今の二人

「中村…くん?」

中村「くん」と言われたことに、少しざらつきを感じたが、仕方がない。もう何年も連絡すら取っていないのだから。

「久しぶり。ひかり」

彼女の手元の本を見て、俺は固まった。本の文字が、ないのだ。

「ひかり…お前、喰字鬼だったのか」

そう言うと、ひかりは驚いた顔をして、それから悲しそうにうつむく。ここでは周りの人に見られてしまう。

「ちょっと、外で話さないか」


それなりに騒がしいカフェに入る。この騒がしさがほっとするときもある。俺とひかりの間には微妙な空気が流れていた。今は都市伝説を面白おかしく書く記者としてではなく、昔の友達として向かい合うつもりでいた。

とりあえず持ってきていた自分の会社の雑誌を渡した。ひかりは雑誌をじっと見ながらうつむいたまま。

「喰字するところが見たいの?」

ひかりは感情が抜けたような声でつぶやいた。

「いや違う。ただ、喰字欲はものすごいらしいって聞いたから、しんどいのかと思って…」

「人前で喰字をする方がしんどい」

「ごめん」

急いで雑誌をしまおうとすると、それより早くひかりが雑誌を手に取って顔に近づける。端から見ると、本を広げてあくびを隠そうとしたような、そんな動きだが、雑誌から顔を離すと、その雑誌には文字がなく、ゴシップの画像だけが残っていた。

「これでいいの?」

「そんなつもりじゃなかったんだ…」

「気持ち悪いでしょ?ネット上では色々言われているけれど、本当に気持ち悪いと思うよね」

「そんなことはない。誰も困らせないし」

「困らせているんだよ。喰字欲は本当にすごくてね、家にある本はもうなくなってしまって。お金もかかるから、気が付いたら図書館の本に手を出しちゃった」

こんな思いに苦しんでいたとは。あのとき、ひかりに助けてもらったように、俺がひかりを救うことはできないのだろうか。ふと自分のカバンを見ると、彼女が喰字した『私の中にある守護者』が入っている。

「これも喰字したのか」

「うん…なんかね、好きだった小説を手に取りたくなるんだよね。味なんてしていないんだけど」

「でも、それを選ぶってことは、その言葉を自分に取り込む意味があるんじゃないか」

「さあ、どうだろう」

「中学の頃、これを教えてくれたけど、どういう意味だったの?」

俺の問にやっと顔を上げてくれた。なんでそんなことを聞くのか、という表情だろうか。

「よく覚えているね。さあ、どうだったかなあ」

ひかりは寂しそうに笑っていた。

「あのときはたぶん、中村くんとうまくいっていなかったから、なんか同じ本を読んで、同じものでいいなあ、って言いたかったんだろうね。その本、めっちゃ好きだったから」

「俺もこの本の勇者と魔女のコンビが好きだった」

「うん。いいよね」

「あのとき、ひかりとこんなコンビになれたらいいな、って思ってた。今思えば、好きだったんだ」

思わず、そこまで言ってしまった。今さら言ったって仕方ないし、それを言ったところでひかりを救えるわけではないと思うのに。

「そっか」

「今さらかな?」

「今さらだね…」

俺が笑うと、ひかりも笑ってくれた。

「でも、また、同じものをいいなあ、って、言えるようにはなれないか?また、前みたいに、一緒に図書館にいられないかな」

俺は改めてひかりの目をじっと見るが、彼女は目をそらした。

「中村くんは今何をしているの?」

ひかりが突然話題を変えて、一瞬俺も答えに詰まる。

「え…俺は雑誌記者。三流だけどな。さっきの雑誌はうちのなんだ」

「そっか。変わったね。前はもっと書くことに真摯だったよね」

俺は確かに変わった。変わってしまった。ひかりにはどれくらい変わったように見えているのだろう。

「ひかりほどではないと思うけどな。でも、こんな仕事をしていたおかげでこうして会えたんだから、そうなる巡り合わせだったって今は思う」

少し沈黙があって、ひかりは言ってくれた。

「私、こんなだけど、いいの?」

「え?」

「さっきの」

ひかりの言葉の意味を理解して、俺はしっかりとその目を見てうなずく。

「もちろん」

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