第57話 ふたりでなら
「おー、肉ホロホロでうまーい」
「良かった。クセの強い味だから好き嫌い分かれると思うのよね」
「俺は好き」
牛肉の赤ワイン煮込みの話なのに、一瞬ドキッとしてしまった。
丸いローテーブルで、大きなお肉がゴロゴロといつもより豪華な夕食を食べる。煮込むのに時間がかかるから先にお風呂も済ませてるけど、それにしても遅くなっちゃったな。
「結婚式の希望ってある? 挙げたい式場とか」
「結婚式?」
「結婚式なら、プロと衣装相談してプロがヘアメイクしてくれてプロに写真撮ってもらえるよ」
「でも、私親戚いないのに」
「茉悠さんが気になるんなら、写真だけ撮ってもらおう。フォトウエディングってのがあるらしくてさ」
いろいろ調べてくれてるんだなあ、清水くん。
「今日、さくらに水城茉悠で会うのは今日が最後、みたいなことを言われたわ」
「え? ああ、苗字の話? それなんだけどさ、清水じゃなくて水城にしない?」
「え?!」
「調べてみたら、婿養子とか特別なことをしなくても婚姻届のどっちの姓にするかってのを選ぶだけでいいみたいなんだよ」
「私は別にどっちでもいいけど、清水くんひとりっ子なのにご両親は反対するんじゃない?」
「今さら俺が親の言うこと聞くなんて向こうも思ってないよ」
それはそうかもしれない。
清水くんは、こうと決めたら実行してしまう。
「もしも水城にしたら、来週さくらに会っても水城茉悠のままね」
「そうだね。逆に俺が水城柊になってるからびっくりするんじゃない」
いたずらっ子のように清水くんが笑う。
ミズキ、シュウ?! 聞き覚えはないけど、違和感もないわね。いいかもしれない。
「でも、そんなサプライズ感覚で苗字を決めてしまっていいのかしら。一応ご両親に相談くらいはした方がいいんじゃない?」
「ほんと、すーぐでもって言うよね。茉悠さんがいいんなら、水城に決定! 俺の名前は俺が決める」
「どうして水城がいいの?」
何気なく聞いただけだけど、清水くんは言葉を選ぶように考えている。
「清水だとこれまで100%シミズと間違われてきたからさ。もうキヨミズですって訂正するのに疲れちゃったんだよ」
「そうなんだ」
水城でもよくミズシロさんと間違われるけど、ミズキでもミズシロでもたいして変わらないからどっちでもいいものね。
テレビを見ながら雑談しつつごはんを食べ終え、今日は私が洗い物をする。清水くんはうれしそうに冷蔵庫からカルーアコーヒーリキュールを出し、グラスをふたつ運んでいく。
テーブルに戻った私の顔を見ると、清水くんが
「そうだ、飲む前に婚姻届」
とバッグからクリアファイルに入った婚姻届を取り出す。
婚姻後の夫婦の氏の欄がある。躊躇なく妻の氏にチェックを入れる。
「え! 本当にいいの? 清水くん」
迷いがなさすぎて逆に心配になってしまう。
「いいの。俺、水城柊になりたい」
にっこり笑って、婚姻届をバッグにしまう。
私もつられて笑いながら、清水くんがいいんならいいのかな、と思えてくる。
「そう言えば、将来の夢、お婿さんだったものね」
「そうそう。夢が叶うよ」
うれしそうに氷を入れたグラスにリキュールを入れ、牛乳を注ぐ。
「混ざんねーよ」
「スプーンで混ぜてみる?」
「ありがと。よし、できたー」
それぞれグラスを手に持つ。
「独身最後の夜にー、カンパーイ」
「カンパーイ」
グラスを合わせ飲んでみると、すごい、お店と同じ味だわ。
「やっぱ、うまーい」
「甘くて濃いね」
家でお酒を飲むこともなかったし、こんなにリラックスしてお酒を飲むのは初めてかもしれないわ。
「清水柊、最後の夜でもあるわね」
