第54話 家族
マンションに帰る道中、清水くんは絶対に私の手を離してくれなかった。もう、逃げるつもりなんてないのに。
マンションの廊下の一番奥の部屋の前で、鍵を出す際にも私の方をチラチラ見て警戒していた。もう走り出したりしないから。たくさん歩いて疲れてるし。
ドアを開けて私も部屋の中に入ると、
「あー、良かった。おかえり」
とやっと安心したように笑った。
「ただいま」
あれ? 奏さんの靴がない。電気は付いてたからいるでしょうに、狭いワンルームに人影はない。
「奏さんは? 買い物かしら?」
「え?」
驚いたように振り向いた清水くんが私の前に立つ。ちょっと首をかしげて、戸惑っているかのように目を泳がせ微妙な表情を見せる。どうしたのかしら。
「ねえ……もしかして、知ってたの? 奏が元カノだって」
「うん」
「みんなでうちに宅飲みに来た時も卒アルの7組見てたよね。なんで?」
あの夜を思い出す。清水くんがベッドサイドで泣いていたこと、翌朝、私を奏さんだと勘違いしていたこと……。
「清水くんが奏さんにフラれたって言ってた日、朝起きて私のことをカナデって呼んだから」
「あー……そうだったんだ。寝ぼけてたんだな。メガネしてなくて見えてなかっただろうし」
お酒を飲んだらすべてを忘れてしまう清水くんと違って、私は忘れられない。
「……最近、毎日かかってきてた電話って……」
あー、と清水くんがバツが悪そうに黒髪をかく。
「奏だって分かってた。でも、茉悠さんの前でなんか出たくなくて」
「え? どうして?」
「何か誤解されたら、茉悠さん、どう突っ走って行っちゃうか分かんないから。まあ、ガチで走り出す結果になっちゃったんだけど」
私あんなに走ったの何年ぶりかしら。
「ごめんなさい、私、突然だったから何も言えなくって……後から、反省したわ。良かったねって言わなきゃいけなかったなって」
「え? 何が良かったの?」
「……奏さんが清水くんの元に戻ってきて……」
良かったねって、言わなきゃいけないと分かっている今でも言えない。
「茉悠さん、また突っ走ってるよ。別れた時に何も整理できてなかったから、奏の部屋に置きっぱなしになってた俺の私物を持って来ただけだよ。奏は俺の元に戻ってなんかないし、俺は奏が戻って来ることを望んでない」
「でも……泣いてたんだよ、清水くん」
「泣いてた? 俺が? 何の話?」
「あの夜……スマホを見ながら、奏さんを思って泣く清水くんを私は見たの」
うつむいてスマホを見ている清水くんに話しかけたら、私に抱きついて見えないように泣いていた。私は今でも鮮明に覚えている。
「あー……あれは違うんだよ。そうじゃなくって、あの夜……正直勢いでだったけど、あんな所に茉悠さんを連れ込んだからにはケジメつけないとって、奏の連絡先を消したらなんか……俺って相変わらず自分勝手だなって身に染みて……」
消したの?
私はてっきり、彼女の写真だとかメールのやりとりを見て彼女を思い出して泣いたんだとばかり思ってた。
消してたんだ……。
「会社では二面性を隠してうまくやれてると思ってたけど、俺何にも変わってないなって言うか……社会人になって何年も経つのに結局俺はわがままなライオンなんだって、ふがいない自分が情けなくなって、なんか……涙が出た」
うつむいて私の顔も見ずに話している。今も、そう思ってるのかしら。両手が強く握られている。今も、自分を情けないと思ってるのかしら。
「清水くんは情けなくなんてない、ライオンみたいに内面の強いしっかり者だよ。変わってないのは、誰よりも優しい所だよ。どちらも清水くんでしょう」
清水くんが顔を上げた。捨て犬みたいだった目を細めてにっこり笑った。私もつられて笑顔になる。私の好きな温かな空気感だわ。心地いい。
「ありがとう」
お礼を言いたい気持ちなのは私の方だわ。
清水くんはあの夜、彼女と別れたことが悲しくて泣いてたんじゃなかったんだ。
私たちが合コンをしていた店で清水くんがひとりで飲んでいたのも、別にヤケ酒じゃなかったのかもしれない。
……あれ?
