第45話 ごめん、の内容

 もう私の家ではなくなったマンションを出て、清水くんとふたり歩き始める。

 寒っ。昨日は雨が降ってたせいかしら。明日から11月になるから、こんなものかしら。


「ねえ、何か晩ごはん考えてるの?」

「ううん、何も」

「じゃあ、たまには外食しない?」

「お金かかるよ」

「だから、たまにはなんだよ」


 清水くんはずいぶんとご機嫌みたいね。手を体の後ろで組んで、ニコニコと私の周りを犬がまとわりつくように歩いている。

「茉悠さん、何食べたい?」

「あったかいもの」

「寒いの? 上着取りに一回帰る?」

「ううん、大丈夫」

「家出る時になんか羽織ってこうか迷ったんだよなあ。羽織って来れば良かった」


 ……羽織って来てたら、それを私に貸してくれたのかしら。

 清水くんならきっとそうするだろう。

 清水くんは、優しい。


 ……ごめんって、何だったのかしら。

 こんなに気になるなら聞けばいい。でも、気になるからこそなんだか私からは聞きにくい。

 それに清水くん、ごめんって言ったこと忘れてるんじゃないかしら?


 ラーメンとチャーハンと餃子を食べたら、すっかり体が温まった。

 帰り道、清水くんのスマホが鳴っている。ポケットから出した清水くんが、

「あー、まただよ。知らない番号。詐欺とかだったら怖っ」

 と画面を私に見せて再びポッケにしまった。

「ああ、それで出ないのね」

 清水くんは用心深そうだものね。納得の理由だわ。


 家に帰ってふたりでドラマを観て、終わったからお風呂に入る。私が上がると入れ替わりに清水くんがお風呂に行った。

 スキンケアをしていると、ローテーブルの上の清水くんのスマホが鳴りだした。また同じ番号からの着信っぽい。

 こんなにマメにかかってくる詐欺なんて、あるのかしら。

 誰かが携帯の番号が変わったお知らせでもしようとしてるだけじゃないかしら。


 清水くんはすぐに上がって来る。洗面所の前でスマホを手に仁王立ちで待ち受ける。

「うわ! びっくりした! 何してんの」

「電話鳴ってたよ。掛け直した方がいいんじゃない?」

「あー……またこの番号か。いいよ、用事があるなら留守電入れるだろうし」

 本当に用心深いわね。もしただの間違い電話なら、間違えましたごめんなさいーで終わる話なのに。


 ごめん……

 よし、この流れに乗って聞いてみよう。


「ごめんって、何? どうして清水くんが謝るの?」

「え? 何の話?」

「言ったでしょ、私の部屋で親御さんへの恩返し資金の話してた時に」

「ああ……」


 分かりやすく清水くんの顔が曇り、目をそらしてうつむく。話したいことではなさそう。やっぱり、何かあるんだ……。

 でも、めげない。引く気はないぞって自分の意志を持って、清水くんを見つめ続ける。

 私の顔を見て観念したのか、ふう、と息を吐いた。


「俺、嘘ついてたんだ。親のために金貯めてるのは本当。でも、恩返しなんて……本当は逆。俺に今までかけてもらった金突き返して、絶縁するつもりだった」

「絶縁?」

 絶縁……お金って……手切れ金みたいなこと? 親子の間で?


「俺幼稚園の頃から塾行って、お受験して私立の小学校に通って中学受験して更にレベル上の私立中学行って、高校受験で公立トップ校に進学したから、ずっと高い塾代と私立の高い学費かかってて」

「そんなに何回も受験してるの?」

 びっくりさせられ続けるわね。私は塾に行ったこともないし高校受験しか経験していない。すごく親御さんから期待されてたのかしら。


「高校に入学したら、父親が事あるごとにマウント取って来るようになって、それがウザくて。たぶん、進学実績見てこの高校に入れたらもう安泰だって気が緩んだんだろうな。俺がやっかいな性格してるから、それまでは言わないように我慢してたんだと思う」

「マウント?」

「お前がいい高校に入れたのは俺が稼いでるからだ、俺が高い金出してやったからだ、俺がお前に金かけてやったからだって。俺の努力なんか父親の中ではなかったことになってんだよ」


 吐き捨てるように清水くんが言う。悔しかっただろうな……。

 さくらは卒アルの高校名を見て、すごくレベルの高い進学校だって驚いていた。

 相当、努力したんだろうな、清水くん……なのに、分かってもらえなかったんだ……。


「父親はいい大学に入れたくて金かけてきた訳だから、反発して就職した」

「反発……よく分からないけど、行こうと思えば今からでも大学に通えるんじゃないの?」

「いや、本当は大学に行きたかったのに反発して就職したって訳でもない。自分の意志なんて何もなかったんだよ。俺はただ親に言われるまま勉強して受験してをくり返してただけ」

「そうなんだ……まるで私みたいね」


 清水くんが笑った。

「偉そうなこと言ってたくせにね」

「ううん、今の清水くんには偉そうに言う権利あるよ」

「あはは! ありがとう、権利いただきました!」

 照れてるのかしら。赤くなって敬礼のポーズで珍しくふざけてる。


「俺、茉悠さんのおかげで変わったと思う」

「え? 逆だよ、私は清水くんを見てて変わりたいって思ったけど、清水くんは初めて見た時から変わってないよ」

 清水くんがいつものように、穏やかな笑顔で私を見る。


「本当に、俺といてイラッとしたりイヤな気持ちになってない?」

「うん、全然」

 むしろ、前の部屋の退去も信じられないくらいスムーズだったし、清水くんがいれば大丈夫だって安心感すらある。


「良かった。最近、何も考えずにありのままの素の状態で居続けられるのってこんなに心地良いものなんだって実感するんだよね。ひとりでも素の俺を受け入れてもらえる人と出会えて、本当に良かった」

 心からのうれしそうな笑顔だ。私は誰といても何も考えてないから、これまで清水くんがどれだけ人付き合いに苦労してきたのか想像もつかない。


 清水くんの素は、俺様7ワンコ3だって言ってた。7割って、隠すには多いわよね。

 どれほどのしんどさかしら。もしかしたら、ここに引っ越してきてすぐ、さくらと電話しながら帰って迷子になった時くらいかしら。

 言っちゃいけないことを言わないように日常会話をするのって、ものすごく強いストレスだ。すごく緊張してすごく疲れた。


 え……あんな強烈なストレスを、毎日何時間も会社で受け続けているの?

 清水くんは社歴6年になる。6年間も……なんか、ゾッとした。あれを何時間も6年もだなんて。


「清水くん、会社でも素でいた方がいいんじゃないかしら。今は良くても、体調に異変をきたすわ」

「え? イヤだよ、俺せっかく今うまくやれてるのに」

「でも、このままじゃあ……人に嫌われてしまったのは学生時代の話でしょう? 会社にいるのはみんな大人だし――」


 あ、高橋みたいなのもいるわ。

 更には、清水くんの営業はあのパワハラセクハラ恵利原部長ですものね。


「明日の朝、頼野さんに相談しましょう」

「え、イヤだってば、茉悠さん」

「清水くんが来なくても私ひとりでも私の意志で相談するわ」

「えー、嘘だろ……」


 清水くんが困惑の表情だ。私もびっくりしてる。私にこんなに我の強い面があっただなんて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る