モノクロ・レフュージ
落葉ほたる
モノクロ・レフュージ
家を出た時は涼しかった。
風呂あがりのTシャツ、服や髪の間を通り抜ける風があまりに気持ちよくて調子に乗っていた。真夜中とはいえ、もう六月だ。坂を登り切る頃には、シャツは肌にはりついてるし、長い髪には熱がこもって気持ち悪い。ヘアゴム持って来るんだった。
別にこんな思いしてまで来たかったわけじゃないんだけど、まあいっか、ここまで来たからにはそれなりに時間を潰して帰るとしよう。と後悔すら面倒くさがる自分に呆れていると、目的地に着いた。
存在を知らなければ、同じ町に住んでいても見かけることは無いほど、静かにたたずむ無人駅がそこにあった。
いや、流石に大げさな修飾だった。その駅を使う人は別に少なくないし、私だって毎日通学に使っている。でも真夜中の暗闇に見るその駅は、本当に誰からも忘れられた廃墟のように見えた。
入り口で一応時刻表を見て、今夜はもう電車が来ないことを確認し、改札を怯えながらも堂々と通り抜け、ホームに出て黄色い線の外側に立つ。
山の端を削り取りながら、輪郭に沿うように線路が左右に伸びている。
なんだか自殺しようとしてるみたいだ、なんて不謹慎な発想が頭をよぎり、怖くなったのでもう一度時刻表を見に行った。
改めてホームに立ち、しばらく左右をきょろきょろと確認した後、ようやく心を決めて、私は線路の上に飛び降りた。
進路だとか就職だとか家庭だとか、この先の自分に待ち受けるものが怖くて、そんなことお構いなしに導こうとしたり背中を押してくる大人たちが怖くて。でもみんなもそのはずなのに、同級生たちは当たり前のように差し伸べられたその手を取り、勇敢に世界に立ち向かっていく。
当たり前ができない私は置いて行かれるばかりだった。この先に待っている「互いに切磋琢磨し、己を高めあう学園」とか「和気あいあいとした楽しい職場」とかにもきっと、私の居場所は無いだろう。
それでも独りになりたくなくて、同級生には“平気な顔”を、大人たちには“必死に手を伸ばす姿勢”を演じてきた。
でも、そうして出来上がったのは外面の良いだけの空っぽのハリボテで、結局私は本当に独りになってしまった。
「嫌なことから目を背けるな」とよく言うけど、この世界は三百六十度嫌なことだらけで目を背ける先なんてない。だから、という接続詞が相応しいのかわからないけど、多分私は何かを晴らしたくて、たまにこうして真夜中の誰もいない線路を歩く。
一人で考え事をしたいとか、この夜の雰囲気が落ち着くとか、そんな格好の良い理由じゃない。寧ろ今にも電車が走ってきそうで落ち着かない。
ただ、いつもなら社会という怖いところに戦いに行く人たちが詰め込まれて運ばれていく筈のこの道を、一人気ままに歩いている。そんな状況に自分を置くことで、なんとなくこんな自分が許されている気分になっているだけだ。もしくは、いつもの景色に誰もいない、そんな異世界に迷い込んだような状況で、現実から逃げ切った感覚になっているのかもしれない。
人生なんて、これくらい平らな方がいい。
迷いが無いわけでもなければ真っ直ぐでもない足取りで線路を歩く。
独りごとのように淡々と鳴り響く自分の足音が、私は今一人なのだと教えてくれる。
ケータイで線路を照らしながら、明日の学校について考える。結局逃げ切れてないじゃん、とため息が出る。行きたくない。でも学校に行かない人間であるほど、余計に大人は関わってこようとする。
皮肉な話だ。怖いものから逃げるためには、怖いものたちのど真ん中にいなければならない。
そんなどうしようもないことを考えながら線路を歩いていると、ふと山側の少し先の壁面に気配を感じ、光をそちらに向けた。
そこに、女の子が座っていた
山の削られた部分を固めるようにしてできたコンクリートの壁にもたれかかって座り込み、寝息を立てていた。
私の時間は壊された。
戸惑っていると、ケータイの光が眩しかったのか目を覚ましてこちらを見た。驚いたことに、知ってる顔だった。
「黒咲?」
まずい、思わず口に出してしまった。
目が合った上に名前まで呼んでしまったらもうお互いを認識し「白井か?あれ、あってるっけ?」ることすら出来なくなっ……。
はい、最悪。話しかけられた。終わった。
話しかけてしまった(いや別に話しかけてはないけど)のは私なのだけど、相手が知ってる人間だと分かったとたん、恐れや心配はどこかへ行き、代わりに段々と腹が立ってきた。
なんでそこにいるんだよ。ふざけんなよ。私の唯一の逃げ場なのに。なんだよなんだよ。
しかもよりによってなんでお前なんだよ。
自分の居場所が侵されたのは相手だって同じだろうし、こいつに腹を立てても仕方がないことはわかっている。でも、それがわかったところで苛立たない理由にも、苛立ちが収まる理由にもならない。
理不尽にキレてるな、私。私のくせに。らしくない。
どちらにせよ、もう私は二度とここには来ないだろう。結局今まで何かが晴らせていたかはわからないし、生きがいというほどここに依存しているわけでもないけど。でも、私にとってここはささやかでも“逃げ場”で、それを失った私はこの先きっと今までよりもわかりやすく世界に押しつぶされていくのだろう。
なんかまた腹が立ってきた。自分のことを「空っぽ」だなんて言っておいてこの様か。ちょっと悔しくも、自分の人間らしいところが垣間見えたことが少し面白かった。いや、滑稽なだけか。
私が余計に腹を立てているのはきっと、相手がこいつだからというのもあるのだろう。
同じクラスの黒咲。下の名前は覚えてない。