たしかにあの店で清水くんはお酒を飲んでいた。合コンに突撃してきた時にはすでに酔ってるように見えたし、私と一緒にいた間だけでもカルーアミルクをおかわりしていた。清水くんがその後のことを覚えている訳がない。
「どうしてそんな嘘つくの?」
「え? 嘘? 今度はどんな方向に突っ走ってるの?」
「清水くん、お酒飲んでたでしょ。覚えてるはずない」
「ああ」
驚いていた清水くんがまた優しく笑った。
「俺、茉悠さんとのことだけは全部とは言えないけど覚えてる。茉悠さんが働いてた店にだって、俺泥酔してたけど茉悠さんがいたって覚えてたから迎えに行けたでしょ」
「え? 覚えてるの?」
それは忘れてくれてていいことだわ。
「うん。茉悠さん、シュウでーすって言いながら俺のこと清水くんって呼んで、普通に高橋さんの話してたよね。一度も顔を見なかったとは言え、あの場で気付いて連れて帰れば良かったって後からすごく後悔した」
「え……どうして覚えてるのかしら」
「不思議だよね。俺も考えた」
穏やかに笑いながら、清水くんが改めて私の顔を見る。
「俺、ひとつだけ心当たりがあるんです。茉悠さんのことが好きだから、忘れないんだと思う」
あら、清水くんの敬語、久しぶりに聞いたわ。たまには敬語もいいかもしれない。
「茉悠さん? また話聞いてないね?」
「あ、ごめん。何?」
もー、と清水くんが苦笑いになる。
「何度聞いてくれなくても、大事なことは無理にでも分かってもらわなきゃいけなかったんだ。いつか伝わればそれでいいって思ってた」
「大事なこと?」
「俺は茉悠さんが好きです。俺と結婚してください」
「え……」
びっくりした。今、清水くんが結婚って言った気がする。
「俺と家族になろう、茉悠さん」
「家族……」
朝起きたら清水くんがいてお見送りして会社からこの部屋に帰ってごはん作って清水くんが帰って来て一緒にごはん食べてお風呂入って一緒に寝る。そんなおままごとみたいな生活が、当たり前になるの?
うれしくて気恥ずかしくてこそばゆくってくすぐったくなってくる。
「あははははは」
思いっきり笑ってしまった。
「まさかプロポーズして爆笑されるとは思わなかったよ。ほんと上回ってくるなあ」
「ごめんなさい、うれしくて」
「うれしくて?」
「うん」
「良かった」
清水くんが優しく抱きしめてくる。
「親にも連絡しないとね」
「そうだね」
清水くんとご両親の和解のいいきっかけになったらいいな。
「茉悠さんの親にもなるんだよ」
「え?!」
そうか! 結婚したら私のご両親にもなるんだ?!
「お父さんお母さんって呼んでもいいのかしら? 失礼かしら?」
「え? たぶん普通、呼ぶんじゃない?」
「えー、嘘! うれしい!」
思わずギュッと清水くんに抱きついてしまった。おうっ、と声の出た清水くんが笑った。
「俺のプロポーズより喜んでない?」
「あ、ごめんなさい」
「認めちゃうんだ。お父さんお母さんって、呼びたかったんだね、茉悠さん」
「そうなのかしら? 考えたこともなかったから」
「俺、茉悠さんのそういうおおらかなところ尊敬してる。名前読み間違えられるだけでムカッとくるような俺には考えられない」
「おおらか? 何も考えてないだけよ」
「自分で言っちゃうんだ」
こんな私と結婚しようだなんて、清水くんの方がよほどおおらかなんじゃないかしら。
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