第75話 本宮花音は葛藤する

 俺は他人ひとに迷惑をかけるとわかっていながらも、決して無関係ではないに事情は隠したまま、一つだけお願いをした。

 そして彼女は、何も聞かずに快く引き受けてくれた。




「……どうしたの? 急に呼び出されたから驚いたよー」


 進路希望の提出をし、土日を跨いだ後の月曜日の放課後。

 校舎裏に呼び出された花音はいつものように、……自然すぎて不自然なまでの笑顔で、微笑みかけている。


「何か用事かな? ……双葉ちゃん」


「はい。用事ですねー」


 双葉はいつもと変わらない笑顔で返事をする。

 いつもと変わらないように……見える、作った笑顔で。


「まあ、用事があるのは私じゃないんですけども。用事があるのは――」


 そう言って、双葉は俺に視線を送った。

 物陰で隠れていた俺は双葉に促されるまま、花音の前に姿を現す。


 すると花音は声にならない声を上げ、一歩後ろに下がろうとする。

 しかし、それを制したのは双葉だった。


「花音先輩。私は何があったか知りません。でも逃げないでください」


 俺が双葉に頼んだのは、『花音を呼び出してほしい』と言うことだけだ。

 今の状況も、花音の本性すらも双葉には何も事情を話していない。

 しかし、空気から何かを察している様子だ。


 後ずさろうとしていた花音だったが、双葉の言葉によって踏み止まる。


「私っていつも適当な感じじゃないですかー。でも、颯太先輩のことは尊敬してて、颯太先輩が傷つくのは私にとっても不本意なんですよね。それに、颯太先輩が私に弱みを見せることなんて滅多にないんで――」