私はこいつが苦手だ。別にあまり話したことは無いけどなんとなくわかる。簡単に言えば素直すぎる。思ったことをそのまますぐ口に出す、行動に移す。例えば新しいクラスが始まってのすぐの頃、クラスメイトが遊びに誘ったとき「面倒くさいからいい」と断った。悪気は無いだろう、でも悪いとも思ってなさそうな様子だった。それ以降も似たようなことが積み重なり、彼女に関わろうとする人間は徐々に減っていった。本人はあまり気にしていない様子だけど。
要するに、私の真逆。
私の心はきっと、外の世界の光が届かないほど体の奥深くにある。でも私は、光のほとんど届かない真っ暗な場所からかろうじて透けて見える、白黒の外の景色を気に入っていた。周りのことに興味が持てないかわりに、煩わしい外の世界から自分を守ることができる。そんな、良くも悪くも外からの刺激に鈍感でいられるこの心の在り方がとても心地よかった。それでもいいと思いたかった。
だからこそ、等身大で世界と向き合えてる彼女が、気に入らなくて、眩しくて、少し、ほんの少し、羨ましかった。
ああ、そうか。羨んでるのか、私。やっぱり、気に入らない。
「なんでこんなところにいるの。何してんの」
自分でも驚くほどその声色は攻撃的で、私の感情が如実に表れていた。
こんな声、私は人前で出したことがない。こんなのは私じゃない。おかしな言い方だけど、“私”である私は私じゃない。
おそらく自分でも気づかないほどに居場所を侵されたことに腹が立っていて、それ以上に逃げ場を失ったことが悲しかったのだろう。
その雰囲気を感じ取ったのか、黒咲は少し驚いた顔をしていた。当たり前か。こんな私は人に見せたことがない。私だって見たことがない。
「なんでそんなに怒ってるの?凄い顔」
ほら、そういうとこだよ。突っ込んでくるかよそこ。本当に「ウザイなマジ……。」……?
まただ。口に出てた、どうしたんだ今日は。調子が狂う。
すると黒咲がほんの少し顔を崩したように見えた。なんだか心を見透かされているような気がした。
「まあ、普段あんだけ外面作ってたらそうもなるか。普段はそんな感じなの?」
は?今なんて?
本当に見透かされているのか。もしくは外面がそんなにわかりやすいのか。だとしたらかなりショックだ。いや、でもそんなはずは。ちくしょう。
「何してるのって、まずこっちが聞いてるんだけど」
出会う場所も、タイミングも、第一印象も最悪で、おまけに隠していた“自分”もばれてしまって。なんだかきまりが悪くなった私は、今だけはもう全てを捨てて開き直ることにした。
どうにでもなれ。全部ぶつけてやる。もともとここは私の“逃げ場”だったんだから。
黒咲はしばらく私を見つめて、やがて言った。
「多分だけど、お前と似たような理由だと思う。逃げ場が欲しかったんだよ」
図星を突かれたことにももちろん驚いたが、一番驚いたのはそのあとの一言だ。
逃げ場が欲しかった?等身大で生きてるようなお前が?ふざけてるのか。もちろんそんなわけないけれど。
訝しみながら黒咲の表情を見る。見て、自分の苛立ちが引いていくのが分かった。
同じだ。私と。同じ顔だ。そう感じた。
それと同時に分かった。
こいつもきっと逃げ場が無い。等身大で生きているからだ。こいつには外面が無い。要するに自分の殻を持たないまま、生身のまま、こんな世界に放り出されたようなものだ。敵だらけの、怖い人だらけの、自分とは違う人だらけの、この世界に。
こいつは私と違う理由で、私と同じだったんだ。
今までこいつに抱いていた敵意が引いていく。案外ちょろい性格なのかもしれない。いや、違う。自分が外の刺激に鈍感だって、さっき自分で言っていたじゃないか。今しがたまで感情が表に出すぎていたから忘れていた。
きっとそれも、こいつに引っ張られていたんだ。こいつの取り繕わない素直な性格が、私が抱いていたほんの少しの憧れに引っ掛かって、見事に釣られてしまったんだ。
「なにそれ、変なの」
そう言いながら、心の底から笑った。ムキになっていた自分が可笑しくて。同じ人間を見つけたことが嬉しくて。愛想笑いでも強がりでもない、きっと本当の“私の顔”で、笑った。
黒咲はしばらくきょとんとしていた。そしてその後、一緒に笑った。長い間、二人きりで。
大した会話はしていない。交わした言葉だって極少ない。
でも、そのすべてが本心で、見栄も遠慮も無いありのままの私たちで。
きっと私たちは今この瞬間、世界で一番互いの近くにいて、世界で一番互いを理解していた。
この誰もいない線路の上で。私たちの“逃げ場”で。
「そろそろ帰るか」
こいつといれば、私は私のままでいられるだろうか。
「そうしよっか」
この恐ろしい世界を、一緒に歩いてくれるだろうか。
「なんだか、白井と話すのは気分がいいな」
「なんだそれ、気持ち悪い」
そういうところだよ。まったく。
逃げ場なんてないこの世界で。
目を背ける先のないこの世界で。
互いの逃げ場で出会ったこの女の子が。
私の逃げ場になってくれるだろうか。
目を背けた先にいてくれるだろうか。
「ひどいな。まあいいや。じゃあ、私こっちから来たから」
まあ別に、期待はしていないけれど。
でもきっとあの子も、私に期待しないでいてくれる。そんな気がした。
期待しちゃってるじゃん、私。
本当に、調子狂うな。
「それじゃあまた明日、学校で」
- 終わり -
モノクロ・レフュージ 落葉ほたる @kagaribi_hotaru
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