかないのだ。
花音の芯は強い。
決心してすぐに行動に移した。
「今から電話かけるね」
俺たちは静かに頷いた。
ワンコール。
ツーコール。
発信音が鳴り響く。
何度か続いたその音は、もうすぐ不在着信へと切り替わる直前で止まった。
『……どうした』
僅かに漏れ出る声。
紳士的だが、しゃがれたような男性の声だ。
「お父さん、お話があります」
『なんだ』
たった一言、冷たく放つようなその声に花音は
「転勤の話ですけど、私は行きたくありません。私はこの家に……この学校に残りたいです」
簡潔に伝えたいことだけを話す。
しかし、男性の……父親の返答は冷たいものだった。
『ダメだ』
そう切り捨てられてしまえば、もうどうすることもできない。
今回の話は、『父親が花音に興味がない』とある意味最悪の考えからの話だった。
……だからこそ、行きたくないと言えば、了承してくれる可能性は高いと。
ただ、花音の父親はそれを拒否した。
俺は半ば諦めてしまっている。
しかし、花音はまだ諦めていなかった。
「何でですか? 理由を教えてください」
声は震えながらも、父親に対して反発している。
花音にとっては震えてしまうほど怖いことなのだ。
双葉と目を合わせると、俺たちは花音の震えた右手にそっと手を添える。
気のせいかもしれない。それでも花音の表情が少しばかり柔らかくなった気がした。
『理由、か。簡単な話だ。向こうなら今よりも良い環境で勉強ができる。それだけだ』
桐ヶ崎高校は良くも悪くも普通の高校だ。
勉強に特化した特進コースや、双葉のように部活に特化したスポーツコースがあるとはいえ、俺や花音は特に突出したものがない普通コースだった。
更に高等な学校はいくらでもあり、花音の父親が言い切るくらいなのだから、ある程度の目星もつけているのかもしれない。
それでも花音は引かなかった。
「大学には進学します。学力は私に見合ったところですが、一つでもランクを上げられるように努力します。お父さんが許容する範囲のレベルの大学を目指します。それに今環境が変われば、まずは生活に慣れないといけないので勉強に手が回らなくなってしまいます。だから残りたいです」
『……なるほどな。それは一理あるかもしれない』
決して話のわからない人ではない。
花音が強気で話しているのも、話を聞いてくれる要因の一つだろう。
花音の父親は金銭面というよりも、花音の将来……以前花音が言っていたように、『見栄のため』に学歴を考えているのかもしれない。
それなら環境を変えるよりも、今の環境で学力を上げた方が可能性があると花音は主張する。
花音の父親は理解を示したものの、完全に納得したわけではなかった。
『ただ、それは結果論だ。どうなるかなんてわからない。逆に聞くが、それ以外にそこまでして残る理由があるのか? 私に着いて来ない理由が』
理由はある。……あるが、それを理解してくれるのだろうか。
それも話してみなければわからない。
花音は正直に話した。
「友達と一緒にいたいです。……大切な友達と、親友と、私は一緒に桐ヶ崎高校を卒業して、これからも一緒にいたいです」
『……友達?』
「はい、友達です」
花音の言葉に、花音の父親は黙り込んだ。
怒っているのか、呆れているのか、表情の見えない電話越しではわからない。
『そうか、友達か。……しかし花音。前に色々とあったという話を私は耳にしているんだが――』
「それは心配ありません。本音も話せる、大切な友達です。……人間関係なので、一生続くかはわかりません。それでも、一生続けたい関係性だと、少なくとも今の私は思っています」
被せるように言った花音の言葉を聞き、俺の顔は熱くなる。
俺と双葉が重ねていた花音の手は離れ、今度は花音の方が包み込んでくる。
……そして、強く握りしめてくる。
花音の父親は『そうか、友達。……友達か』と何度も復唱すると、電話の向こうで一瞬だけ笑ったような声が聞こえた。
『まあいい。成績を上げて、それに見合った大学に進学するなら許可しよう』
「ありがとうございます。努力します」
許可を得ることができた。そのことに安心したのか、花音は表情を綻ばせる。
無事に問題は解決した。
しかし花音の父親は言葉を続ける。
『……花音。一つだけ聞かせてほしい』
「何でですか?」
『いつから言い返すようになったんだ?』
声色からすると、怒っている様子ではない。
どちらかと言えば、花音の父親は娘の変化に驚いている。そんな気がした。
「友達のおかげです。私を変えてくれました」
花音がそう言うと、『友達か、そうか……』と言い、『わかった。……またな』と電話が切れる。
表情も何もわからなくても、花音の父親は『父親』の声をしていた。
顔を見たこともない相手。声色だけで判断するしかない。
なんとなくだが、話で聞いていた最初の印象よりも、花音の父親は優しい人なのかもしれない。
そして電話を終えた花音は再び俺たちの手を強く握りしめる。
「二人とも、ありがとう」
泣きながら笑っている。そんな表情をしていた。
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