 そう言った双葉は……いつもは優しく笑みを浮かべる双葉が、花音のことを睨みつけていた。


「颯太先輩のことを傷つけるなら、例え私よりも年上の花音先輩でも許さないから」


 俺のために怒ってくれることは嬉しさを感じる。

 しかし、俺のせいで双葉が怒っていることに罪悪感を覚えた。


 二人の仲が悪くなることは望んでいない。

 そして、別に花音を責めたいわけでもないのだから。


「双葉、ありがとう。……でも、俺は大丈夫だから」


「でっ、でも!」


「そもそも俺だって何もわからないからさ。知りたいから、話がしたかっただけなんだよ」


 俺はただ、花音と話す機会が欲しかっただけなのだ。


 花音を悪者にしたいわけでも、ましてや協力してくれた双葉に花音を責め立ててほしいわけでもない。

 俺の呼び出しには応じてくれそうにない花音だから、事情を知らずに関係が確立していない双葉からの呼び出しになら応じてくれると思ったのだ。


 頼んだ……と言えば聞こえはいいが、花音と正面から話すために双葉を利用した。

 そして双葉はそれを了承してくれたのだ。


 誰もが望まない形では、双葉を巻き込みたくない。


「……わかりました」


 双葉はそう言って、一歩下がる。悔しそうに握った手を……やり場のない憤りを、双葉はそっと隠した。


「花音先輩。何も知らないのに首を突っ込んですいません。……私はこれで」


 振り返り、この場から立ち去ろうとする双葉。

 そんな双葉を花音は止めた。


「待って!」


 手を固く握りながら……、震える手を抑えながら、花音は双葉を呼び止めた。


「……ごめん、わがままだよね、私。でも、双葉ちゃんが良ければ聞いてほしい。私の本当のことと、今のことを」


 ――本当のこと。

 それは俺の知っている花音の本性についてだ。


 ――今のこと。

 それは恐らく、花音が俺たちのことを避けている理由についてだろう。


 双葉は戸惑いながら俺に視線を送ってきた。


「ええと……、ざっくりと言うと、花音の昔話とかかな?」


 ざっくりしすぎたかもしれないが、それ以上のことは花音の口から話すべきだと考えている。

 決して言ってることは間違っていない。


 少しの間、考えた双葉は「はあ……」とため息を吐いた。


「……まあ、部活も今日は休みですし、花音先輩は謎が多いので気にはなっていました。――でも」


 そう言うと、双葉は花音を指差した。


「納得できなかったら、颯太先輩のことは任せられませんから」


「わかった。正直、今回は……って言うよりも今までもだけど、自分勝手だって自覚はあるから、納得してもらえるとは思ってない。でも話させて」


 俺はいつから双葉の許可制になったのだろうか。


 そんな野暮なツッコミはせず、俺たちは話をしやすいように学校を出た。




 学校を出た俺たちは、歩いて十分程度にある、花音の家の近くの公園まで来ていた。


 そこでは近所の小学生や幼稚園児が遊んでいるが、俺たちに興味を示すはずもない。無邪気に走り回ったり砂場で遊んだりしている。


 俺たちはベンチに腰掛けると、さっそく花音は切り出した。


 まずは何もわかっていない双葉に説明するように、家庭の事情を……そして中学生の頃の友人関係の話をする。

 以前に聞いた話よりは簡潔にまとめていたが、基本的な内容は変わらない。

 ――親との関係。

 ――中学時代の元友人との関係。

 そんな話を花音はする。


 話を聞いた双葉の表情は暗い。

 親との不仲もそうだが、同級生との関係も、俺たちには縁遠い話なのだから当然だ。


「花音先輩……、すいません私……」


 双葉は言葉を詰まらせながら声を絞り出した。


「双葉ちゃんは悪くないよ。今まで言わなかったのは、あんまり言える話じゃなかったから」


 話しながら花音は「ううん、違うや」と自分で言って首を横に振る。


「話そうとは思ったけど、機会をうかがってたってところかな。双葉ちゃんは私にとって可愛い後輩だから」


 力のない笑顔で「ごめんね」と言う花音に、双葉はもう一度「すいません」と言って身体を寄せた。


 子供をあやすように、花音は双葉の頭を撫でる。

 キツく当たっていた双葉を責めることもなく、紛れもなく『本宮花音』は微笑んでいた。


 こんな優しい顔をする花音が、俺たちを避けるのにはやはり何らかの理由がある。

 俺はそう感じた。


 しばらくは話を聞いたからか、花音を責めていた罪悪感からか泣き続けた双葉は。

 そんな双葉が落ち着いて花音から離れると、俺は話を切り出した。


 ただ、本題に入るその前に、どうしても言いたいことがあった。


「かのんちゃ……、いや、花音。最初に謝りたい。冷たい態度を取ってごめん」


「ううん、最初に避けたのは私だから。それで避けてないって嘘もついた。謝るのは私だよ。……颯太くん、ごめんなさい」


 花音はやはり花音なのだ。


 自分のことを『性格が悪い』と言う花音は、心が綺麗だからこそ極度に敏感で、自分のちょっとした少しの悪い部分をそう感じてしまっているだけなのだ。


 最初の頃は確かに小悪魔的な悪さもあり、今でもそれを垣間見せることはある。

 しかしそれは年相応の姿なだけで、花音はだ。


「私のせいで振り回してごめんね。正直に言うと、多分しょうもない理由なんだよ。……でも、私にとっては耐えられないことだった」


 花音は続けて言葉を紡ぎ出す。


「これからさ、離れていくこととか考えて、これ以上仲良くしたら離れるのが辛いって思っちゃう。一緒にいたら、もっと傷つくと思ったの」


「……離れていくって言ってもまだ一年あるし、時間が合えばいつでも会えるよ」


 俺の言葉に花音は首を横に振った。


「違うの。それなら私もこうは考えない」


 どういうことなのか。

 それを聞こうとすると、俺が尋ねる前に花音は口を開いた。




「私、この学校から転校するかもしれないんだ」




「…………えっ?」


 思わず声が出た。どうしても驚きが隠せない。


 ――何故こんなタイミングで?


 三年生になったばかりのこの時期に、転校をするというのは『あり得ない話ではない』が、『あまりない話』だ。

 そんな不自然な話に、俺の頭は『転校』の二文字で支配されていた。

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