「そうだね。清水柊を名乗ることももうないかと思うと、ちょっとだけ寂しいかなー。ずーっと清水って苗字がイヤだったのに、不思議なもんだね」
「卒アルに書いてたくらいだから、高校生の時点でもうイヤだったのね」
「自分でも他に夢ねえのかとは思うな。夢叶ったからいいけどさ」
「あ、卒アルと言えば、どうしてオムライスよりもチキンライスの方が好きなの? オムライスの方がケチャップたくさんかけられるのに」
「オムライスだとついケチャップかけすぎて辛くなっちゃうんだよ」
辛いオムライスを思い出したのか、清水くんが眉をしかめ口を一文字に結ぶ。
「清水くん、料理だけは苦手だもんね」
あはは、と笑ったら清水くんが挑発的な笑顔になる。
「茉悠さんはすぐに部屋を散らかすよねー」
あら、痛い所を突いてくるわね。
「清水くんがきれい好きなんだよ」
「お互い、ひとりじゃまともな食生活送れないし、まともな部屋に住めないけど、ふたりでならやっていけそうだよ」
あら、一番だわ。よく笑う清水くんだけど、今のは格別に会心の笑顔だった。
初めて清水くんを見た時、穏やかに微笑んでる姿を見てこの笑顔いいな、と感じたのを思い出す。
あの時から、清水くんの笑顔を見ると温かい気持ちが広がってうれしくなる。
「うん。ふたりでならずっと笑っていられそう」
「いいねー。一番幸せじゃん、それ」
「うん、いいね」
照れちゃったのか赤くなる清水くんを見たら、私まで妙に気恥ずかしくなってきた。
「おかわりしよ」
一気にグラスを空けた清水くんがおかわりのカルーアミルクを作る。
「あ、ねえ、卒アル見たいな。どこにあるの?」
「えー、また見るの? そこにあるよ」
「え?」
すぐ脇の古びた三段収納に収められてる漫画と並んで普通にある。あれ? ずっとここにあったのかしら?
清水くんの話を聞きながら卒アルをめくる。前みたいに、奏さんのことを探ろうとはもう思わない。
清水くんも避けているのか忘れてしまっているのか、名前は出さない。
「もう1杯飲も」
本当にカルーアミルク大好きなんだな。飲みやすいのもあるのかペースが早い。
「私も。家で飲むのもいいね」
「いい~。こんな家で飲み放題なのあるんだったらもっと早くに知りたかったあ~」
清水くんがヘロヘロになってきたわね。
やんちゃなタイガーに来た時もそうだったけど、深酒すると舌っ足らずになるんだな。小さい子供みたいでかわいい。
目をこすろうとした清水くんの手にメガネが当たる。
「もーやだ、いらない」
メガネを外してテーブルにポイッと置く。
「外すと見えないんじゃないの? もう寝る?」
こちらを向いた清水くんが、笑ってピョンッと両手を床に着いて跳んで来た。近! 急に近付かれるとドキッとする。
「見える所まで近付けばいいじゃん」
「え? こんなに近付かないと見えないの? 視力どれくらい?」
質問には答えずキスすると、そのまま私の足の上に頭を置いて横向きに寝転がってしまった。
……びっくりした……。
いつもは私が話を聞かないって言われるけど、今は逆ね。
ひざ枕で眠ってしまったのかしら? 人懐っこい大型犬みたいだわ。
清水くんがかわいくて、思わずその黒髪を指ですく。くすぐったいのか、笑った清水くんの大きな手が私の手を追ってくる。
たまらなく、かわいい――……。
普段はしっかり者で意志の強い頼れる清水くんが、酔うとこんなに甘えん坊さんになるなんて。
久しぶりに酔っ払った清水くんを見て、改めて思う。
やっぱり私は、清水くんを酔わせたい。
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