第16話 かのんちゃんは誘いたい!
店を出た後、次の目的地……今日の一番の目的である映画館へと向かった。
映画館のあるショッピングセンターは目の前で、徒歩一分もかからない。なんならエレベーターに乗っている時間の方が長かったかもしれない。
「映画前だし、ちょっとトイレ行っておこうかな」
映画はだいたい二時間だ。せっかくの映画を途中で抜けたくないため、上映まで時間はあるが早めに済ませておきたい。
それにもう一つ理由がある。
「じゃあ私も、少しお手洗い行きますね」
「おう。俺の方が早かったらパンフレットとか見てるわ」
「はーい」
それぞれ男女別のトイレに向かう。
俺が行くと言えば双葉も行くと思っていた。それは化粧を直すだろうと思ったからだ。
今日の双葉は可愛らしい服装だが、いつもより大人びて見えた。その理由は単純で、今日は汗をかくこともないため、いつもとは違いうっすらと化粧をしていたからだ。元々容姿が良いため学校では気にならないが、部活のこともあって化粧をしていない。
そして化粧をしている今日、食事の後は化粧が多少なりとも落ちるが、直すタイミングがなかった。男がトイレに行けば、その間に直す時間ができ、素直にトイレに行きやすい。
……というのも、アニメやマンガで学んだ。娯楽ではあるが、教材としても案外バカにならないものだ。
恋愛……ではないが、女子に対する気の使い方は慣れていない。ついでにパンフレットでも見ていると言えばゆっくりしやすいだろうと思ったが、それもアニメのシーンを丸々パクったというのが本当のところだ。
俺は用を足すと、少しだけパンフレットを見て回るとトイレ近くのベンチに腰掛けようとする。
しかし、それは叶わない。
「動くな」
唐突に固いものを背中に押し付けられ、動きを止める。
「振り向かずに話を聞け」
そんなことを言われるが、あまりに迫力のない可愛らしい声……聞き覚えしかない声に、俺はその命令を無視した。
「何してんのさ、かのんちゃん」
振り向くとそこには花音がいた。私服を見るのはクラスの打ち上げなどであるため、初めてではないが新鮮だ。制服も似合っているが、私服もまた違った可愛らしさがあった。
ニットのトップスはブラウンで、それよりも少し薄めのロングスカートを履いている。そして黒のブーツだ。また、真っ白なボアブルゾンの上着はトップスとの色の差で映えていた。
栗色の髪の毛もあって、同系色の服ながらも上着がアクセントとなっている。思わず見惚れてしまうほどだ。
「青木くん見つけたらさ、他の女の子とデートしてるんだもん。いたずらしたくなっちゃった」
可愛く笑顔を見せる花音だが、俺はその目の奥に恐怖を感じた。顔では笑っているが、目は笑っていない。
それにしても、俺が女の子……双葉と一緒にいたのはトイレに入る前。花音はその時から見ていたということだ。
「いや、別に誰とデートしようが青木くんの勝手だと思うよ? でも私とも約束してたよね?」
「え、いや……」
約束していない。
そう言おうと思ったが、花音と話すきっかけとなった日……カラオケに行った時のことを思い出した。
厳密な日時を約束していたわけではないが、その時の代金を出してもらう代わりに次は俺が奢るということを確かに言っていた。テスト後にファーストフード店へ行った時に返そうとしたが、『デートじゃない』と断られていた。
約束してからすぐにテストがあったとはいえ、それを一ヵ月以上も放置していたのだ。
冷や汗が止まらない。
「私の方から声をかけなかったのも悪いと思うよ? でも他の子とデートするなら私にも声をかけて欲しかったなぁって」
花音の怒りは理不尽なところもある。日程まで決めていなかったのもあるが、花音の言う通り彼女の方から声はかけられていない。
しかし、約束を不意にしていることにも変わりない。双葉との約束も最初は日程を決めていなかったのだから、花音を誘うことだってできたのだ。
花音自身も理不尽なことはわかっているのか、怒りもありながら悲しい表情を見せていた。
「……埋め合わせはする。一週間前なら予定は空けれるから」
バイト先は一週間毎にシフトを出している。正確には自由なため一月毎に出している人もいるが、俺は急な予定変更にも対応できるように一週間毎だ。
しかし花音はまだ不満なようで、「むー……」と頬を膨らませていた。
「わがままかもしれないけど、青木くんから誘って欲しい」
わがままもわがままだ。ただ、奢ってもらった分を奢り返すということを考えれば、それをわがままとも捉えられない部分もあった。
「……じゃあ来週。どっちか空いてる?」
女の子と遊びに来ておきながら、その途中に他の女の子と約束をするというのは我ながら最低だ。
それでも俺は花音の言い分に納得できてしまうほど、蔑ろにしてしまった自覚がある。
「土曜日。朝から夜まで付き合ってもらうからね!」
怒っているような口調で言いつつも、先ほどとは違い可愛らしい口調だ。花音の気持ちも落ち着いたのだろう。
「じゃあ、私も友達と来てるから。春風さんと楽しんでね」
花音は手を振りながら去っていこうとする。
「え、なんでわかって……」
「春風双葉さん、有名だし知ってるよ。それじゃあ」
学年も違い部活に所属していない花音が知っているとは思っていなかった。それだけ双葉は学校内で有名な存在だということを俺は知らなかった。
今更ながら、俺は花音も双葉も、学校の有名人と一緒にいることが多いということに気がついた。……美咲先輩も生徒会長のため有名だし。
いつか誰かに刺されてもおかしくない。花音との約束を先延ばしにしていたこと以上に、冷や汗が溢れ出ていた。
「せんぱーい」
緊張していた最中、後ろからの声に体を震わせる。
「どうしました?」
「い、いや、なんでもない」
わかりやすいほど動揺しているのが自分でもわかる。花音と話していたのは見られていないはずだが、見られていればなんとなくめんどくさいことになると感じていた。
「そうですか。じゃあ、行きましょう!」
双葉の性格上、見ていたのなら突っ込んできてもおかしくない。そうしないということは見ていなかったと考えていいだろう。
そして花音のこともあったが、それとは別に化粧を直した双葉にも衝撃的だった。
ご飯を食べたこともあって、口元……リップが落ちていたのだろう。朝に会った時は周りが明るいため気にしなかったが、映画館のやや暗めの独特の雰囲気も相まって、俺の視線はその柔らかそうな唇に引きつけられていた。
「……どうかしました?」
その声で意識が現実に引き戻される。
花音はもちろん、双葉も学内で有名な人気者だ。この二人とラブコメでもあれば、俺の学校生活は全く別のものになっていたかもしれない。そんなことを考えてしまう。
ただ、双葉は可愛い後輩で、花音は彼女にとって素が出せる友人だ。容姿も性格も良い二人に対して、意識はするものの愛感情はなく、『彼女が欲しい』という邪な気持ちだけだ。
恋愛の入り方としてはあることかもしれないが、俺にはそんな軽い気持ちで二人と付き合いたいと思えなかった。
……そもそも、誰も選ばない二人が、平凡な俺のことを好きになることなんてあり得ない。
ラブコメなんて始まるはずもなかった。
冷静を取り戻し、目の前にいる双葉の言葉に、いつもの調子で返事をした。
「何もないよ。行こうか」
恋愛経験はない。誰かに恋愛感情を抱いたこともない。
そんな俺が誰かを好きになるのは、まだまだ先の話だ。
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